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平成22年4月24日 校正すみ

戦友を偲ぶ

詫間 一郎

随分記憶も薄れてしまったようだが、未だにはっきり覚えている



クラスメートの思い出を供養のつもりで綴る。
詫間 一郎

石井勝信君 

石井 勝信 巡洋艦 球磨

 彼とは入校当初、同じ分隊で短期間ながら起居を共にした。色白の美男子で言動明快、そして日常の挙措動作の中に強い信念の持主である事を窺わせた。身体は一見華奢(きゃしゃ)のように見えたが、見かけによらず剣道の立合いを見た時などその迫力に驚いた。

卒業後、二人とも同じ十六戦隊に配属され、昭和十八年十二月上旬頃、彼は球磨、私は鬼怒に赴任、共に南方警戒作戦に従事することになった。そして、翌昭和十九年月某日、たまたま上陸した折、シンガポール・セレタの水交社の食堂において、久しぶりに彼に会った。その時、何を話し合ったのか忘れたが、彼は例の溌剌(はつらつ)とした顔でオレンジ色のパパイヤの大きな切身をニコニコしながら旨そうに食べていたのが極めて印象的で、これが彼の最後の姿となった。早期に逝った美男子の面影はいつまでも消えない。

 

井ノ山威太郎君 

井ノ山威太郎 巡洋艦 愛宕

 彼とは確か二回目の分隊で一緒であった。いつも体を左右に揺()すりがら軽快に動き回る活動的な態度と絶えず笑みを浮べて語る姿を思い出す。また同僚に対する温い思いやりのある言動は今でも有難く感じる。

 さて、彼との辛い別れは忘れもしない昭和十九年十二月二十四日から翌二十五日にかけて起きた。

 小生の乗艦鬼怒は比島近海における対空戦闘により沈没(十九・十・二十六)、波間を漂流中、味方海防艦に救助され、九死に一生を得てマニラに上陸、内地帰還の便を待つ内、レイテ沖海戦にて傷ついた艦船相ついで入港して来る。小生、青葉に便乗、十一月二十四日熊野と共にマニラを出港、内地を目指してルソン島西岸を北上する。何れも機関部損傷のため速力出ず。間もなくサンフエルナンド沖に仮泊して、カッター数隻にドラム缶を積み陸上に真水をとりに行く。(その頃、艦内はコップ一杯の飲み水にも事欠く程逼迫していた。)そして、同夕刻、青葉と熊野は洋上で横付けし、燃料か何かのやり取りをした。

 その折、小生橋桁を渡って熊野の井ノ山を訪ねたのである。彼は元気溌剌、相好を崩して喜び、今次戦闘における彼自身の活躍の模様を、身ぶり手ぶりをまじえて語ってくれた。

 別れ際に貴様は艦が沈んで不自由だろうからとて、自革の上等なバンド、シャツ、タバコ等を呉れた。(その時のバンドは戦後永くポロポロになるまで愛用した)

 さて、翌二十五日天気晴朗、波穏やか、ルソン島西岸の断崖絶壁に沿い、その沖合三〜四百米を航行中、小生青葉の後甲板にて見るとはなしに後続する熊野の姿を眺め居りし折、突然の連続する爆発音により我に返り、何事かと見渡せば、断崖の岩壁に数条の大水柱が立上っており、続いて間もなく腹に響くような重苦しい爆発音と共に後方熊野の側面にでっかい水柱が上るのが目撃され、あっと思う間もなく熊野は沈没し始め、瞬く間に艦橋からマストを最後に海中に没し、視界から消えて行きました。その間、青葉は急旋回して沖に向って直進、敵潜から逃れ窮地を脱し、あとは随伴の駆隊艦に任せたようですが、このできごとは、井ノ山と小生にとって昨日の今日のできごとであり、井ノ山の無事を祈りながらも、あの瞬時の間には艦内から脱出する余裕がなかったのではないかと筆舌に尽くせない悲痛な気持で一杯になりました。これが快男子井ノ山威太郎君の最後について図らずも小生が見届けた面影と情景であり、いつまでも私の脳裏に焼き付いている。

 このことについて、小生戦後舞鶴練習隊に勤務中、彼のご両親が来舞された折、ご報告できたことは、彼に対するせめてもの供養であったと信じています。

 

重森光明君

重森 光明 巡洋艦 愛宕

  彼とは二号の時、同じ分隊で過した。背は余り高くないが、体つき柔軟そうに、威勢よく手を振って歩く姿が目に残る。彼の面影や言動には彼特有の思慮深さと胆力を秘めているように見えた。一号不在間の下級生の取り仕切り時に、「俺はやるぞ、貴様も来ないか」と声を掛けながら真先に飛び出して行った彼の積極性と気力に辟易した。

 彼との別れは、捷一号作戦による出撃前、すなわち昭和十九年十月某日の夕刻、シンガポール・セレタ軍港内の上陸桟橋の上で起きた。当方は鬼怒から上陸してきた時であり、彼は沖の愛宕に帰艦するところであった。

 薄暗い桟橋の灯りの中に送迎の内火艇が錯綜し、桟橋上は慌しく、かつ物々しく行き交う兵員で大変混雑していた中で、偶然に彼とすれ違い、互いに振り返りながら「おーい重森」、「おー詫摩」、と叫んで近寄り、「元気か、出掛けるぞ」、「俺もだ」とやり取りしつつ、顔を近づけて固い固い握手を交わした後、彼は手を振りながら薄灯りの中に去って行った。

 別れにしては、ほんの一瞬のできごとでしたが、その時の重森の何かを語りかけんとする真剣な表情と手の温もりは、いつまでも小生の脳裏から消えない。

機関記念誌 50頁

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