1月1日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
多事多難だった平成22年も過ぎ去り、平成23年を迎えた。
今から66年前の昭和20年は戦局が悪化、多数のクラスメイトを捧げて8月15日に終戦を迎えた。
この年の1月、戦没者は40名、回天で7名、艦艇で5名、潜水艦で2名、航空部隊でなんと26名が亡くなっている。
今年がいい年であってほしい。
1月2日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
岡本 操(762空 偵察)
サイパンアスリート飛行場爆撃後戦死(銀河)
丸 秀夫(攻5 偵察)
比島クラーク基地の飛行場離陸直後、銀河と空中衝突して戦病死(一式陸攻)
この日の戦後物故者
磯山 醇美 平成14年 1月2日 逝去
幸田 正仁君の「磯山醇美君 わが隣人」という ↓4の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-isoyama-kouda.html
吉江幹之助 平成17年 1月2日 逝去
泉 五郎君の「吉江幹之助君への弔辞」↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosie-izumi1.html
74期訃報
有馬 良文 様(1学年26分隊) H23. 1.
1 没
1月3日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
富田 育雄(936空 三座水偵操)
敵潜攻撃の為、印度洋のポートフレヤ基地発達後、交戦戦死(零式水偵)
風間 万年(攻102 偵察)
神風特別攻撃隊旭日隊として比島ミンダナオの敵空母に突入戦死(彗星)
この日の戦後物故者なし
65期訃報
本村 哲郎 氏 H22.12.31
すい頭部がんで逝去。葬儀・告別式は8日午前10時から桐ケ谷斎場。
1月4日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
毎年1月4日は鎌倉で湘南新年クラス会が行われます。その経過については、 ↓ のHPを見て下さい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/kurasukai-syounan1.html
第1回は昭和41年に加藤君宅で行われ、第5回の昭和49年から鎌倉で行われ今回は41回目になると思います。多い時は50名近くが集まっていたが、最近は24名ぐらいが集まります。今日は25名が集まる予定です。
現在使用中の平成15年に発行された名簿の作成後の名簿の訂正変更を整理してみました。約500件ありました。最近会員の住所の問い合わせが多くなってきています。生存会員の住所だけの名簿(平成19年発行)の改訂版だけでも発行しようかと思っています。御意見いただければ検討します。
1月5日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
斎藤 勝延(樅 駆逐艦)
マニラ沖で敵艦隊と交戦、沈没戦死
丸山 隆(201空 戦闘機)
神風特別攻撃隊第18金剛隊として比島ルパング沖の敵艦に突入戦死(零戦)
泉 五郎君の「軍神 丸山 隆君の凱旋」 ↓ の記事。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-maruyama-izumi1.html
増田 澄氏の「兄の遺品」 ↓ の記事
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-maruyama-masuda.html
菅原 完氏の米護衛空母に突入した特攻隊員の遺族を捜せ ↓ の記事がある。
北川 直隆(201空 戦闘機)
神風特別攻撃隊第18金剛隊として比島ルパング沖の敵艦に突入戦死(零戦)
これらに関連して、77期の1月当番から次のメールを頂きました。
菅原 完君の投書を配信します。
「一昨年の「丸」12月号に掲載された「米護衛空母に突入した特攻隊員の遺族を探せ」を紹介します。NET77には添付しないようにとのことなので、72期の web site に掲載されている記事をご覧ください。
手順は、次の通りです。
1)http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480 をvisit する。
2)Top page をscroll down して「ニュース記事930件」→「戦没者関連記事 181件」→
「戦没者その5ま〜わ36件」をclick すると →7 番目「丸山隆・菅原完 丸21年12月」にたどり着く。
これが1945年1月5日、第18金剛隊・第2中隊長・丸山隆(ゆたか)中尉がリンガエン湾で米護衛空母「マニラ・ベイ」に突入した特攻です。この英版は、昨年 The USNI, the Naval History
Magazine, October 2010 Issue に The Kamikaze's
WALLET の題名で掲載されました。「マニラ・ベイ」の Air Officer だった CDR. William Bartlett の子息、 Dr. Randolph Bartlett との合作です。
丸山機に続いて突入しようとした二番目の零戦(二番機)は誰だったのでしょうか。第18金剛隊は、指揮官兼第1中隊長・金谷大尉(71期)爆装8機、直掩2機(1機報告のため帰投、1機エンジン不調引き返す)。第2中隊長・丸山中尉、爆装8機(1機エンジン不調引き返す)、直掩2機(北川中尉・出津一飛曹)という編成で、3機が帰還、17機が未帰還となっています。以上から、北川機は直掩(爆装なし)で、未帰還と分かります。
「マニラ・ベイ」の艦長 Capt. Fitzhugh Lee は「2機の特攻機のパイロットは、驚くばかりの熟練した操縦技術の持主」と述べています。彼自身パイロットで、CDR. Bartlett の飛行教官です。2番機の操縦員が北川中尉だったとすれば、丸山中尉と同等の操縦技術を持っていたとしても不思議ではありません。また、二番機は船体構造を狙わず、艦橋を目がけています。爆装していなかったから、指揮系統の中枢である艦橋の人員殺傷を狙ったという仮定が成り立ちます。現実には艦橋突入が出来ず、片翼で無線アンテナと右舷桁端を切断、回転しながら10米離れた海中に落下、喫水線付近で衝撃により爆発したが爆風による被害なし。これは爆装していなかったと考えられます。
兵学校では「同じ甲板に血を流す」クラスメートと教えられました。北川中尉は、彼自身も何れは特攻に出る運命にあったのですから、「俺も一緒に」という気持ちになってのではないでしょうか。
以上から、あくまでも仮定ですが、二番機は北川直隆中尉(72期)であったと思われてなりません。「丸」には紙面の都合で掲載できなかったのですが、Naval History には入れました。1月5日はお二方の66回忌です。 合掌
菅原 完
戦後物故者ともになし。
昨4日、恒例の湘南新年クラス会が12時から14時半まで行われた。参加者は写真の22名と中井末一、後藤 脩、市瀬夫人の25名であった。
最初に2組に分かれて写真撮影を行った。左から
第1組
後列 相澤善三郎、野崎貞雄、窪添龍輝、左近允尚敏、宮田 實、
前列 藏元正浩、幸田正仁、伊藤正敬、足立喜次、浦本 生、若松禄郎、山下 誠
第2組
後列 新庄 浩、市瀬文人、深尾秀文、松下太郎、
前列 樋口 直、上野三郎、岩松重裕、山田良彦、安藤昌彦、椎原国康
次まず、戦没者・戦後物故者に黙祷を捧げ、司会者上野三郎君の開会挨拶と会計報告があり、次いで左近允尚敏君の音頭で乾杯、懇談に入った。
懇談中、樋口 直、伊藤正敬、山下 誠、松下太郎の諸君から一言ずつあり、さらに、相澤善三郎、幸田正仁の諸君の歌ありで盛り上がり予定通り来年の再会を誓ってお開きとなった。
1月6日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
福山 正通(201空 戦闘機)
リンガエン 神風特別攻撃隊第19金剛隊として敵艦に突入戦死(零戦)
藤田 昇の「福山正通を直掩して」の ↓ の記事と
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukuyama-fujita1.html
豊廣 稔の「福山正通少佐を想う」の ↓ の記事と
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukuyama-toyohiro1.html
母 福山モトヱ様の「特攻に散ったわが子(海軍神風特別攻撃隊員)正通の思い出」の ↓ の記事と
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukuyama-oya1.html
林 藤太の「福山正通君を偲び、平成19年正月の宮中歌会始めお題「月」への応募」の ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukuyama-hayasi.html
大森 茂(201空 戦闘機)・園田 勇(201空 艦爆操)
神風特別攻撃隊第23金剛隊としてイバ沖の敵艦に突入戦死(零戦)
青木 泉蔵の「園田 勇君と神風特別攻撃隊金剛隊回想」の ↓ の記事と
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-sonoda-aoki1.html
上原 一郎の「優しい顔と太い肝っ玉・園田 勇回想」の ↓ の記事と
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-sonoda-uehara1.html
多胡 光雄の「園田 勇君を偲ぶ」の ↓ の記事と
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-sonoda-tago1.html
泉 五郎の「園田 勇君のこと」の ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-sonoda-hennsyuubu.html
沢田 浩一(352空 戦闘機) 大村湾外に来襲のB-29と交戦戦死(雷電)
太田 正一(戦308 戦闘機)
敵リンガエン上陸に際し、敵巡洋艦に体当り戦死(零戦)
この日の戦後物故者なし。
1月7日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
遠藤 晴次 201空 戦給@ 神風特別攻撃隊第28金剛隊として敵艦に突入戦死(零戦)
高橋 良生氏(甲種予科練習生10期)の「金剛隊隊長 遠藤晴次中尉」の ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-enndou-takahasi1.html
この日の戦後物故者なし
昨日横浜居住の方から、パリックパパンで検索したらなにわ会のHPにであって、父が生前よく話していたバリックパパンの事が良くわかって嬉しかったとメールを頂いた。バリックパパンで検索したら次の2つの記事があった。
1 海・陸軍大尉の南ボルネオ・バリックパパンにおける陸上戦闘記 旭 輝雄
2 私の自分史
HPは恐ろしい程いろんな事が出てくる。インターネットで検索すれば大抵の事は分りますね。本当に便利な世の中になったものですね。
先日の新春湘南クラス会の集合写真をHPに取り込んだ。
機55期訃報
福谷 彬様 脳血栓で平成23年1月3日逝去
1月8日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
諏訪 欣吾・坂本 幸緒(檜 駆逐艦)
マニラからサンジャックに向う途中マニラ湾口で敵機の攻撃を受け被弾、沈没戦死
蒲地 経春(954空 二座水偵操) 赴任のため駆逐艦檜に便乗、同艦沈没時戦死
この日の戦後物故者
小林 貞彦 平成16年 1月8日没
大谷 友之君の「小林貞彦君との9年間のつきあい」の ↓ の記事と
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-kobayasi-ootani1.html
溝井 清君の「小林貞彦君の死を悼む」の ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-kobayasi-mizoi.html
昨日山之内素明君(主)から次のメールを頂いた。
「残す想い
突飛な と 思われるかもしれないが、頭の中の どこかに隠れている 想いを綴ってみた。恍惚の 老骨と笑われても 構わない。「そんな事 もう忘れてしまえ」と言われるかも知れない。 だけど、言いたい。
『原子爆弾を日本人に投下したことは、同じ人類として なすべき行為ではなかったことを、深くお詫びする。』
とアメリカ に言わせたい。
「憎悪の子は、憎悪である 」 ことを知っている日本民族は、この一言で、さっぱりした気持で、新しい日米関係を作り上げていくことに努力するだろう。まさか、アメリカに原爆を 落とさせろとは、言うまい。
もう一つある。それは、ロシヤ に対してである。
『シベリヤ抑留と停戦後の 一方的な武力による北方四島の占拠を詫びる』と言わせたいのである。 ひかれ者の、小唄ではない。
この一言が有れば、国民の胸の中のこだわりは、氷解するであろうし、その後は、
経済や科学技術の交流にも、疑心暗鬼はなくなるであろう。
アングロサクソン民族は、日本人とは違うという人もいる。スラブも一筋縄ではいかない民族族だとも聞かされる。彼らは、一旦 詫びたら自分の非を認めることになると言う思考傾向があるそうだ。
でも、「憎悪の子は憎悪である 」と言ったのは、英国の哲学者 である。
資源もなく、刀折れ 矢尽き、孤立無援で負けた日本であるが、原子爆弾とか、無抵抗のシベリヤ抑留とか、停戦後の 押し込み強盗的な行為は、負けた国民とは言え、許し難い想いが強いのである。日本に武士道があるように、彼らにも、騎士道がある。にもかかわらずである。
我々も、いずれ冥土に旅立つ。その時は、 千の風に乗って 彼の民族の中に 吹き込みたいものだ。・・・・・・・」
幸田正仁君から12月に行われた一泊旅行の歩こう会の記事を頂いた。何時も上野三郎君が書いてくれるのだが、今回は彼が所用で参加しなかったので幸田君が書いてくれた。
毎年12月は忘年会と称し。温泉一泊するのが恒例となっている。今年は12月6日、7日、伊豆伊東のホテル聚楽で行った。
参加者は就寝の11名である。当日は三々五々宿舎着。予定の列車より早く着く者、遅れて来る者等いろいろであった。夕食はバイキング方式で、夫々近海の海また山の幸を好きなだけ堪能出来た。
ホテルは少し小高い丘にあり、温泉も部屋も余裕があって何だか上空にある感じで気分は最高、それぞれ充分広い部屋(寝室と居間は分離)で休養出来たと思う。
第2日は朝食後ロビー付近の売店でお土産を仕入れ、写真撮影の後、10時ホテル発の車で伊東駅へ、
帰途は根府川へ寄り付近の蜜柑畠と海の眺めを章で、民宿あたりで昼食をとる予定だったが、昨日の夕食と今朝の朝食とで腹一杯、これ以上入らないという事で、熱海駅で解散、家路を急ぐこととし忘年会を終了した。
左から 後列 品川夫人、足立夫人、椎原国康、小松崎夫人、
中井夫人、深尾夫人、幸田正仁、高田俊彦
前列 足立之義、深尾秀文、中井末一
足立之義君は夫人と共に元気に参加され、写真も元気そうだが、この後20日後に逝去された。突然の事で言うに言葉がない。ご冥福を祈るのみである。
1月9日
この日の戦没者、戦後物故者ともになし。
74期訃報
杉江 啓道様(1学年11分隊) 平成22年12月14日 逝去
左近允尚敏君から平成23年1月1日現在の海上自衛隊高級幹部の配置一覧を頂いたのでHPの海上自衛隊高級幹部の表 ↓ を訂正した。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/kaijikoukyuukanbu1.html
1月10日
この日の戦没者、戦後物故者ともになし。
1月11日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
北村 一三(戦321 戦闘機)
編隊飛行訓練中、木更津上空で僚機と接触し墜落、機体炎上殉職(零戦)
中川 大忠(1023空 整備)
木更津基地で硫黄島輸送任務飛行機準備中、プロペラに接触し、殉職
この日の戦後物故者なし。
齋藤 義衛君から年頭の所感をメールで頂いた。
『毎年新年の6日私は靖国参拝を恒例とし、終わって遊就館を訪れ静粛の一時を過ごす。亡き友の遺影と語り合い我が奉納作品とも対面する。6日は広島原爆の日であり、私は前日軍務で広島に出張していた。
その後売店に立ち寄り記念に書籍一冊を求める。今回は予備学生たりし多田実氏著「海軍学徒兵硫黄島に死す」を求む。硫黄島の壮烈な戦いは栗林将軍(中学先輩)の伝記や海軍通信兵の戦記で承知していたが、此の手記を読み、更に硫黄島攻防戦の凄まじさ悲惨さを知り涙す。海軍学徒士官が多数硫黄島に派遣され183名もが散華したとは知らなかった。散華したクラスの合志、回天(千早隊)で無念の最後を遂げた川崎、そして神風特攻で殉じたコレスの飯島(中学同級)の冥福を改めて祈る一日であった。」
奉納された作品
先日から取りかかっていた「なにわ会会員名簿」の平成15年発行後22年7月31日までの訂正資料作成を終った。B5判25頁にもなった。参考にメール受信会員(遺族会員を含む)に送付する。
74期訃報
小池 毅三 様(1学年26分隊) H23. 1. 9 逝去
1月12日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
菅原 四郎・山内 哲夫(香椎 巡洋艦)
サイゴン北東で船団護衛中、敵艦上機の攻撃を受け沈没戦死
石川 誠三(6艦隊司令部付 回天)
回天特別攻撃隊金剛隊としてグアムの敵艦に休当り戦死(伊58より発進)
小河美津彦の「ある友 石川誠三」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-arutomo-isikawa-ogawa1.html
石川 誠三君の遺墨が「橋本以行著 伊号58帰投せり」 ↓ にある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-isikawaseizou1.html
兄上の石川時雄様の「おれはもういいんだよ」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-isikawa-isikawatokio1.html
小灘 利春の「忘れ難い人たち 石川誠三」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-isikawa-konada.html
田中 宏謨の「回天特攻、石川誠三君らを偲ぶ」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-isikawaseizou-tanaka-1.html
押本 直正の「回天塔乗員の最期」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-isikawa-kaiten-osimoto.html
川久保輝夫(6艦隊司令部付 回天)
回天特別攻撃隊金剛隊としてニューギニアの敵艦に休当り戦死(伊47より発進)
折田 善次様の「川久保輝夫中尉の最期」 ↓ がある。http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kawakuboteruo-nosaigo-orita1.html
峯氏のHPに「川久保輝夫」 ↓ がある。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kai-kawakubo.htm
峯氏のHPにある「小灘利春の記事の中に」 ↓ がある。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/konadac-kawakubo.htm
遺墨「故 川久保輝夫 君から森本達郎への手紙のこと」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-kawakubo-morimoto.html
久住 宏(6艦隊司令部付 回天)
回天特別攻撃隊金剛隊としてパラオの敵艦に休当り戦死(伊53より発進)
足立 英夫の「久住宏君墓参記」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kusumi-adati.html
峯氏のHPに「久住 宏」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kusumi1.html
峯氏のHPにある「小灘利春の記事の中に忘れ難い人たち 久住 宏」 ↓ がある。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/konadac-kusumi.htm
遺墨として「河合不死夫の遺品から久住 宏の思い出」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-kusumi.html
都所 静世(6艦隊司令部付 回天)
回天特別攻撃隊金剛隊としてウルシー泊地の敵艦に休当り戦死(伊36より発進)
三澤 禎の「都所静世生徒」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-todokoro-misawa1.html
遺墨としての「都所静世の手紙」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-todokoro1.html
この日の戦後物故者
比沢 勝 昭和63年 1月12日 逝去
藤井 武弘の「比沢 勝君を偲ぶ」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-hizawa-fujii1.html
74期訃報
吉野 孚 様(1学年6分隊) H22.12.12 没
昨日平成15年発行名簿の発行以後平成22年7月32日までの訂正事項を整理してメールで送ったところ次のような反応があった。
1 田島明朗君から携帯では資料が大きすぎて開けないので書類で送ってほしいと言ってきたので印刷送付した。
2 山本省吾君から訂正は大変なので、パソコンに打ち込んである原簿をメール添付で送ってほしいと言ってきた。今最終チェック中なので、終わり次第送ると返事した。然しながら膨大な頁数となるので慎重検討中である。
3 左近允尚敏から色々ご指摘を頂いた。これは過去の会報の名簿変更を整理したもので、その時で用語が異なっていることが分かった。例えば死亡した時、「逝去」としたり、「没」としたり、「死亡」としたり、一貫性のないことが分かった。これから気をつけます。
1月13日
この日の戦没者なし
この日の戦後物故者
三條 貞治 平成16年 1月13日 逝去
市瀬 文人の「三條 貞治君を偲ぶ」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-sanjyou-itinose1.html
村上 義長 平成20年 1月13日 逝去
室井 正の「村上 義長君の葬儀」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-murakami-muroi1.html
西尾 博 平成21年 1月13日 逝去
74期訃報
小林 光恵 様(1学年6分隊) H22 3.12 没
1月14日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
中島健太郎(1特基 回天)
回天特別攻撃隊隊員として訓練中徳山湾外で殉職
平野 誠(132空 艦攻操)
台湾東方洋上で敵機動部隊を発見、味方部隊の誘導を報告した後消息を絶つ(彩雲)
この日の戦後物故者
八淵 竜二 昭和24年 1月15日 逝去
父上 八淵呉龍様の「八淵 龍二の最期」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yabuti-titi1.html
昨日渡邊 光允君逝去の訃報を流しましたが、最近は家族葬が多くてなかなか情報が入りません。
会員及び遺族会員の訃報を知った方はぜひ当方にお知らせ頂きたいと思います。
1月11日にメール添付で送った名簿訂正資料、チェックしたところ数か所誤りを発見、また記載順序が訂正した時期の順になっていないところもあり、名簿を訂正されるのに不便だと思い、修正した訂正資料を再度メールで流しました。なお、15年発行の名簿記載事項殆ど全部訂正してある名簿をパソコンにうち込んであります。
兵、機、経別で、終戦時生存者、戦没者別となっています。だだ、A4判横書きですので扱いにくいと思います。この中から必要事項を選んで名簿を作成することも可能と思います。ご連絡いただければその名簿をメール添付で送らせていただきます。
1月15日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
田村 尚信(戦308 戦闘機)
笠原基地を発進、比島の敵基地攻撃中戦死(零戦)
土屋 睦(偵4 偵察)
比島方面の偵察に向い消息を絶つ(彩雲)
母上 土屋さとじ様の「我が子 土屋 睦の思い出」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tutiya-haha.html
この日の戦後物故者なし
1月11日に送った名簿訂正資料を再度チェックしたところ数か所誤りがあり、また記載順序が訂正した時期の順になっていないので、訂正しにくいので、修正しました。
修正した名簿訂正資料を改めて参考のためメールで送りました。
15年作成の名簿を訂正した記載記事が全部入っている名簿を作成、パソコンに取り込んであります。
ただ、A4版 横 ですので扱いが不便です。その中から次の事項を取りだした名簿(A5版 横)なら使いやすいと思います。
会員番号 氏名 住所 Tel&Fax 最終職種 最初配置 次配置 次配置 次配置 次配置 最終配置 1年2年 3年
名簿訂正も大変ですので、訂正する代わりに簡単な名簿欲しいと言われる方はご連絡下さい。メール添付で送ります。
(続く)