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平成22年5月13日 校正すみ

畠山宗次君の死を悼む

早崎 義範

3月25日、突然畠山君死去の報に接し驚き入りました。告別式は同日午後3時から芦屋の自宅でとのことなので、取敢えず連絡のとれる在阪諸兄にお知らせし、三好君に72期一同からの香典と花輪一対を先行して届けていただき、私も会葬させていただくことにしました。告別式は春雨けぶる芦屋の高台にある自宅で厳粛に行なわれ、畠山君在世中の勤務先神戸銀行の方々にお世話いただきました。奥様始め3人のお子様方のご悲嘆の程如何ばかりかとお察し申した次第です。

以下奥様からお聞きした状況をご報告します。

1 畠山君は8年前肝硬変のため3年ほど療養生活が続きましたが、一応良くなり5年余り会社勤務を続けた処で、去年10月病気が再発し、43年3月24日午後4時過ぎ治療の甲斐なく亡くなられたとのことです。

2 ご遺族は八重子夫人のほか、由紀子さん(昭27年9月6日生まれ・神戸高校1年)、

節子さん(昭29年11月1日生・山手中学2年)、

修一郎君(昭33年8月22日生・小学4年)、

それに畠山君のお兄さん一人(広島)、奥様のお姉さん一人(九州)で、畠山君および奥様のご両親はどちらも亡くなられたそうです。

3 ご遺族の今後のご予定は、現住所(略)に引続き住まわれることになり、奥様は神戸銀行健康保険組合嘱託のお仕事をされるとのことです。

4 畠山君より級友への言伝を、とお聞きしましたところ「主人が病弱でしたので、級会にもご遠慮させていただいておりましたが、亡くなる前に『子供等が大きくなって就職するような時には、72期の畠山の子供だからといって級友を訪ねて相談に乗ってもらうように』と何度も繰返し申しておりました。それまでは何とか頑張るつもりですから、どうかよろしくお願いします。」とのことでした。

 畠山君の経歴は、広島一中出身、潜水艦、東大法学部、そして神戸銀行本店調査部勤務でした。

最後に奥様からの書面をのせさせていただいて、鳥山君の追悼にかえたいと思います。

「陽春の(みぎり)、御貴家御一同様には益々御清祥にお過しの御事と存じ上げます。過日亡夫宗次儀葬儀に際しましては、ご懇篤なるご厚志を賜りまして、ご芳情の程誠に有難く厚く御礼申し上げます。皆様には御多忙中をわざわざ御会葬頂きまして、本当に嬉しく存じました。兵学校時代の皆様が、かくも御慰めして下さるのかと思い、感謝で一杯でございます。気が抜けたようで泣いてばかりおりましたが、最後まで子供の事を心配しておりました主人のためにも、3人の遺児の育成に最善をつくすことこそ、唯一の追善と存じ、頑張って行きたいと思います。今後共よろしくお願い致します。つきましては、甚だ勝手ではございますが、皆様方のご厚志を遺児養育費に当てさせて頂きたく存じますので、何卒よろしく御諒承下さいませ。

畠山八重子」

追記

級友諸兄へ十分な連絡がとれませんでしたことを、紙上を借りてお詫び致します。

(なにわ会ニュース14号11頁 昭和43年5月掲載)

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