石川 誠三 君
(橋本以行著 伊号58帰投せりより)
「石川は昭和20年1月12日午前3時回天金剛隊1号艇とし
グアム島アプラ港在泊艦船攻撃に発進、体当り戦死」
決行期日に至る。搭乗員4人とも元気旺盛。アプラ港を震駭せしめんとす。月淡く星影疎にして、1月初旬の大官島(注、当時の日本名、現グアム島)眠れるが如き姿態を浮ぶ。誰か知る数刻後の大混乱を。大君の御為、命のままにわれ等は来るべき所に来たり。
人生20有2年唯夢の如し。生の意義を本日一日にかけ、日米決戦の一氣鋒として態勢を一挙に挽回、以て帝国3千年の光輝ある歴史を永遠に守護せんとす。
大日本は神国なり。神州不滅、吾等が後には幾千幾万の健児ありて、皇国防衛に身を捧げん。
いざ行かむ。人界の俗塵を振り払い、悠久に輝く大義の天地へ
天てらす神の御末の弥栄(いやさか)を 拝みまつり花は散りゆく太平洋
出発4時間前記す。
(ニュース遺墨集)
「石川誠三は、兵学校では私と近い分隊にいました。同期625名のうち9番で入校した、頭脳明晰な人物です。彼は天真爛漫、形式慣習に拘泥することなくいつも自ら信ずる通りに振る舞う、誇り高き水戸っぽでした。」(小灘・兵72期)