12月1日
はや12月に入った。昭和19年12月には33名(水上艦艇11名、航空部隊16名、潜水艦6名)が戦没死している。10月、11月の戦闘で水上艦艇の被害が大きく、戦闘行動可能の艦艇が減ってきたのと、航空要員が実戦に参加し始めたこと、さらに潜水学校の学生を終了して潜水艦に配属されるものが出てきたこと等あって、上記の数となっているようである。
戦没者なし
戦後物故者
辻岡洋夫 平成18年12月1日 逝去
向井寿三郎の辻岡 洋夫君を悼む「」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tujioka-mukai1.html
左近允尚敏の「辻岡君を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tujioka-sakonjyou1.html
山田 良彦の「辻岡君を偲んで」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tujioka-yamadayosihiko1.html
12月2日
戦没者 67年前 昭和19年
吉羽 宏(伊46 潜水艦)
19.10.19比島東方海面に向け呉出撃、10.26船団を認め、報告後消息を絶つ(戦死認定)
鈴木敏旦・岩佐 肇(桑 駆逐艦)
第7次多号作戦のためマニラ発比島オルモック着、揚陸作業中、敵駆逐艦・魚雷艇と交戦し、沈没戦死
土井 仁(伊41 潜水艦)
19,10.18比島東方海面に向け内海西部を出撃、11.3敵機動部隊攻撃後消息を絶つ(戦死認定)
(米護衛駆逐艦ローレンス・C・テーラの爆雷攻撃により19.11.18沈没:米軍資料)
樋口 直君について
9月16日のブログに書いた樋口 直君のその後について矢田次夫君から情報を送って貰ったので紹介する。
樋口涼子様(樋口 直の次女で藤沢で同居)から矢田次夫君への葉書
『8月に骨折して二度手術を受けた父は入院生活も三カ月以上経ち、車椅子生活になってから、だいぶ認知症が進んできました。元気な時は、きちんと会話も出来るのですが、落ち込んだり、夜眠れなかったりして興奮することもあり、今までの父の態度とすっかり変わった姿を見ると寂しくなります。透析に通院することを考えるとなかなか自宅療養ということも出来ず、長期入院出来るところに移ることになりそうです。』
興村 忠彦 様(1学年9分隊) H23. 7. 9逝去
12月3日
戦没者 67年前 昭和19年
鈴木 健治( 302空 偵察)
B29迎撃に向い本州東方洋上で消息を絶つ(月光)
鈴木 健治の「海兵受験記」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/sonota-kaihei-jyukennki-suzuki1.html
戦後物故者なし
12月4日
戦没者 なし
戦後物故者なし
大田 威夫 平成9年 12月4日 逝去
浅村晃司の「太田 威夫君を偲ぶ 」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-oota-asamura1.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-oota-oota1.html
昨日本山和男君の訃報を流したが、本山君や、藤田君のように、家族葬で葬られる方が多くなって来たようである。その為、会員の訃報が分らず、会員の実態が把握できなくて困っている。これから、喪中のため年賀欠礼の葉書で分ることもあるので、会員の訃報を入手された方はぜひお知らせ頂きたい。
上野 三郎君、本山 和男君の訃報有り難うございました。
12月5日
戦没者・戦後物故者ともになし。
12月6日
戦没者 67年前 昭和19年
齋藤 徳道(伊 37 潜水艦)
19.11.8回天特別攻撃隊菊水隊の一艦としてコッスル水道に向け大津島出撃以後消息を絶つ(戦死認定)
(米護衛駆逐艦コンクリン及びレイノルズの爆雷攻撃により19.11.19沈没:米軍資料)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-saitou-yamada1.html
19・10・19■比島東方方面に向け呉出撃、11.4敵機動部隊を発見報告後、消息を絶つ(戦死認定)
(米駆逐艦ニコルスの爆雷攻撃により19.11.12沈没:米軍資料)
1号の時の35分隊伍長だった池田武邦君が先般東京に本拠を戻したので、当時の35分隊3号が『花の35分隊の番外会』を11月29日にお堀端の東京會舘で開いた。その記事が写真入りで74期談話室に出ている。
集まったのは1号 池田伍長夫妻、故小灘生徒夫人・長女、
2号 大曽根富久子
3号 伊藤成男夫人、北川智一夫妻、諏訪一鶴夫妻、田口康雅夫妻、樋口坦夫妻の計15名です。
12月 7日
戦没者 67年前 昭和19年
宮林 久夫(杉 駆逐艦)
比島西方海面にて敵機の空襲を受け被弾負傷、その後戦死
故宮林 久夫君の「母上宛の生徒のときの手紙」の記事 ↓ がある。の
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-miyabayasi-titihaha1.html
樋口 直の「宮林久夫君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-miyabayasi-higuti1.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-miyabayasi-hensyuubu2.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-miyabayasi-ane1.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-miyabayasi-ane2.html
矢田次夫の「能登路に宮林君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-miyabayasi-yadatugio-noto.html
難波 経弘(634空 偵察)
比島パナイ島発進後発動機故障、不時着の際、頭部を打撲戦病死(瑞雲)
戦没者 なし
刀根康之輔 平成16年12月8日 逝去
70年前の12月8日は真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった日である。この日特殊潜航艇で体当たり攻撃して戦死した9軍神があったが、そのうち捕虜となった1名の事を取り上げたドラマ『真珠湾からの帰還〜軍神と捕虜第一号(NHK総合 12月10日(土)夜9;00〜10:30)』が報道されます。
12月 9日
戦没者・戦後物故者 ともになし
12月10日
戦没者 67年前 昭和19年
藤範 純二(伊365 潜水艦)
19.11.1小笠原東方方面に向け横須賀出撃、11.25無線連絡後消息を絶つ(戦死認定)
(米潜スカッパード フィッシュに水上航行中を発見され雷撃を受け19.11.28沈没:米軍資料)
豊後水道対潜哨戒に発進後九州南方洋上で消息を絶つ(二式練艇)
戦後物故者なし
第3回海軍兵学校の会
12月7日(水)1200から77期が中心となり東京原宿の水交会で開催された。参加者は、最古参者が67期の市來俊男先輩、70期1名、72期の都竹君、以下73期〜78期合計百余名であった。
明年度は78期が担当して実施される。細部については74期の談話室参照。
戦没者 67年前 昭和19年
前田 政夫(卯月 駆逐艦)
比島方面作戦中比島オルモック湾で来襲した敵機と交戦、沈没戦死
戦後物故者なし。
12月12日
戦没者 67年前 昭和19年
水上 源一(戦401 戦闘機)
直衝を終え比島クラーク基地帰投時、他機に追突墜落し、戦病死(零戦)
戦後物故者
中垣 義幸 平成9年 12月12日逝去
戦没者 67年前 昭和19年
小松 弘(201空 戦闘機)
神風特別攻撃隊第2金剛隊として比島ミンダナオ沖の敵艦に突入戦死(零戦)
戦後物故者なし
小西愛明君から電話を貰った。11日、京都センチュリーホテルに於いて「京都ネイビイセブンティ会」が開催されて参加したと。機55期のHPを見たら次の記事があった。
『 今回の最先任は72期小西愛明氏以下73期1名、74期3名(白井 新一、西野 孝一、横山 嘉司)であと75期、76期、77期、78期で合計37名であった。 12:00懇親会に移り黙祷のあと小西さんの音頭により乾杯。和やかな歓談に花が咲き、14:30閉会、解散した。』
90歳近くになるといろんな会合で最長老になりがちである。小西君が乾杯の音頭を取っている写真があったので転載する。
12月14日
戦没者 67年前 昭和19年
片岡 啓造(201空 戦闘機)
神風特別攻撃隊第5金剛隊として比島ミンダナオ沖の敵艦に突入戦死(零戦)
神保 政夫(戦804 偵察)
索敵攻撃の為基地発進後、比島スルー海で消息を絶つ(月光)
粒良 久雄(鹿屋空 陸攻操)飛行訓練後、宮崎基地に着陸時、エンジン発火、墜落し殉職(一式陸攻)
戦後物故者なし
会費入金
安藤 昌彦君から銀行振り込みで入金
戦没者 67年前 昭和19年
杉山 充彦(桃 駆逐艦)
比島西方海面で敵機・敵潜の攻撃を受け消息を絶つ
神風特別攻撃隊第9金間隊として比島ミンドロ島沖の敵機動部隊に突入戦死(零戦)
敵空母攻撃の為基地発進、比島パナイ島で敵機と交戦戦死
戦後物故者なし
氏名 佐丸 幹男 君(機関科)(名簿40頁)
平成23年12月13日(火)心筋梗塞により逝去
(村山 隆君から電話で知り、詳細を佐丸雅昭様(佐丸君の長男)の方のメールで知った。
葬儀は家族葬で営まれます。
喪主 妻 和子様
御通夜 平成23年12月16日(金) 18:00〜
御葬儀 平成23年12月17日(土) 11:00〜12:00
式場 ベルホール三宝
横浜市泉区弥生台74−14 TEL045-804-0303
交通
相鉄線『弥生台駅』下車改札口出て右(バスローターリー側)徒歩10〜15分
市営地下鉄線『立場駅』下車、駅前バスロータリーより神奈中バス瀬谷駅行・下瀬谷行・上飯田車庫行のいすれかに乗車、『富士塚バス停』下車、徒歩1分
備考
佐丸幹男君は長年にわたってなにわ会ニュース、更になにわ会だよりの校正を担当してくれました。昨年から体調を壊し校正を辞退したいと申し出があり、その後療養に努めて居られましたが残念なことになりました。謹んでご冥福をお祈りします。