11月1日
あの猛暑もつい先日の様な気がするが、もう11月になった。
さて、67年前の10月、25日のレイテ沖海戦の日には何と1日で22名(なにわ会全員の2.7%)の戦死者を出し、10月一月で68名(同じく8.6%)が戦没していた。この68名中、38名が航空関係者で艦艇、潜水艦関係30名より多くなった。そして、11月に入ると、この月の戦没者は40名で、その内訳は艦艇9名、潜水艦2名、回天2名、航空27名となっており、航空関係の戦没者が多くなってきた。
この日の戦没者 67年前 昭和19年
長尾栄二郎(
攻3 艦爆操)比島レイテ方面航空戦で戦死
小林 博(攻405 偵察) 比島タクロバンの敵部隊攻撃中戦死(銀河)
戦後物故者無し
他のクラスの訃報
兵70期 常井成一郎 様 H23. 3.13逝去
兵74期 畠山 武 様 H23. 9.12逝去
兵7T期 速水 経康 様 H23. 7.11逝去
11月2日
戦没者
67年前 昭和19年
依田興二(
戦313 戦闘機)・桜井 長(戦407 戦闘機)
比島オルモックで船団直衛中、敵機と交戦戦死(零戦)
戦後物故者
西川 賢二 平成11年11月2日 逝去
丸橋恵美子様(娘)の「父 西川賢二」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nisikawa-maruhasi1.html
小河美津彦の「西川 賢二君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nisikawakennji-ogawa1.html
間中 十二 平成21年11月2日 逝去
海上自衛隊
第22航空群司令(長崎 大村航空基地)の渡邊様から次のメールをいただきました。
『我々が勤務しております大村には、先の大戦中は、海軍大村航空基地及び第21海軍航空工廠がありました。
航空廠については、当時、学徒動員等で勤務されていた方々による奉賛会により、空襲による犠牲者を追悼する慰霊塔も市内に建てられ、毎年、追悼式が実施されております。 これには、当基地としても儀仗隊、ラッパ隊等を派遣し、支援を行っておりますが、一方、海軍航空隊に関しては、少なくとも、大村では顕彰追悼がなされていないと認識しております。
大正11年開隊以来、数多の搭乗員の方々がこの大村基地から飛び立ち、多くの方が大陸で、また本土防空で、そして特別攻撃隊として散華され、あるいは訓練中の事故で殉職された歴史を想う時、同じ地で現在、航空部隊として飛んでいる我々にとって、海軍航空隊の追悼をしていくべきではないかとの思いを募らせております。
現在の当基地内には、昭和41年に建立された「殉空」の碑があり、裏には、当時の海上自衛隊
大村航空隊司令 伊藤孝太郎1等海佐(兵64期出身)の書により、
「UF殉難の日に当たり、大村海軍航空隊の英霊とともに合祀してこの碑を建立する」
とされています。
(注:「UF」:昭和40年、海自大村航空隊所属機として、初めての事故により搭乗員が殉職した「UF−2」飛行艇)
碑建立の趣旨からすれば、基地内にあるこの碑の前で追悼を実施させていただくのが適当であり、海軍大村航空隊が開隊した大正11年12月1日にちなんで、本年12月1日に「訓育」の一環として、海軍大村航空基地の歴史を顕彰するとともに、基地としては初めてとなりますが、所属隊員で、「殉空」の碑の前で、ささやかながら追悼式を実施したいと考えています。
一方、長崎ご在住で、海上自衛隊での講演もお願いしている、なにわ会会員池田武邦様に「なにわ会」のお話も伺ったことがあり、貴会のWebsiteで、さまざまな戦記等を読ませていただく中で、昭和19〜20年に大村の352空で勤務されていた、広島出身の岡本俊章氏が現在もお元気でいらっしゃるのではということに気がつきました。
12月1日に計画しております追悼行事は、あくまでも自主的に実施するものではありますが、もし、岡本氏においでいただけるのならば、参加していただき、また、お話を伺う機会をいただけないかと思いまして、可能であれば、ご連絡先を教えていただきたく、失礼とは存知つつ、「なにわ会」Websiteの「管理人」にありました伊藤様のアドレス充てにメールを差し上げた次第です。
なお、池田様も、もし大村基地で追悼行事を実施するのであれば、大村の部隊配属だったの同期も多く亡くなったので、参加させてもらいたいとのことでした。突然のお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。』
上記メールを頂いたので、此のメールを岡本君に転送し、本人の了解を得て彼の住所、電話等を知らせた。
11月3日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
猪口 智(戦165 戦闘機)比島タクロバンの敵飛行場を奇襲、反撃を受け戦死(零戦)
妹 星野 道子様の「追悼の辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-inoguti-hosino-tuitou.html
戦後物故者
大楽 峻 昭和63年11月3日 逝去
伴 正一の弔 辞「大楽峻君の死を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-dairaku-ban1.html
山之内素明の「大楽 峻君のこと」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-dairaku-yamanouti1.html
11月4日
戦没者・戦後物故者共になし
74期訃報
丸山 攝 様(1学年27分隊) H23.11. 2逝去
坂井 法男 様(1学年19分隊) H23.11. 3逝去
機55期訃報
川島 亮 様 H23.10.29逝去
11月5日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
武井 敏薦
・冨井 宗忠(那智 巡洋艦) マニラ湾で敵大編隊の爆撃を受け交戦、沈没戦死
「冨井宗忠の遺した品々」という記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tomii-hensyuubu1.html
近藤圭太郎
(戦303 戦闘機)
航空撃滅戦中、バムバム飛行場上空で交戦戦死(零戦)
近藤 政恵様の「長兄圭太郎を想う」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kondoukeitarou-imouto.html
戦後物故者
吉田 博 平成8年11月5日逝去
高田 俊彦の「吉田 博君の死を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosida-takada1.html
11月6日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
池田 仲光(戦316 戦闘機)B29迎撃のため上空哨戒中館山西方に不時着後戦病死(零戦)
畠中 重信(偵12 偵察) マニラ東方洋上比島沖索敵中、消息を絶った。(彗星)
戦後物故者なし
74期訃報
佐藤 正己 様(1学年22分隊) H23.10.14逝去
昭和9年から13年までの海軍兵学校の歴史に関する資料が手に入ったのでHPの資料の海軍兵学校の歴史を訂正した。
11月 7日
戦没者 67年前 昭和19年
長尾 利男( 302空 艦爆操)
彗星空輸のため、霞浦から厚木に向かう途中、箱根山中に墜落して殉職
戦後物故者
高井 実
平成16年11月7日
逝去
東條 重道の「高井 實君の逝去を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takai-toujyou1.html
前にもメールを頂いた長波会の岩永さんから下記の写真入りメールを頂いた。
『本日、京都霊山護国神社で行われた長波慰霊祭に行ってきました。
あいにくの雨でしたが、私の長女と長波生存者、初田兵曹(平成五年没)のご子息と三名で何とか無事玉串を捧げてきました。本殿での参拝前に長女に参拝の作法を教えながら手洗い場で手を洗い清めていたら、バカなカップルが手洗い場の縁に腰掛けお茶を飲んでいました。腹が立ったので、嫌みを込めて「日本の方ですか」と声をかけたら「日本人です」と言うので、「ここはお茶を飲みながら休憩する場所ではありません」と注意しました。バカなカップルは「そうなんですか」謝りもせず、その場を立ち去りました。今の日本人は礼儀や作法を知らなすぎると痛感しました。
つまらない写真ですが慰霊碑の前で撮った私と長女の写真を添付します。』
11月8日
戦没者 67年前 昭和19年
大杉 保夫(鷺 水雷艇)
ルソン島西方海面で対潜掃討中、敵潜の雷撃を受け、沈没して戦死。
戦後物故者なし
先日からHPのニュース目次をチェックし、所要の修正を行っている。1号から60号まで修正した。
その途中で、兵学校の分隊監事は取り込んであったが、機関学校の分隊監事が取り込んでなかったので、取り込んだ。
11月9日
戦没者、戦後物故者ともになし。
左近允尚敏君から懐かしい昭和46年10月の呉における会の写真を送ってもらいました。
皆若々しいですね。でもそのうち12名が鬼籍に入り寂しいことです。
左から(赤字は物故者)
後列 鏡、伊集院、左近允、木庭、藤井、長山
中列 佐藤秀一、岩元、槇原、伊藤正敬、平川、阿久根
前列 田上、松元、宮田、角田、磯山、飯田
11月10日
戦没者無し。
戦後物故者
三笠 清治
平成17年 11月10日
椎原 国康の「三
笠清治兄の葬儀に参列して」の記事 ↓ がある。
泉 五郎君
から電話があって、戦没者の戦死率について紹介があった。
そこで、調べてみたら全体の戦没率はあるが、期間で割ったのが無かったので、新たに作成した。
これは戦没者の数を卒業生総数で割ったものをさらに卒業後終戦までの太平洋戦争期間(月数)で割ったもので、それによると、1か月あたり、一番多いのは、経理34期の2.48人、次いで兵73期の1.91人、機54期の1.79人と続き、そのあと、兵72期の1.53人、機53機の1.47人と続いている。
72期は、卒業後1年間の戦没者は42名で、終戦後の戦没8名を除き大部分は終戦前1年間に戦没している。
細部はHPの海軍三校入試状況及び戦没情況調べ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/nyuusioyobisenbotujyoukyou1.html
を見て下さい。
兵74期訃報
岩崎 孝志 様(1学年8分隊) H23. 8.13逝去
機55期訃報
飛塚 敬一 様 H23.10.31逝去
11月11日
戦没者 67年前 昭和19年
恵美 純吉(若月
駆逐艦)・坂巻 和一(島風 駆逐艦)
第3次多号作戦のためマニラ発オルモック着、揚陸作業中、敵機約150機の攻撃を受け沈没して戦死
木村 G(254空 戦闘機) 比島オルモックで航空戦に参加、敵機と交戦戦死(零戦)
弟 木村 靖様の「桂さんが亡兄の墓参り」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kimura-katura.html
戦後物故者
田中 宏謹 平成7年11月11日 逝去
インディアナポリスを雷撃した伊号第58潜水艦航海長として活躍した。
インディアナポリスは1945年7月26日にテニアンに原子爆弾を運んだ後、7月30日伊58潜の雷撃により沈没した。
山田 穣の「田中 宏謨君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tanaka-yamada1.html
名村 英俊の「追想・故田中 宏謨君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tanaka-namura1.html
先日から取りかかっていたHPのニュース目次のチェック終りました。ニュースの記事を成るべく取り込んでいますが、すべてではありません。ただし、項目名だけは全部つもりです。
例えば『田中 宏謨 名村 英俊』と打ち込めばその頁が出て来ます。
又、『木村 G 桂 理平』と打ち込めばその頁が出て来ます。
とても便利ですので、古い記事を捜すのに活用して下さい。
この作業中次の記事に気がついた。
『十八年十ケ月の生涯・有村信義君 押本 直正
今年二月二十日、お姉さんの大石フミさんの御案内で日田市丸ノ内町大超寺にある有村信義君の墓参をした。有村君は大正十四年三月三十一日生れ、入校資格限度ぎりぎりのクラス最年少者、したがって昭和十九年二月二十七日、トラック島で巡洋艦香取乗組みとして戦死した時は、まだ十八歳と十ケ月余に過ぎなかった。数え年でやっと二十。』
若くして国に殉じた有村君の冥福を祈る。
11月12日
戦没者 67年前 昭和19年
達川猪和夫(戦402 戦蘭機)神風特別攻撃隊時宗隊として比島タクロバンで敵艦に突入戦死(零戦)
泉 五郎の「達川猪和夫海軍少佐」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tatukawa-izumi1.html
宝来 久道様の「海軍少佐 達川^和夫」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tatukawa-hourai.html
戦後物故者
吉峰 徹 平成17年11月12日逝去
名村 英俊の「吉峰 徹君を偲んで」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosimine-namura1.html
11月13日
戦没者 67年前 昭和19年
牧 太郎(201空 戦闘機)神風特別攻撃隊正行隊としてマニラ東方海面敵艦に突入戦死(零戦)
戦後物故者
鬼山 隆三 昭和55年11月13日 逝去
三好 文彦の「追悼 鬼山隆三君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-oniyamaryuuzou-miyosi1.html
中川 好成 平成22年11月13日 逝去
23年9月、10月のブログを整理してHPに取り込んだ。
11月14日
戦没者 なし
戦後物故者
吉田 義彦 平成2年11月14日 逝去
三好 文彦の「吉田 義彦君を偲んで」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosidayosihiko-miyosi1.html
大坪 久幸の「吉田 義彦君逝く」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosidayosihiko-ootubo1.html
坂元 拓運 平成21年11月14日 逝去
明日は待望の東京クラス会である。計画は次の通り。
1 日時 平成23年11月15日(火) 13:00〜15:30 2 開催場所: アルカディア市ヶ谷 7F琴平
3 会費 6.500円(通信費、雑費500円含む) 4 参加予定者 28名
11月15日
戦没者、戦後物故者ともになし。
68年前の昭和18年11月15日、海上勤務の我々は、実習艦 山城、伊勢、八雲、龍田における一期候補生の実習を終えて、退艦、拝謁の為東京に向った。
先日逝去された故西島安則海軍機関学校同窓会会長の追悼同窓会が平成23年11月13日12:00より、「アサヒスーパードライ有楽町」で開催され、機53期から村山 隆君が参加した。(機55期HPから)
74期訃報
安藤 伸 様(1学年15分隊) H23.10.24逝去