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平成22年5月5日 校正すみ

桂 理平君への弔辞

鈴木 彊

桂 君

海軍兵学校第七十二期、そしてその関西在住者による関西なにわ会、そして最終学年の卒業時の五分隊会、それぞれの仲間としてお別れのご挨拶を申し上げます。

君は兵学校卒業後、空母瑞鳳で、私は戦艦長門で、スタートし、共にレイテ沖捷号作戦に参戦し、その後共にT型駆逐艦の航海長として終戦を迎えました。戦後、君も私も、会社は違いますが繊維系の仕事で、転ずることなく定年を迎えました。

一昨日訃報を受け、早速、五分隊伍長の佐藤静君に連絡、弔辞を頼もうと思ったのですが、体調の関係で東京を離れられないとのこと、又、後藤俊夫君も体調の関係からか連絡を取れないとのことでした。後藤君と言えば、三人で先に亡くなった竹内茂君を博多の自宅に弔問しましたね。五分隊のメンバーと言えば、君が会長だった京都セブンティ会のメンバーで三号の島君にも先立たれ、お葬式で一緒に「海ゆかば」を歌いました。五分隊はメダルの一番多い分隊というのが、君と我々一号のプライドでした。

関西なにわ会からは渡辺望君がお通夜に出席してくれました。君がこの会を代表した折、連合クラス会でクラスの左近允尚敏君を講師として呼んで当直将校として司会されましたが、その時の颯爽(さっそう)とした姿を良く覚えています。この春、君の尽力で実現した関西なにわ会の御所回りの観桜会、君は入院中で出席できず残念でしたが出席したメンバーは楽しく一日を過ごしました。

昨年、小西愛明君と三人で生涯最終ということで江田島を訪問しました。その折、君の著作になる戦記数冊を術科学校長に寄贈し、後に同校長からの礼状に学生の教育に資したいとあり、とても喜んで居られ、私も君の労作が公式に認められたと誇りに思っています。

山本省吾君たち京都近くのメンバーで年数回、京都の名所旧跡巡りのあとの一杯、本当においしかった。ふだん話し出来ないネイビーの話を思いきりぶちまけましたね。全快祝に又呼んで貰おうと思っていたのに残念でたまりません。

君の訃報は山本君からでした。驚いたのは当然として、いつも健康を心配して貰っていた私は先を越されて淋しい思いで一杯です。実は今月 5日付で奥様からお手紙を頂きました。 711日救急車で再入院、良かったり悪かったり肺炎のおそれがあり大事をとっているが、あとは本人の体力と気力がどこまで続くかと案じて居られました。ご家族の懸命の思い、甲斐なく君は旅立たれました。

瑞鳳で一緒に泳いだ山根眞樹生君が先に待っています。私を含めてここで申し上げた生存者はあと僅かで続きます。チョットだけ、お待ち下さい。

生前君が一度も口にしなかったのですが

「我が海軍に栄光あれ」で送る詞(ことば)として終わります。

   平成21 823


友人   鈴木 彊

  (なにわ会だより2号4頁 平成22年 3月掲載)

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