父の死
太田 学
12月3日 午後10時29分父は永眠しました。父は亡くなりましたが、私たちの心の中にずっと生きています。
父は13年前、大好きな山仕事の中で突然倒れ、不自由な生活となり、以来寝たきりの状態となりました。
この間、祖母と母の看病に支えられて来ましたが、その祖母と母に相次いで先立たれました。既に話すことが、不自由な父でしたが、この時の様子は痛々しいものでした。
しかし、それからの父は、今まで以上に親として、生きることの大切さを病床からですが、私たち子供に身をもって示してくれました。今月の19日は、母の命日です。二人仲良く、静かに過ごしていることでしょう。半人前の子供を残し、笑っていることでしょう。同期の皆様方より生前、父に頂きましたご厚情心からお礼申し上げます。
(故人が長女の千秋夫妻に宛てた左手できれいに書かれた手紙)
(その1)
のどかな春、うららかな春です。私の枕元には一輪ざしの彼岸桜が白く可憐に今を盛りと咲き誇っています。「花は桜木、人は武士」
と申しますが、吾々の兵学校の期友は、「散る桜、残る桜も散る桜」と申して、過半数が桜の花と散り果てたことに涙を催すのは、今日では私だけでしょうか。靖国の英霊のご冥福をお祈り申し上げます。ではまたの機会に。
(その2)
多くの方々と別れを告げて病院を去り、一路懐かしの我が家へ帰りました。外は春とは申しながら薄ら寒い日でした。帰り着いて、新しい気持で一首和歌を口ずさんでみました。
いつ来ても変らぬものは我が家なり
懐かしくあり、うれしくもあり
広い家広く眺めてすがすがし
窓に囀る鳥の音たのし
黄色くも窓辺に咲けりまんさく に
やがて桜も匂うなりけり
春祭り正気野山に満ちみちて
平和の日本知るぞうれしき
帰るその日を指折り数え
次は麻美と和也と母子3人の来る日を指折り数えて待つ喜びが出来ました。5月の10日頃でしょうか。その日の来るのが待たれてなりません。そしてその後に私が又刈谷へ行くことが一つの大きな楽しみとして毎日待たれます。今ではこの私が毎日々々楽しみの中に生きているようなものですね。本当に有難いことです。神仏のご加護があったのでしょう。
よくよく手を合せて感謝しましょう。自分は本当に仕合せ者であることを喜んでおります。
「笑うかどには福来たる」 そんな今日この頃です。今は仕合わせのために生きているこの自分であることに喜んでおります。では5月のご来県の日を鶴首して待っております。良秋の夜のすだく虫の音今はなし
月は輝き天に満ちつゝ
治さんと二人のチビッ子さん達にも宜敷くね。
(故人が最後に読んだ詩句)
雪の朝 渡りが一羽友もとめ
除雪車のあえぎくの朝の音
リハビリの日々のつらさに耐え抜かん
若草燃ゆる春は直ぐそこ
裏薮の小笹のゆれていたましく
下前草の雪に凍てつゝ
(2年前の12月先立った母の詩句、再入院して空いた父の部屋で作られた。)
秋探し庭の柿の葉うず高し
裏庭の柿の葉散りて柁しかり
残る実だにも顧るなし
(なにわ会ニュース78号11頁 平成10年3月掲載)