平成22年4月26日 校正すみ
久住 宏海軍少佐
大正11年 4月 1日 埼玉県出身 |
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久住 宏 |
金剛隊(伊53)
久住艇は出撃直後に気筒爆発を起こし、一度浮上したのち海中深く沈んでいった。気筒爆発を起こした回天は、多くの場合自然に浮上する。久住中尉は「このまま浮上すれば、敵に潜水艦の所在を教えることになる。自沈するほかない」と考えたに違いない。苦しい訓練を続け、眼前に敵を捉えながら攻撃はならず、自爆してひとおもいに死ぬことも許されず、久住中尉はハッチを開け艇内に海水を入れ、生きながら海底深く沈んでいった。
遺 書
有史以来最大の危機に当り微力乍らも皇国守護の一礎石として帰らぬ数に入る二十余年の御高恩に報ゆるに此の一筋道を以てするを人の子として深く御詫び申し上げ候。
皇国の存亡を決する大決戦に当り一塊の肉弾行に敵艦を斃すを得ば、先立つ罪は許され度、此の度の挙もとより使命の重大なる比するに類無く、単なる一壮挙には決して無之、生死を超えて固く成功を期し居り候。
兄上には相馬ヶ原にて別れて以来二年有余なるも、魂は何時も通じ、隔つと雖も何の不安も無之候。御両親様には私の早く逝きたる事に就ては、呉々も御落胆ある事無く、私は無上の喜に燃えて心中一点の曇無く征きたるなれば、何卒幸福なる予と思し召され度、祖母上様と共に愈々御健かに御暮し下さるよう祈り上げ候、没後の処理に就ては別紙に認めたれば、然るべく、次に二三御願聞き置かれ度、第一に万ヶ一此の度の挙が公にされ、私の事が表に出る如き事あらば、努めて固辞して決して世人の目に触れしめず、騒がるる事無きやう葬儀其の他の行事も努めて内輪にさるる様右固くお願い申し上げ候。
又訪問者あるも進んで私の事に就て話さるるやうなる事の決して無きやう願はくば君ヶ代守る無名の防人として南溟の海深く安らかに眠り度存知居り候。
昭和十九年十二月 宏
御両親様
もろもろのまとひは断たん君がため 南溟ふかく濤分くる身は
命よりなお断ちがたきますらをの 名をも水泡といまはすてゆく
回天記念館(山口県周南市)
平和祈念の鐘 久住 宏海軍少佐の遺書が鋳込まれている
勝光寺 (埼玉県川越市)