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平成22年4月27日 校正すみ

平成元年3月寄稿

優しい顔と太い肝っ玉・園田 勇回想

上原 一郎

 私はどう考えても単細胞人間である。海軍生徒として鍛えられていた時の思い出といえば、一に訓練でへとへとにへばった事であり、二に生徒館では「ぽかぽか」なぐられた事である。内でも強い印象があるのは入校して間もない冬の夜の事である。

夕食後突然あちらこちらの一号生徒が突然「四号生徒は剣道場に集れ」とどなっている。

びっくりした我々四号は、何事が起ったのかと内心びくびくしながら誘導されるまま道場の冷たい板の間に整列させられた。

「最近貴様等は、たるんでいる。」

「ここに猛省をうながす!」

と訓示があり、指示に従って我々は両足を開き、歯をくいしぼって、なぐられ体制をとった。そして嵐は始まった。次々と愛の鉄拳(と一号生徒は言った)を一号生徒の数だけ、つまり一晩に百発以上は確実に顔にお受けした。もっとも、一人で左右両方から計二発を御見舞する御丁寧な人も何人かはいた。

 大江山 鬼よりこわい人が住む  雪の舞鶴 生徒館

 三田笹山出身の園田は、四年から入ってきた童顔の優しい顔の持主である。

「お達し」が終り、洗面所で彼と隣同志になった。私はくいしぼった歯で口の中が切れ、真赤な血のまざった唾をペッとはき出すと、彼に「大変だったな」、「貴様はどうだ」と無言で挨拶をおくった。

 するとどうだろう。「俺は何ともない」、「貴様はまだまだ修業がたりない」と優しい顔に似ない悠々たる返事がかえってきた。私はいささか「どぎも」を抜かれ、大したものだなと童顔をまじまじと見直した。

 生れてこの方、海軍入校迄なぐられた経験の全くなかった私にとって鉄拳の大嵐は前代未聞の休験であり、軽くいなすことなど考えの範囲を完全に越えていた。

 以来鉄拳とは、刺戟(しげき)としては強烈な「パフォーマンス」であり、修学の一方法かも知れないと思い、一号になった時は大いにこれを実行し「クラス」でも上位の「なぐり手」となり、海軍だけでなく戦後我が家の教育にも応用したので、豚児どもも小学校を卒業する迄は、猛威を振るわれる破目になったという事である。

 何といってもこれは園田の影響が大きい。

(なにわ会ニュース60号21頁)

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