なにわ会のブログ 23年 3月-2
3月16日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
石原 博・太田 基彦(白雲 駆逐艦)
釧路沖で船団護衛中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
この日の戦後物故者。
森園良巳 2009年3月16日逝去
3月17日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
合志 秀夫 (南方諸島空 整備)
硫黄島で敵上陸部隊と交戦後玉砕
この日の戦後物故者なし。
星野 道子 様(猪口 智君の妹)から要旨次のメールを頂いた。
『本日16日、厚労省、遺族会による第20回洋上慰霊巡拝に3月5日〜3月16日に参加し、神戸港より新幹線、横浜線経由で帰宅しました。参加にあたっては13年前位に猪口 智のタクロバン他陸上を中心とした慰霊祭参加において、追悼の辞を読んだもの(なにわ会HPに掲載頂きましたもの)も印刷、シブヤン海にお供えしました。又、その追悼の辞をyahoo-japan(猪口―星野の検索)で検索して読まれた方(父親が鈴谷に乗っておられ戦死)が参加されており、感慨ひとしおの巡拝となりました。』
74期訃報
杉本 一男 様(1学年41分隊) H23. 3.10肝臓がんで逝去
3月18日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
杉坂 善男(戦303 戦闘機)
鹿児島上空哨戒中F6Fと交戦戦死 (零戦)
植田 伸二(戦307 戦闘機)
敵機動部隊来襲時宮崎県富高から迎撃に向いこれと交戦戦死(零戦)
宮原 健児君の「植田伸二君の戦死状況
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-uedasinji-miyahara1.html
生田善次郎(801空 大艇操)
本邦南方哨戒のため基地発進後、消息を絶つ(二式大艇)
日辻 常雄様(元飛行隊隊長)の「生田善次郎中尉を偲ぶ」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-ikuta-hituji1.html
この日の戦後物故者なし。
厚労省、遺族会による第20回洋上慰霊巡拝に参加された星野道子さんから今回捧げられた追悼の辞を頂いたので↓のHPに追加した。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-inoguti-hosino-tuitou.html
3月19日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
渡部 幸博(343空 戦闘機)
本土来襲の敵機と四国上空で交戦戦死(紫電)
向坂 清(葛城 空母)
呉港で敵機動部隊の本土空襲に際し銃撃を受け戦死
坂田 明治・藤田 春男(攻103 偵察)
神風特別攻撃隊菊水部隊彗星隊として九州南東海面の敵機動部隊に突入戦死(彗星)
桂 理平の「故藤田春男君の日記」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-fujitaharuo-katura1.html
藤田 貞子様の「兄(春男)の宿帳」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fujita-imouto.html
1945年(昭和20)3月19日午前7時20分ごろから午前11時5分までにわたって、呉は軍港を中心として、アメリカ海軍第58機動部隊の艦載機約350機による激しい攻撃を受けた。この日呉を攻撃したアメリカ海軍第58機動部隊は、マキン・タラワ攻略戦、マリアナ沖海戦、沖縄・那覇大空襲、レイテ海戦、硫黄島攻略戦などに参加し常勝を誇ってきた部隊で、やがて開始される沖縄攻略作戦の前哨戦として、呉を襲ったのであった。
この時私は駆逐艦楓で呉にいて、緊急出港し、回避運動をして無事であった。
この日の戦後物故者なし。
昨日のなにわ会ブログを見た方が74期の談話室に書かれた次の記事を見ました。
『今朝の「なにわ会ブログ」で 心待ちしていた 対番の生田善次郎先輩の命日が 今日であることを知りました。 ブログを開き 64期の日辻飛行隊長の 「生田中尉を偲ぶ」を読み、健気な飛行服姿の遺影に頭を垂れて 無性に涙が溢れてきました。』
この様な事を見ると、「なにわ会」のこのブログが読まれていること、そしてお役に立っていることが分り嬉しくなった。
7T期訃報
鯨岡(旧姓大平) 洋 23・2・21逝去
22年12月、23年1月、2月のブログをHPに取り込んだ。
3月20日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
寛応 隆(戦311 戦闘機)
神風特別攻撃隊菊水部隊彗星隊として九州南東海面の敵機動部隊に突入戦死(零戦)
この日の戦後物故者。
伊吹 明夫 2000年3月20日逝去
大村 哲哉君の「伊吹明夫君に送る言葉の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ibuki-oomura1.html
井上 旦様(77期)の「鳥取ネービー会代表伊吹明夫様への弔辞」↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ibukihenotyouji-inoue1.html
濱田 秋朗君の「伊吹明夫君の逝去の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ibuki-hamada1.html
矢田 次夫君の「人は呼ぶ―伊吹・松田両君を偲んで」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ibuki-matuda-yada1.html
会計幹事の深尾秀文君から柏清一郎君、堀江保雄様(太郎君の弟)の会費の振込表のコピーを頂いた。同時に先日銀行の私の口座からなにわ会の銀行口座に振り替えた3件計17,000円の入金を確認したと通知があった。
杉田繁春君から先日の山元 奮君逝去の記事を山元君が2号時23分隊で一緒だった故藤範純二君の妹黒田咲子様に通知したと手紙を貰った。山元君は前に藤範君のお墓にお参りしていたそうです。そして、昭和20年4月6日アモイ沖で被弾大破した時、第108震洋隊隊長としてアモイに進出していた杉田繁春君と10日間ほど一緒に過ごした。(杉田繁春君 お手紙の写 有り難うございました。)
3月21日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
増田 實(戦313 戦闘機)
千葉県茂原基地にて訓練中殉職(零戦)
古関 建治(攻711 偵察)・小原 正義(攻711 兵器)
第1神風桜花特別攻撃隊神雷攻撃隊として沖縄沖に突入戦死(一式陸攻)
この日の戦後物故者。
大野 嘉秋 2006年3月21日逝去
深井 良君の記事(紳一様作成のHPの転載・手紙2件)をHPに取り込んだ。
3月22日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
先日なにわ会だより第4号と一緒に配布したなにわ会終戦時生存者名簿に誤りがあったので次のように訂正してください。なお、なにわ会だより第5号に訂正紙を入れます。
(終戦時生存者名簿 平成23年1月発行) 伊藤正敬
頁 氏名 訂正事項
3 市瀬 文人 (訂正) (長女)あい子を(妻)あい子に
3 右近 恒二 (転居) なにわ会だより第4号のとおり
8 柏 清一郎 (住所訂正) 同上
10 椎原 國康 (転居) 同上
10 渋谷 了 (訂正) (妻)朝子を(妻)節子に
10 渋谷 信也 (訂正) (妻)節子を(妻)朝子に
12 高木 亮司 (訂正) 332空を戦402に 札幌一中を札幌一中に
13 富尾 治郎 (逝去) 平成23年 2月23日没
13 東條 重道 (訂正) 北3-34を北3-25に
14 中西 健造 (訂正) (長女)大谷陽子を(長男)和弘に
15 花田 武彦 (訂正) (妻)章子を(妻)澄子に
15 濱田 秋朗 (訂正) (妻)澄子を(妻)章子に
16 冨士 榮一 (訂正) (妻)英子を長男彰夫に
18 溝井 清 (訂正) 12809を12869に
20 山元 奮 (逝去) 平成23年 3月13日没
21 渡邊 光允 (逝去) 平成22年 12月1日没
28 富田 岩芳 (訂正) (三女)竹内優子を(長女)林明子に
28 富田 岩芳 (訂正) 経攻を経校に
30 高崎 慎哉 (訂正) 没年月日追加 H6.4.2
3月23日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
3月17日のブログに書いた猪口 智君の妹さん星野道子様から3月11日武蔵沈没地点シブヤン海での合同慰霊祭の写真を送ってもらいましたので掲載します。父上は猪口 敏平で武蔵艦長として戦死されています。
3月24日
この日の戦没者なし。
この日の戦後物故者。
畠山 宗次 1968年3月24日逝去
早崎 義範君の「畠山宗次君の死を悼む」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-hatakeyama-hayasaki1.html
山下 茂幸 2009年3月24日逝去
H21.10.27に亡くなった後藤 脩君が生前書いた「イラク戦争批判」を泉 五郎君から送って貰った。
書かれたのは2003年であるが、「結果的には正論?」というのが泉君の感想である。
少し長いので、HPに取り込んだ。
3月25日
この日の戦没者なし。
この日の戦後物故者。
香西 宣良 1981年3月25日逝去
加藤 孝二君の「香西宣良君を偲ぶ」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-kouzai-katou-1.html
松枝 茂純君の「香西宣良君の思い出」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-kouza-matueda1.html
なにわ会HPのトップペイジをチェックして修正した。現在取り込んである数は次の通りである。
海兵記事 15
遺墨関連 46
その他 5
戦記関連 326
戦没者関連 183
物故者関連 363
目次 310
名簿 15
分隊監事 3
訃報 18
分隊別写真 8
戦没者 4
記録 5
写真 12
資料 12
合計 1325
3月26日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
6月4日の靖國神社永代神楽祭について上野三郎君から、「昨年の実績からみて参加費を今年は懇親会までの参加者3,500円、参拝のみの参加者1,000円にしたい」と電話があり、会計幹事の深尾秀文君とも相談して上野案のとおりとすることにした。4月初めに昨年の参加者及び連絡希望者(なにわ会だより第3号11頁参照)に往復葉書の案内を出す予定。
3月27日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
3月28日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
高嶋 肇(901空 偵察)
東支那海の索敵に発進、敵機と交戦戦死(一式陸攻)
この日の戦後物故者。
上原 一郎 1996年3月28日逝去
野崎 貞雄君の「上原 一郎君弔辞」↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-uehara-nozaki1.html
右近 恒二君から次の手紙を頂いた。
『なにわ会だより第4号有難く拝受しました。クラスの人々の現況が分り嬉しく思っています。HP管理後継者原田氏の御親戚に当たる原田盛之氏は懐かしい方です。旭川中学の1期先輩で中学では面識ありませんでしたが、私が入校の時、色々な心得など懇切なお手紙を頂き感激しました。
71期には旭川中学から6人入りましたが、5人戦死、残り1名の方も戦闘機乗りで、空戦で右手を失い生還されましたが数年前に病死されました。因みに72期では4人注2人戦死、先に間中君が亡くなって残りは私1人になり、何か感慨に耽るこの頃です。
1000年に1度とも言われる地震、津波による被害は凄まじく、犠牲者数万、予備自衛官の招集など、まさに戦争の様相です。
中でも、原発の事故は元電力社員の私として東京電力の苦衷の程を察します。原発は必要上全部海岸沿いにあるので、何処でも災害の可能性は考えられます。被災者の方々へのお見舞いと1日も早い復興を心からお祈りするばかりです。
名簿を有り難うございます。住所は、だより本文にあるとおり変更になっていますので訂正をお願いします。』
71期の原田盛之氏は旭川中学卒業で、2号の時は31分隊で相澤善三郎君が同じ分隊だったと思います。駆逐艦梨で昭和20年7月28日戦死されています。この時梨には左近允尚敏君が乗っていた。
3月29日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
戸塚 弘(381空 戦闘機)
南支那海で船団護衛中、P−38数機と交戦戦死(零戦)
この日の戦後物故者。
森山 晃 1994年3月29日逝去
山下 武男君の「森山晃君への弔辞」↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-moriyama-yamasita1.html
村山 隆君の「ライオン眠る」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-moriyama-murayama1.html
平成23年3月25日の海上自衛新聞に今次東日本大地震関連の自衛隊の活動の記事があったので要点を転載する。
防衛省・自衛隊は初災直後から航空機による罹災情況偵察、関係自治体に連絡官派遣、行方不明者や孤立者の捜索救助、緊急物資の輸送等を行っている。また、損壊した福島第一原子力発電所に対しては消防のハイバーレスキュー隊などと連携をとりながら冷却のための放水などおこなっている。
23日現在、人員約10万6千人(うち海上自衛隊約1万5千3百人)回転翼航空機230機、固定翼航空機323機、艦船50隻が活動、19日までに19,430人を救助した。
海上自衛隊の活動は次のとおり。
1446 地震発生
1450 自衛艦隊司令官 出動可能艦艇に出動命令を出す。
1456 P-3C哨戒機が情況偵察開始
1457 海幕 特別勤務態勢
1504 哨戒機・救難機計7機発進
1540 護衛艦16隻出港、三陸沖に向かう
派遣部隊は最大時(18日)
艦艇59隻、航空機約100機人員16,000人
海上自衛隊による救助人員は23日午前6時現在896人。救援物資の輸送は糧食約21万食、飲料水約6千g、毛布約1万5千枚、ガソリン・経由3万2千g、灯油約7万g、乾電池約5万2千本等である。
海兵75期会は期友も高齢化し、活動が困難になってきて、平成24年3月末をもって期会の活動を終了し解散することになった。そこで、75期終結総会行事を23年5月9日(月)にホテルニューオータニで行われます。この懇親会に臨席して欲しいと案内状を頂きました。
宮田 實君から連絡あり。新しい名簿の電話番号 0347-を0467-に訂正してください。
3月30日
この日の戦没者 67前 昭和19年
菊池 祥一(若竹 駆逐艦)
パラオ西水道で敵機の空襲を受け交戦中、大爆発を起こし沈没戦死
66年前 昭和20年
河合不死男(1回天隊 回天)第1回天隊長として第18号輸送艦で沖縄へ進出の途中、沖縄周辺海面で攻撃を受け、搭載中の回天8基と共に消息を絶つ。
多賀谷虎雄様(元搭乗員・一飛曹)の追悼:「"鉄の団結"誇った白龍隊」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kawai.html
小灘 利春君の「忘れ難い人たち」 河合不死男の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kawai-konada1.html
河合不死男 白龍隊隊長が出撃前に残したアルバムの記事↓がある。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/kawai_fujio/fujio_album/fujio_album-top.htm
河合不死男の写真集
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kawai-syasinsyuu.html
この日の戦後物故者なし。
3月24日に亡くなった堀田正元君宅にやっと電話が通じました。堀田君は医者にもかからず元気にしていましたが、2月頃から食欲が無くなりました。本人は大の医者嫌いでなかなか医者に行かず、家族が3月2日になって無理やりに医者に連れて行きました。そしたら、もう癌が身体全身廻って居り、高齢の為手術も出来ず、そのまま入院、24日息を引き取ったとの事でした。
74期の談話室に「第一級の情報による配信」と題した投稿記事があります。なかなか興味深い記事です。是非ご覧ください。なにわ会HPのリンク目次から入れます。
3月31日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
増田 佐輔・嶋野 辰雄(伊8 潜水艦)
20.3.20沖縄南方に向け佐伯出撃、30日深夜沖縄周辺海面で爆雷攻撃を受け浮上,砲戦中被弾沈没(戦死認定)
(米護衛駆逐艦ストックトン及びモリソンの爆雷攻撃を受け31日0412浮上砲戦中、被弾沈没:米軍資料)
白井 刊徳(1081空 大艇操)
横浜基地発進、九州南方で消息を絶つ(二式大艇)
この日の戦後物故者なし。
「昭和20年6月23日、千葉県山武郡源村(現在は東金市三ケ尻)上空で戦死した上野典夫海軍少佐の慰霊碑について、HPに掲載してあるが、この慰霊碑を千葉在住の泉 五郎君が苦労して捜しあて、お参りして呉れた。
平成23年度永代神楽祭の案内の往復葉書を作成、明日発送する。今年も昨年に引き続き上野三郎君が世話役として面倒を見てくれるが、来年以降はどうするか、誰か窓口として世話役を引き受けて欲しい。適任者が無ければ、参拝だけとして懇親会は行わないことになるでしょう。ご意見頂ければ嬉しい。
昨3月30日の永代神楽祭兵に74期の会員等が35名参加した。。