8月16日
戦没者
67年前 昭和19年
飯塚高志(百里原空 偵察)
茨城県橘村で夜間飛行訓練中、墜落殉職(九九艦爆)
戦後物物故者なし
8月12日にブログに書いた「井上校長が着任直後、自分が指揮した珊瑚海海戦の話をした」と言う事について左近允尚敏君から次のようなメールがあった。
『谷川さんから電話をいただきました。「井上校長の珊瑚海の話しは
武官の教官に対してだった。もっとも後ろの方で文官教官も聞いて
いたようである。私の隣は64期の田中一郎さんで、とても感心して
いたが、論争するのもどうかと思ったので黙っていた」とのことでした。
また、伝記刊行会のものにはなにも書いてありませんが、阿川著の「井上成美」にはこうあります。
「生徒に対して戦争の話をすることを禁止した。ただし教官研究会に出て来て正確な体験談を語るのは、戦訓用として奨励し、自分も珊瑚海海戦時の経験をみんなに話して聞かせた。」
8月17日
戦没者・戦後物故者共になし
矢田次夫君からなにわ会だより第5号の礼の電話を貰った。一応元気に過ごしているが殆ど外に出られず、また、耳が悪くてこちらの話を殆ど理解できない。
また、浅村晃司君からも同様お礼の電話を貰い年会費について問い合わせがあった。
年会費は3頁に書いてあるように会員2000円、遺族会員1000円である。
樋口 幹君からなにわ会だより第5号の礼の手紙を貰った。
最近のなにわ会ブログ閲覧数(ご参考)
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8月18日の戦没者
67年前 昭和19年
倉本恒治(大鷹 空母)
南支那海で敵潜の雷撃を受け沈没戦死
66年前 昭和20年
秋田 稔(6艦隊司令部付 潜水艦)
原爆被災、呉海軍病院で戦傷死
73期岩井良平氏の「秋田 実君の最後」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-akita-iwai.html
「秋田 実君の最後」の記事 ↓ がある。
(この記事は同潜水艦砲術長73期岩井良平氏の書かれたものであり、これによれば8月12日に亡くなったとされているが名簿は8月18日没となっている。)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-akita-hennsyuubu.html
鹿児島二中同窓会誌に橋口寛大尉の最後「純白の海軍大尉の正装を真紅に染めて」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hasiguti-utiyama.html
橋口 寛(平生突 回天)終戦後平生基地で拳銃自決
HPに「↓」の記事がある。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kai-hasiguti.htm
小灘 利春の「橋口 寛大尉 自決す」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hasiguti-konada1.html
「終戦時の橋口 寛大尉 の状況について(足立喜次大尉談話)」の記事「↓」 がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hasiguti-adati1.html
泉 五郎の「潜水学校第12期出陣賦と橋口君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hasiguti-izumi.html
畠中和夫(101突 蚊竜)土佐沖で終戦後、蚊竜艇内で拳銃自決
定塚 修の「古武士 故畠中和夫君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kobusi-hatanaka-jyouduka1.html
父 故畠中賢一郎様の「和夫ノ自決ヲ知り記ス」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hatanakakazuo-titikenitirou1.html
藤川 正視(13期予科練)様の「嗚呼わが艇長畠中和夫大尉」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hatanakakazuo-fujikawa1.html
8月19日
戦没者・戦後物故者共になし
なにわ会だより第5号の印刷代金が印刷屋から来た。概ね予想金額である。
年会費がだいぶ振り込まれて来ているが、前回纏めて3年分、5年分年として払い込まれた方にも納入表は同封してあります。その方は納入表は破棄してください。なお、金額の問い合わせが多いのですが、なにわ会だより第5号3頁に書いたように「会員・有志会員2,000円、ご遺族会員1,000円」ですのでよろしく。
8月20日
戦没者
66年前 昭和20年
吉成 淳(冬月 駆逐艦)
門同港で出港の際、敵機雷に接触して戦死
平成22年の横須賀高校同窓会の機関紙「朋友」の記事から
「吉成 淳君のこと
君のご遺族がどちらに居られるのか分りませんでしたが、千葉県四街道に下の妹さんがご健在との事で早速電話して見ました。 ところが、残念なことに、「家内は4年ほど前に他界しております」とのご主人らしき方の返事で、それでも吉成君の墓所を知ることができました。
総武線干潟駅下車、東500mほどのところの霊園ということで、昨年7月猛暑のなか、交番で尋ねながら探したが、幸いにもすぐに見つけることができました。
「吉成家之墓、昭和51年12月吉成忠蔵建之」とあり、右の墓碑には、吉成淳・寿子(上の妹)・忠蔵と琴(ご両親)が記されております。
彼、淳君は昭和20年8月20日、門司港で敗戦後、なお残務で乗組していた駆逐艦「冬月」が、米軍の敷設した機雷に触れて爆発、それで戦死したのです。海軍兵学校を卒業後、2ケ年弱フィリピン・沖縄海戦に臨み、終戦を迎えた5日後に犠牲となってしまったのです。
君はいつも優しく、勉強のみにとらわれず、豊かな心をもって生活をしていましたね。
中学4年の12月海兵へ入学、翌年の夏、私たち一同が上級学校入試準備に明け暮れしているときでした。休暇で帰ってきた君は、級友宅訪問には横中の制服を着て来ましたね。俺も同級生だよと言わんばかりの心遣いが、みんなの胸に沁みました。
また、3年生の頃であったと思いますが、そのころ吉川英治の「新平家物語」が人気作品として発売されており、彼もその虜(とりこ)になり、しばしば本屋の店先で立読みしていたようですが、某先輩がこれを見ており、ものすごいさむらひがいるぞと噂になったほどでした。真面目さの中にも豊かな心を持ち、期待された人物を失い誠に残念の一言に尽きます。)
戦後物故者
古前 英雄 1985年8月20日没
小跡 考三の「畏友、古前英雄君を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-komae-koseki3.html
椎野 廣の「畏友 古前君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-komae-siino1.html
日野原 幹吾の「噫 古前 英雄君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-komae-hinohara1.html
平野律朗君、中井末一君と遺族の土原弘子様からなにわ会だより第5号の礼状がきた。
渡辺収一君のご子息から父は高齢になり、色々な対応が殆ど不可能に
なっており今後なにわ会だより辞退させて貰いますと手紙を貰った。
74期の中村慶典様から礼状がきた。
次の会員に送ったなにわ会だより第5号が転居先不明で返却されてきた。
電話も通じません。転居先ご存知の方はお知らせください。
來島照彦、石坂美男
8月21日
戦没者なし
戦後物故者
中田 隆保 1968年8月21日没
編集部の「中田隆保君 交通事故で急逝」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakadaosinobu1.html
池田 武邦の「弔辞 故中田隆保君の霊前に捧ぐ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakada-ikeda1.html
澤本 倫生の「中田隆保君 交通事故で急逝」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakada-sawamotol.html
大谷 友之の「中田隆保君
交通事故で急逝」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakada-ootanil.html
加藤 孝二の「中田隆保君 交通事故で急逝」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakada-katou1.html
新庄 浩の「中田隆保君 交通事故で急逝」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakada-sinnjyoul.html
向井寿三郎の「中田隆保君 交通事故で急逝」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakada-mukaiil.html
大森慎二郎(機)の「中田隆保君 交通事故で急逝」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakada-oomoril.html
堀内 進 1976年8月21日没
今井 政司の「故堀内 進君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-horiuti-imai1.html
水野 行夫の「堀内 進君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-horiuti-mizuno1.html
桂 理平 2009年8月21日没
鈴木 彊の「桂 理平君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-katura-suzuki1.html
大島 達也(京都ネービー会)の「桂 理平様への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-katura-oosimai1.html
次の礼状等を頂いた。
右近 恒二
なにわ会だより第5号、拝受しました。何時も乍らながらの行き届いた編集で大変ご苦労さまです。一気に読ませて頂きました。
今回の訃報にあった69期の竹内芳夫様は私が多磨に乗組んだ時の砲術科分隊長で大変お世話になりました。また、クラスの溝井 清、久米川英世、三好 文彦の諸兄はいずれも北海道旅行に参加して呉れた人達で当時の事が懐かしく思い出します。
今後とも健康に留意されながら、なにわ会だよりのことなどよろしくお願いします。
久保 陽(兵74期)
この度 「なにわ会だより第5号」をご恵送くださいまして有り難うございました。先輩方の消息など思い掛けない便り、一気に読ませて頂きました。同じ分隊(31分隊)の一号生徒は残念ながら全員鬼籍に入られてしまいました。年1回開催していた分隊会もとうとうこの7月で幕引きしました。
昔押本さんから期会名簿を送って頂いたことがあり、甚だ勝手ながらその時に準じて別途会費を送りましたのでお納めください。
阿部 文弥(経34期)
第5号有り難く拝見しました。戦没の菊地芳夫、島津義公の両君とは盛岡中学の3年甲組で同級でしたので、72期の皆様とは半ば同級生のように感じています。経33期の皆様も同様なのですが、窪添、高田、深尾等の俊英がお元気なようで懐かしく拝見しています。
高崎 緑(会友遺族)
今度、なにわ会誌お送り頂きまして有り難うございました。お名前を存じ上げている皆々様のご逝去は寂しいことです。
昨日の高校野球決勝戦で日大三校が光星学院を破り優勝した。
投打が、高いレベルでかみ合った。打線は長打力を発揮し13安打で11得点。投げては吉永が緩急自在を展開し、被安打5で完封。140キロ台中盤の直球とスライダー、落ちる球をうまく配し、的を絞らせなかった。
8月22日
戦没者
67年前 昭和19年
赤右六合夫(佐渡 海防艦)
マニラ北西海面で対潜掃討中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
浦野 孝市(松輪 海防艦)
マニラ北西海面で対潜掃討中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
戦後物故者
佐伯 将人 1988年8月22日没
佐藤 健三の「佐伯 将人君の死を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-saeki-satoukenzou1.html
伴 正一の「故佐伯 将人君のこと」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-saeki-bann1.html
西岡 孝 2005年8月22日没
春日美智子さんから、「なにわ会だよりを有り難うございます。編集は大変な作業と思います。」とメールがあった。
濱田 秋朗の娘さんから、「父は体調不良でなにわ会だより購読出来る状態で無いので今後の配送辞退させて下さい」と電話があった。
浦本 生君から5号の礼の電話をもらった。先日から体調を悪くして10日程入院していたのでお礼が遅くなったといっていた。
日記 8月23日
戦没者・戦後物故者共になし
先日書いた來島照彦君の宛先について平野律朗君から連絡が取れたと電話を貰った。家改築中で近くに一時転居していて、11月には戻るそうです。平野君有り難うございました。
月24日の戦没者
66年前 昭和20年
鈴木真一郎(朝鮮空)終戦後、朝鮮空主計長室にて自決
戦後物故者なし
会計担当の深尾秀文君から次の手紙を貰った。
『20日までに受領した振込取扱表65枚を同封します。
合計219,064円になります。
新庄 浩君の12,000の内10,000円のレシートを欲しいとあります。
(これは戦闘機会の基金の残額で編集の金に寄付すると言っています。)
コンタスの印刷代と74期に渡した祝い金を送金しました。
現在の残金 です。』
守家 友義君から次の手紙を貰った。
『 普通のお身体で貴兄のクラスへの情熱、ご尽力には頭が下がるのみで御礼の言葉もございません。
これ以上のご負担をお掛けするには忍び御礼状ず「なにわ会だより」の配布も希望しませんでした。
住所等は名簿の通りです。
85歳を超えてから体調の衰えには驚嘆しています。朝1時間ほどの散歩のはか、昼寝と読書で過しています。
「なにわ会だより」の配布は辞退します。』
有志会員の上原光晴さんから次の内容の手紙を貰った。
『御令兄の伊藤治義氏を駆逐艦神風の取材でお伺いした時のお話を「歴史群像」に載せた事があります。その時の話です。
私は中学4年で海軍兵学校を受験、学科試験の最後まで合格して作文がありました。「神風」と言う題でした。受験した昭和12年、丁度朝日新聞の「神風」と言う飛行機が欧州飛行に成功していたので、そのことを書いたので、落ちました。出題側はどうも元寇の時の「神風」の事を書いて欲しかったらしいです。
5年で受験した口頭試問の時、「機関学校に行く気はないか」と聞かれ、海軍ならどこでも同じようなものと思い、承諾の意を示しました。帰宅後、オヤジにその事を話したら、オヤジは小声で「馬鹿な奴だ」と言って、次の日あたり手を回してくれました。
南雲艦隊がハワイに向かう途中無線封鎖を解いたと言う本がアメリカの原作で出ましたが、完全な間違い。私は当時「霧島」に乗っていて、同期生に通信士がいて無線封鎖をしたままだったと言っていました。
戦後、沖縄の本土復帰に伴い、日銀から現金を受け取って沖縄に運ぶ大任に当たりました。』
8月25日
戦没者
67年前 昭和19年
泉本 修(352空 戦闘機)
大村湾において零戦で離着陸訓練中、後部からの飛来機と接触、墜落殉職
岸本 一郎君からの葉書。
「先日「なにわ会だより」第5号を頂きましたが、当時熱中症状態で思考力、行動力が停止していて、受領通知が遅れました。相変わらずの充実した内容に御礼申し上げますと共に、今後とも無理のない範囲でよろしくお願いします。」
昨日頂いた振込取扱票に書かれていた感想を分析すると会員の気持が大きく2つにわかれているように思われた。
一つは、よく頑張って呉れて、会員の動静が分って有り難い、無理の無い範囲で出来るだけ続けて欲しいと言う意見。
もう一つは、高齢の為、体力、気力とも衰えてしまって、もう頂いても読む気力が出ないので、今後の配送を辞退したいと言う意見。
更に、第3号で年会費をお願いしたが、まだご送金頂いていない22名の会員に5号を送付して、近況と今後の希望を訪ねたところ、
高齢、体調不良の為不要との返事があった、濱田秋朗、守家友義、渡辺収一の3君、近況報告のあった中井末一君の4名で、他の18名からは返事がありません。
このような状況から今後の事を次のように考えて会計幹事の深尾秀文君に相談しています。
現在の会の基金と今回お願いした年会費を合計して、24年度は充分賄えますが25年度は若干不足するかと思われます。
25年には会員の大半が満90歳になりますので、そこをなにわ会だより終結の一つの目安としてはどうかと考えています。
この件について忌憚の無いご意見、よろしくお願いします。
23年前期歩こう会の記事をHPに取り込んだ。
74期訃報
出水 芳郎 (1学年53分隊) 23年 8月24日逝去
日記 8月26日
戦没者梨
戦後物故者
内木 一雄 2003年8月26日
宮田 實君の手紙
「なにわ会だより第5号お送り頂き有り難うございました。隊長をすっかり崩し寝込んだり病院通いをしたりが続いていましたが、漸く落着きました。
毎回編集に際してのご努力に感謝するばかりです。
8月27日
戦没者・戦後物故者共になし
堀 剣二郎君から「なにわ会だより受け取りました。自分の書いたものが活字になっているのを見ると嬉しいです」とメールを貰った。
8月28日
戦没者・戦後物故者共になし
8月29日
1923年の今日私は呉で生まれました。誕生日を迎え、満88歳になりました。
流石米寿を超えて老化をしみじみ感じています。
戦没者・戦後物故者共になし
8月30日
戦没者・戦後物故者共になし
深尾 秀文君から8月21日から27日までの振込表を送って貰った。
42名の方が振り込んでおられる。
まだ振りこんでいない方よろしくお願いします。
8月31日
猛暑の8月も最後の日を迎えました。本当に今年の暑さは異常でしたね。
戦没者・戦後物故者共になし