平成22年5月11日 校正すみ
中田隆保君 交通事故で急逝
加藤 孝二
中田とは戦時共に深くあい知ることなし。
22年「飯沢君から聞いたのですが、72期の加藤という人はいませんか」と店に来た一見中年小躯の男あり。以来、戦時失ったクラス中の多くの親友の穴うめをして呉れた一人となる。
浮世になじめぬ二人はネービーを集めて、横浜みなと会を結成し、幹事会と称して、週に3度位の割で浜の夜間編隊航行をなす。その哨戒範囲は、その時の予算、気分によって料亭・居酒屋・バー・キャバレー・屋台店・映画・ストリップETC、併し、どんなに酔っても、国電の終電までである。その理由はシス(妹)が一人で待っているから、ニューマリ(新婚)だから、保子(娘)が待ってるからと変化した。その間、小生マリッヂの纏め役をしてくれた。(樋口 直に頼まなくて良かったと思っている)。
少年時代に両親を失った彼は、好きではあるが酒量僅かに一本の小生に代って、呑平の亡父の相手を楽しくしてくれたり、いささか老人ボケの祖母を笑わせて楽しませてくれたりしてくれた。
会社の帰り東横線でヨタ者風の男と喧嘩して車外へ出るや、「俺はこんな事で撲れないが、貴様が参ったというまで撲られてやる、さあこい」と、お達示調のタンカをきって相手を遁走せしめた武勇伝もある。
病弱だった保子さんを3才で失ってからの彼は、一層悲しみをおしつぶしているかのようだった。
貴様の漫談的ヘル談はもうきかれない。六分の侠気、四分の熱、意地っぱりで、淋しがりやの貴様は、現の世の楽しみも、悲しみも酒に流して先立ってしまった。
酒に酔って事故にあうなんて貴様らしいが腹が立ってならない。
(なにわ会ニュース15号5頁 昭和43年9月掲載)