平成22年4月27日 校正すみ
長兄圭太郎を想う
近藤 政恵
近藤圭太郎 |
今年もなにわ会靖国神社参拝にお招きいただきまして、ありがとうございました。おかげをもちまして、長らくこころにかかっておりました参拝をすませることができ、少しく安らかな思いで暮させていただいております。
靖国の奥殿にあがらしていただきましたこと、本当に感激でございました。そして、同期の方々のお姿を拝しなつかしくまた頼もしく存じ上げました。兵学校ご在学中の「クラス会写真」「分隊会写真」にてお目にかかりました時の面影は今にみえながら、五十余年の月日の経過を思わずにはおられませんでした。
戦中・戦後を通し、日本の平和・世界の平和のために身を捧げてこられた皆々様の辛苦・忍耐・ご努力のほどはお察しするに余りあることでございましょう。
それに加え、長い間、戦没者また遺族にたまわりました深いお心を思ふとき、感謝のことばも容易にみつけることができません。先にゆかれた方々も感応し、きっと感泣しておられることでございましょう。
長 兄 近藤圭太郎
弟と安んじて暮しませと母に言ひゐつ兄は征く夜に
兄の瞳の光れるが今も眼裏にあり決戦に出で立たん夜の
柱背に幼き妹を抱きしまま語らざりし兄よ死地に向ふと
征きて還らぬ兄の瞳の光れるも脳裏にありて我は老いゆかんとす
二十歳の兄戦闘機にて比島バンパンに散れり如何にか散りし
うら若き兵の果つるを見るに耐えずと言ひし兄も二十一を越えず
「三月の佳節台湾を後に比島に着き候」が遺書ともなれり兄征きて後
骨も遺品もなき帰還なり兄といふは白木の箱の小さき空洞
若くして逝きたる吾子を愛しみて父母手植えし山茶花常に茂れり
靖國の宮
靖国の宮居の奥の大鏡に亡兄は見るならむ弟妹の来つ
幾千万の人々の訪ひし靖国か階段はこすれ柱摩れゐつ
靖国の奥殿めぐらす大き材に手摩れしままの傷も畏し
靖国の奥処に生ふる木斜の茂りは探し悼むこころに
葉桜の木下にあまた白き鳩常世に歩むごとくに歩む
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(なにわ会ニュース82号11頁 平成12年3月掲載)