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平成22年4月27日 校正すみ

冨井宗忠の遺した品々

冨井 宗忠

  昭和19年11月5日、マニラ湾の那智で戦死した冨井宗忠君の遺品について、同君の弟、鎌倉在住に冨井宗昭氏(77期)から75期の中島靖夫氏を経て竹村氏に話があり貴重な遺品がみつかった。

 冨井宗忠君の父宗治氏は、機関学校19期(兵学校38期、小沢治三郎、栗田健男等とコレス)であった。弟 冨井宗昭氏は残念ながら平成18年11月1日逝去されている。

 この遺された資料は、兵学校の教科書、参考書は冊子数にして90冊を越え、保存状態もそう悪くない。当然のことながら兵学校教科書、参考書でも七十五期が貰っていないものも相当ある。特に伊勢の候補生教育資料関係などは日本中探してもこれだけしかないのではなかろうか。

 江田島考古学のみならず、海軍全体の文化財としても貴重なものである。

 これらの資料は海上自衛官であった神谷武久氏を通じて海上自衛隊に寄贈出来ました

≪内容について≫

1 72期の中の何十名かは兵学校卒業後伊勢へ配乗になり、そこで候補生教育を受けたらしい。

2 この資料は恐らく宗忠氏が那智で出撃する前に呉の水交社から自宅あてに送ったもので、軍艦伊勢の名が入った木箱と大型トランク各1個にいっぱいつまっていた。

3 内容は砲術士、運用士、航海士、甲板士官、副直将校、などの実務、分隊士としての事務、分隊員の考課、昇進手続、その他と広範囲で、術科、人事関係とも綴じた厚さが10pはある。

4 これら教育資料はすべて謄写版印刷である。恐らく指導官は歴代のネタ本があって原稿を書き、下士官兵に謄写させたものと思うが、なにしろ数百枚に及ぶプリントには脱帽である。

 また候補生はこれらをマスターしないと艦へ行ったときに物の役に立たないので必死に勉強したと思われる。海軍で兵学校の1号の配置がいちばんいいというのが迫ります。

5 中には伊勢の25mm機銃の配置や、12.7cm高角砲の配置、通信関係など「軍極秘」の赤印が捺してあるプリントもある。

6 軍令承行令、国際法などはご覧になっていないと思うので同封します。

 軍令承行令は海上自衛隊では指揮権継承と言っていますが、昔のハンモックナンバーに匹敵する幹部海上自衛官名簿といったものが存在するらしい。名簿の由来は知りません。

7 その他何故か兵学校の教科書、参考書、数十冊 75期と同じものもある。

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備考

1 .珍品は生徒作業簿。

 75期にもありますが、72期の入校から卆業まで約3年分1日も欠けずに全部揃っています。これで休暇、幕営、原村演習、游泳競技、弥山登山、宮島遠漕、期訓育などが分かる。

 ちなみに72期の作業簿と75期のそれとではフォームが違う。ということは、7374期は途中で作業簿の様式が変わったはずである。

2 .酒保で売っている手帳にプライベートな記入がある。こちらはタテマエの作業簿と違って本音が書いてあって面白い。

3 ノートも、この方は居眠りしていないのではないかと思うほど綺麗な字でしっかり書かれています。

「これだけ真面目であったら恩賜とは行かなくても伍長ぐらいではあったはず」など下馬評。 これらの手書きやプライベートな手帳は御家族に残して来ました。

4 .酒保伝票といったものもあります。

 我々は物品購入だけでしたが、72期の頃は酒保で飲食して、伝票を書いて置いて来る。酒保ではそれを毎月纏めて請求書を貼付して、生徒に戻すことになっていたようで、ノート、筆記具、靴滑りから、菓子、うどん、丼、羊羹などを食べた状態が判り、先輩もスカッパーであったことが分かって大笑いしたり、当時の値段もあって面白い。

これはメールで受信したものである。

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