11月16日
戦没者 なし
戦後物故者
大熊 直樹
平成5年 11月16日 逝去
大熊君は南鳥島で活躍しており、その手記が↓に在る。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-1-minamitorisima-ookuma1.html
投稿時の編集長押本直正君の所感、
『大熊少、中、大尉、「この孤島での一年半の奮戦中、クマさんは二階級進級した」 長期間南海の孤島で苦戦した。』
小野 義市の「大熊直樹君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ookuma-ono1.html
向井壽三郎の「追悼 大熊直樹博君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ookuma-mukai1.html
吉田 修の「大熊 直樹君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ookuma-yosida1.html
昨日の東京クラス会の時、参加者全員の写真を2人ずつ写したつもりだったが、次の3枚以外は何故かぼけていてものにならなかった。
11月17日
戦没者 67年前 昭和19年
嶋津義公・谷口 哲( 神鷹 空母)
敵潜の雷撃を受け東支那海で沈没戦死
戦後物故者
菅井 超
平成13年 11月17日
逝去
泉 五郎の「菅井 超君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-sugai-izumi1.html
なにわ会だより第100号の記事で取り込んでいなかったのがあったので逐次取り込んでいる。」
11月18日
戦没者 67年前 昭和19年
井上 哲(
伊177 潜水艦 )
19.9.19パラオ方面に向け呉出撃、ウルシー偵察後パラオ北西海面で消息を絶つ(戦死認定)
(米護衛駆逐艦サミュエル・S・マイルスのヘッジホッグ攻撃により19.10.3沈没:米軍資料)
戦後物故者 なし
11月19日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
多田圭太(
戦407 戦闘機)
神風特別攻撃隊第2朱雀隊としてレイテ湾の敵艦に突入戦死(零戦)
本山 和男の「多田圭太の思い出」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tadakeita-motoyama1.html
編集部の「大西長官と多田圭太」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tadakeita-hensyuubu.html
戦後物故者 なし
なにわ会のTOP頁をチェックし、取り込んである件数を修正した
総数 1639件
ニュース記事 1083件(海兵記事15件、遺墨関係50件、ニュース100目次48件、戦記329件、戦没186件、
物故429件、その他6件)
目次 478件
名簿 15件
戦没者 17件
訃報 15件
分隊別写真 8件
教班別写真 3件
分隊監事 4件
物故者 8件
資料 16件(海軍兵学校の歴史、クラス会、幹事一覧、ネト会員の頁、歩こう会、21年以降なにわ会、
海上自衛隊高級幹部歴代、同最近、宣戦の詔勅、終戦の詔勅、学校資料、工藤俊作検証、海軍機関学校の沿革、イラク戦争批判)
記録 9件(クラス会史抄、江田島行事、72期略年歴、72期の変遷、機53期の戦没記録、八雲行脚、八雲残照、海軍3校入試情況、海軍3校戦没情況)
昨日泉五郎君から戦没者総数を卒業生数で割り更に戦争に従事した月数で割った戦没率B(%)は割った期間が間違っているので、戦没率も間違っていると電話を貰った。チェックしてみたら72期以前のクラスが全部間違っていた。そこで訂正して計算し直してHPを訂正した。その結果次のようになった。
海軍兵学校
戦没率Aでは68期、70期、69期、67期、65期、71期、72期、73期の順だが、戦没率Bでは72期、73期、71期、70期・68期、69期、67期、65期、66期の順である。即ち卒業後終戦まで平均毎月2.33%(14.6人)が戦死している。
海軍機関学校
戦没率Aでは50期、51期、53期、52期、48期、46期、49期、54期の順だが、戦没率Bでは53期、54期、50期、52期、51期、48期、46期、49期、47期の順である。即ち53期卒業後終戦まで平均毎月2.23%(2.5人)が戦死している。
海軍経理学校
戦没率Aでは30期、34期、32期、31期、33期、29期、26期、27期の順だが、戦没率Bでは34期、33期、32期、30期、31期、29期、26期、27期の順である。即ち34期が一番多く卒業後終戦まで平均毎月2.48%(1.63人)が戦死しており、次いで33期が1.62%(0.86人)が戦死している。
11月20日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
吉用茂光・
山脇美代次 (伊54 潜水艦)
19.10.15比島東方海面に向け呉出撃、敵機動部隊に作戦後消息を絶つ(戦死認定)
(米駆逐艦グリドリー及びヘルムの爆雷攻撃により19.10.28沈没;米軍資料)
福田 斉(6艦隊司令部付 回 天)
回天特別攻撃隊菊水隊としてウルシー泊地の敵艦に体当り戦死
(伊47より発進)
佐丸 幹男の「ウルシーに散った福田斉少佐」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukudahitosi-samaru1.html
村上 克巴
(6艦隊司令部付 回 天)回天特別攻撃隊菊水隊としてパラオコッソル水道の敵艦に休当り戦死
(伊37より発進)
佐丸 幹男の「波のような男 村上克巳少佐」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-murakami-samaru1.html
出雲 博 様の『私の出会った「大切な人」 村上克巴少佐の言葉』の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-murakami-izumo1.html
回天特攻で戦死したなにわ会会員は兵8名、機5名、計13名であるが、この2名が最初の戦死者である。
戦後物故者 なし
11月21日
戦没者 67年前 昭和19年
森下正美(金剛
戦艦)・内田源吾(浦風 駆逐艦)
ともに台湾海峡(基隆沖)で
警戒航行中、敵潜の攻撃を受け沈没して戦死
この日の戦後物故者
中西健造 平成15年11月21日 逝去
大村 哲哉の「中西 健造君逝く」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakanisiken-omura1.html
向井壽三郎の「」中西君 篤い友情有り難うの記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakanisi-mukai1.html
加藤 種男の「中西健造君の急逝を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakanisi-katou1.html
機55期の大久保君から電話で、先日ブログに書いた戦没者の表を京都のクラスメイトが近く行われる京都70Thの会で会員に配布したいが良いかと電話を貰った。大いに結構です。ご利用下さいと返事した。
11月22日
戦没者 67年前 昭和19年
坂本 博(戦308 戦闘機)
鹿屋基地で訓練飛行中、不時着して殉職(零戦)
戦後物故者 なし
11月23日
戦没者 67年前 昭和19年
寺本実三(攻256 偵察)比島レイテ クラーク基地を発進、レイテ湾の敵艦船攻撃後戦死
戦後物故者 なし
なにわ会のHP資料に在る『海軍兵学校の歴史』は字が小さくて見にくいので修正してみ易くした。
11月24日
戦没者 67年前 昭和19年
中岡克輔(攻5 偵察)
レイテ湾の敵艦攻撃の為基地発進後消息を絶つ
酒井 洋(戦851 偵察)
月光を硫黄島に空輸中、同島上空を報告した後消息を絶つ(月光)
戦後物故者 なし
11月25日
戦没者 67年前 昭和19年
小沢易一・井ノ山威太郎(熊野
巡洋艦)
比島サンタクルーズで敵潜の雷撃に続き、敵機の攻撃を受け沈没して戦死
加藤 孝二の「小沢易一の思い出」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-ozawa-katou.html
弟 井ノ山隆也様の「「兄と私」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-inoyama-otouto1.html
詫間 一郎の「戦友を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-isii-inoyama-sigemori1.html
田邊 正(攻3 艦爆操)
比島クラーク東方海面で神風特別攻撃隊吉野隊として敵艦に突入して戦死(彗星)
戦後物故者 なし
11月26日
戦没者 67年前 昭和19年
石川淙三(302空 戦闘機)横須賀航空隊北端に不時着、大破炎上して戦死 (雷電)
戦後物故者なし。
昨日藤田直司君の訃報を流した。突然の葉書が来たが詳細分らず、電話してみたが電話もでなくて詳細分りません。ご存知の方居られたらご一報下さい。
11月27日
戦没者 67年前 昭和19年
大村謙次(戦317 戦闘機)神風特別攻撃隊第1御楯隊として、サイパン島アスリート飛行場に突入して戦死(零戦)
加藤 孝二の「故大村きぬ様の手紙」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-oomura-katou1.html
木村 力(攻265 偵 察) 比島クラークで敵機と交戦して戦死
戦後物故者
春日 仁
平成19年11月27日 没
泉 五郎の「追悼 春日 仁君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-kasuga-izumi1html.html
ご遺族の長女 春日美智子様、次女 磯部小舟様、孫 磯部 理君のお言葉と春日君本人の人生を振り返っての言葉の記事 下 にある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-kasuga-izoku1.html
11月28日
戦没者 67年前 昭和19年
飯塚勝男(戦313 戦闘機)比島上空航空戦において交戦して戦死(零戦)
戦後物故者
伊達 利夫
昭和24年 11月28日
義兄 横山 逸二様の「伊達 利夫について」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-datetosio-yokoyama-gikei1.html
11月29日
戦没者 67年前 昭和19年
菊池芳夫・佃 次郎(信濃
空母)
潮岬南方海面において
敵潜の雷撃を受け沈没して戦死
澤本倫生の「菊池芳夫君について」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kikutiyosio-sawamoto1.html
戦後物故者 なし。
機55期訃報
木谷 正城 様 H23. 7.11逝去
11月30日
戦没者・戦後物故者もなし。
19年11月、1月間の戦没者は38名(水上艦艇13名、潜水艦1名、航空部隊22名、回天2名)であった。回天の戦没者の始まりであり、航空部隊会員の戦没が増え始めた。