平成22年4月26日 校正すみ
久住宏君墓参記
足立 英夫
四月二十三日、回天特別攻撃陳金剛隊にて戦死した故海軍少佐久住宏君の墓に、クラス四名現地東上線新河岸駅で落ち合って、久住家を訪問、久住武子さん(宏の兄嫁に当たる)のご案内でお参りしてきた。
思えば昭和二十年一月十二日未明、回天特別攻撃陳金剛隊員として、伊五十三潜水艦(山田穣乗艦より発進、バラオコッソル水道めがけて停泊艦攻撃を敢行戦死したのであるが、今にして思えば誠に無謀な作戦だったようでもある。最近山田君が現地を慰霊旅行されたところによると、コッソル水道を回天で出発点が全く誤差がなくても、先ず水道突入は至難の技だということ、即ち作戦計画それ自体が誠に無謀だった様である。久住艇は発信直後気筒爆発してまもなく自沈したものと思われるが、実は終戦直後まだご両親がご健在の頃、訪問の折、戦死当日ご両親の枕元に宏君がたったという話をお伺いし、遂にご両親が亡くなられる迄その真相をお伝え出来なかった、霊界の事は信じられない事、誠に不可思議なことがあるものと信じざるを得ない。
今回、小灘利春、山田 穣両人から今迄知らなかった回天作戦の話を聞かされた。
50年昔あ号作戦で目標担任航空母艦の艦橋で、グラマン50機の空襲をうけ、つくづく攻撃部署が羨ましく思い内地帰投した折、回天を志願、艦長に直談判したことがあったが当時命があるとも思わなかったし、終戦がこんな形で来るなど全く予想もできなかった。最後に当時の我々の気持を歌った回天特別攻撃隊金剛隊川久保輝夫君の歌を紹介しておく。
沖ノ島過ぎ 祖国を遠く 敵を求めて波万里
空母戦艦唯一撃と 今ぞ征で立つ金剛隊
流れも清き 湊川の 旗の光をいまうけて
先に征きたる菊水隊の 挙げし勲に続かばや
おおみいくさも 四年の春を 南の海に迎えつつ
必勝のとき今来れりと まず先がけん金剛隊
まず先がけん金剛隊
(なにわ会ニュース7T号41頁 平成6年9月掲載)