平成22年4月29日 校正すみ
能登路に宮林君を偲ぶ
矢田 次夫
去る五月十八日(水)から二十日(金)にわたり、北陸能登半島方面に安全保障懇話会(防衛庁の退職幹部の親睦団体)の研修旅行に参加した。小松空港から金沢を経て七尾湾沿いに能登半島を北上、緑剛岬、輪島、能登半島西岸を南へ、小松空港より帰京というコース。実は七尾湾の平和な海が見たくて参加したと言える.というのは昭和二十年二月〜七月、第一潜水隊(イ400、イ401、イ13、イ14の四隻)が最後の出撃猛訓練をした海である。「晴嵐」という水上攻撃機を搭載(第一潜水隊では合計十機保有)、始めはパナマ運河の爆撃破、後に太平洋上ウルシー環礁内の米海軍の大機動部隊攻撃に作戦目標を変えられ、血のにじむような訓練を重ねた基地となった海湾であったから、戦後四十三年を経て、その平和な姿をこの日で見たかったのである。第一潜水隊には、わがクラス(なにわ会)員十数名乗艦していたが。氏名は省略する。
この折に、自由時間を当て、門松安彦君(団体員)と現地金沢の西尾博君の三人で故宮林久夫君の実家にお邪魔し、御仏前に香を手向ける機会を得ました。ところが、故人のお引寄せでもあったか、当地のお祭りの日と全く重なり文字通り山海の珍味を頂きに参上した恰好となり痛く恐縮至極。既に宮林君の御両親は他界され、宮林家としては、どなたもおられない事情となり、そのため実柿土原弘子様、実妹大場幸子様など御姉妹に守られて、若き日の姿そのままに、温かく祭られており、痛く感動いたしました。生家の隣が土原医院で、ここ土原一二先生に嫁がれた姉弘子様が、実家宮林家の留守を預かっておられる。
土原先生御一家は、お医者様一家で、長男一弘様は外科の先生、敦子夫人との間の御子息一哉様は金沢医大、一真、一生様は高校等勉学中。また長女則子様は前文部大臣森喜朗先生の実弟)に嫁がれ御主人も整形外科医、二男一英様は夫人慶子様とともに宮林家をお継ぎになる模様です。又故人の実妹大場幸子様の御主人は歯科の先生です、というように文字通りのお医者様一家。
一二先生は八十歳に近い御年齢ながら、医術だけではなく広々とした庭の一隅に大根、胡瓜、玉葱等自ら育てる粋人でもあります。こうしたやさしい思いやりの中で眠り続ける故宮林は、さぞかし天高くいますことであろうと合掌しながら辞した。ここに改めて謹んで故宮林君の御冥福をお祈り申し上げますともに宮林家、土原家、大場家の皆様の一層の御健康と御発展を念じ、なにわ会誌をかりて御礼とします。
(なにわ会ニュース59号24頁 昭和63年9月掲載)