9月17日
戦没者なし
戦後物故者
星野 政徳 1947年9月17日 逝去
先日原田種睦君から前立腺肥大の手術体験談について電話を貰ったので、私の体験談2つを印刷して送った。そのお礼の電話を頂いた。
その体験談は次の通りHPに取り込んである。
前立腺高温度療法の経過と感想 ↓
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/zenritusen-kouondo1.html
前立腺レーザー療法による手術の経過と感想 ↓
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/zenritusen-re-za-1.html
もう8年前の記事であるが、前立腺肥大で悩んでおられる方が居られたら参考にしてください。
向井寿三郎君から先日、押本君が書いた海軍兵学校の教科書の記事を捜しているのだが、何処にあるか分らないかと電話があり、索引表で調べて教えてあげた。その記事を見つける事が出来たとお礼の葉書が来た。
9月18日
戦没者なし
戦後物故者
二谷 嘉郎 1986年9月18日 逝去
森川 恭男の「二谷嘉郎君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nitaniyosirou-morikawa1.html
安藤 満の「二谷嘉郎君の思い出」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nitani-andou1.html
巻 石蔵 1989年9月18日 逝去
中村 元一の「巻 石蔵君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-maki-nakamura1.html
桑原 義一の「巻 石蔵の葬儀に参列して」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-maki-kuwabara1.html
藤田 直司の「巻 石蔵のこと」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-maki-fujita.html
矢田 次夫の「故巻石蔵君のお墓参り」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-maki-yada1.html
11月15日の東京なにわ会について、9月17日までに返事のあった者
出席;旭 輝雄、伊藤正敬、上野三郎。都竹卓郎。松下太郎。
村山 隆、齋藤義衛、金枝健三 計8名、
欠席:佐藤 静、樋口 直、堀剣二郎、岩松重裕 計4名
74期訃報
黒澤 嘉幸 様(1学年7分隊)
平成23年8月27日 逝去
9月19日
戦没者・戦後物故者共になし
他のクラスの閲覧数(参考まで)
平成23年9月18日現在
(71期44,745件、73期50,860件、76期31,562件、機55期14,626件、経36期34,021件)
昨年の9月18日
(71期38,554件、73期45,178件、76期24,988件、機55期10,405件、経36期28,742件)
1年間の増加
(71期 6,191件、73期 5,682件、76期 6574件、機55期 4,221件、経36期 5,279件)
なにわ会のHPの9月18日現在の閲覧数は196,184件であり他のクラスとは比較にならない程多く見られている。
最近は他のクラスのHPは殆ど更新されていない。
74期訃報 恒明 様(1学年25分隊)
平成23年9月17日 逝去
9月20日
戦没者なし
戦後物故者
藤木 勲 1958年9月20日 逝去
9月21日
戦没者 67年前 昭和19年
岡田 次夫(攻105 艦爆操)
比島マニラで飛行訓練中、地面に接触、右大腿部、右前頭部等負傷。第103海軍病院に入院加療中死亡殉職(彗星)
戦後物故者
辻 満寿夫 2010年9月21日 逝去
有志会員の岩淵様から要旨次のメールをいただきました。
「会議があり普段全くいくことのない工学部の建物に入り、会議終了後入ったときとは反対側の通路から出ようとしたところまさに偶々、当時東大総長で海軍技術少将(後中将)であった平賀譲先生が巡洋艦妙高を設計されたことが各種設計図とともにその業績として壁面展示されていたのです。
今まで全く知りませんでしたが、ビックリしました。偶々反対側通路を通ったこと、また息子が現在の護衛艦‘みょうこう’に乗り組んでいることもあり、偶然とはいえ何かしら因縁めいたものを感じるのは考えすぎかもしれませんが。
われわれの在学中には、それがいかに優れた業績とはいえ、大学構内に堂々とかつ大々的に軍艦に関する展示が行われるなど考えもつかないことでしたから・・・。
展示は東大工学部2号館(安田講堂の北側)1階玄関を入って右側に進んだ左側壁面に大きく展示されています。妙高設計にまつわる説明の他、全体写真、大体図(全体図でしょうか)、大きな一般艤装図数葉が掲示されています。図面には軽巡洋艦壱万頓拾参万馬力とありましたが、重巡ですよね。条約型巡洋艦としての表記でしょうか?
72期にはご縁の方がおられるか否か分かりませんが、どなたでもご覧になれますので、もし興味をお持ちの方がおられたらお訪ね下さい。
本当に今の今知ったものですから、もしものご案内まで。』
以上ですが妙高には、赤尾 正長、今井 政司、草野 家康、守家 友義の4君が勤務していたと思います。
大槻 敏直、山下 誠、野崎 貞雄、深尾 秀文の4君から葉書で、小林 勝、高田 俊彦の2君からメールで東京なにわ会参加の返事を頂いた。
9月22日
戦没者・戦後物故者共になし
昨日の台風15号凄かったですね。日本本土を関西から北、青森まで完全縦断して北海道東方にぬけましたね。首都圏の交通機関は殆ど運転を見合わせ、通勤者は大変だったし各地で避難指示や避難勧告が出された。
わが家でも夕方5時から約1時間停電して困った。
9月23日
戦没者・戦後物故者共になし
大坪 久幸君の奥様から「先日はなにわ会誌お送り頂き有り難うございました。会誌は今後辞退します。住所は変更ありません。」の手紙を貰った。
藤瀬君から東京クラス会出席の葉書を貰った。
9月24日
戦没者なし
戦後物故者
小灘 利春 2006年9月24日 逝去
池田 武邦の「故小灘利春君の霊前に捧ぐ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-konada-ikeda1.html
山田 穰の「わが友小灘利春」と回天」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-konada-yamada1.html
上原 光晴様の「小灘利春元海軍大尉を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-konada-uehara1.html
伊藤伸子様(三女)の「父、小灘 利春」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-konada-itourituko1.html
この他にも多数の記事がHPにある。
昨23日湘南歩こう会が行われ、男子 浦本 生、幸田 正仁、椎原 国康、高田 俊彦、中井末一、深尾 秀文の6名、女子 伊藤夫人、椎原夫人、品川夫人、藤井夫人、深尾夫人の5名、計11名が参加した。
昨日ブログに書いたように小松崎夫人が急逝された。
なお、メールでも流したが喪主 小町崎 博を小松崎 博に訂正してください。失礼しました。
9月25日
戦没者・戦後物故者共になし
東京クラス会出席の返事の葉書 相澤善三郎、山田 穣から受領。
東京なにわ会について、9月24日までに返事のあった者
出席;相澤善三郎、旭 輝雄、伊藤正敬、上野三郎、大槻敏直、小林 勝、都竹卓郎、松下太郎、山下 誠、山田 穣、金枝健三、齋藤義衛、野崎 貞雄、村山 隆、室井 正、高田俊彦、深尾秀文、藤瀬韶国 計18名、
欠席:佐藤 静、原田種睦、樋口 直、堀剣二郎、岩松重裕 計5名
泉 五郎君から次の手紙を貰った。
9月22日(木) 天鼓こと 泉 五郎
昨日「東日本大震災復興支援俳句コンクール 入選作品」という知らせと一緒に副賞まだ届いた。
入選筆頭は佐藤鬼房奨励賞が一句、これは句会の創始者賞にようで別格か?
続いて主催者の高野ムツオ奨励賞として130句あまりの入選作の筆頭になんと我輩の名句?
「春の海 ただ一揺れで 死者の海」が記載されているではないか。 応募総数は3151句とある。
早速「ドウじゃドウじや」と自慢しまくったが家人の反応はいま一つ。
然し、考えて見ると、未だかってそのような句会に応募した記憶は一切無い。
不思議に思いながら又もや台風15号が被災地を襲う非情に頭カリカリ!
そこで又一句ひねる。
「恐ろしや 地震津波に 放射能 小沢嵐に 管も患々!」
9月26日
戦没者・戦後物故者共になし
昨日濱田 秋朗君の訃報を流した。濱田君は巡洋艦球磨で着任後二ヵ月余りの後、マレー半島ペナン沖でイギリス潜水艦の雷撃を受けて沈没し、さらに次の乗艦、巡洋艦名取で七ヶ月余の後(一九四四年八月)アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて撃沈され、カッターで漂流、十三日後に比島ミンダナオ島に上陸し、最後は新造の駆逐艦榧航海長で終戦を迎えた。
彼の書いた記事が次の通りHPにある。
私の交友抄
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-1-watasinokouyuusyou-hamada1.html
終戦50年に思う
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-1-hamada.html
榧は生きている
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-1-kayahaikiteiru-hosino1.html
再度読み返して冥福を祈った。
9月27日
戦没者・戦後物故者共になし。
昨日流した濱田 秋朗君の訃報について、特4号田島 明朗氏から次のメールをもらった。
「海軍墓地の慰霊祭で、左近允氏と「最近濱田さんが参拝に来られませんネ」と話したばかりの訃報でした。小灘さんの訃報も呉海軍墓地慰霊祭の翌日受信致しました。先程小西さんに電話しましたら「関西は誰からも知らせが来ないぞ」との事です。山陰放送に出張の定宿が米子国際ホテルでしたから、濱田さんには何度もお目にかかれました。残念です。」
更に次のメールも頂いた。
「濱田さんは呉水交会に籍があり、今朝になって事務所に通知し、全会員に連絡させました。連絡網も早急の通知が難しいですネ☆」
これでも分るように、連絡網の流れが良くないようです。電話連絡網の方が、流れがいいと思いますが、もうこの年では難しいのでメールとブログで流しています。パソコンお持ちの方は1日1回はブログを開いてチェックしてください。よろしくお願いします。
池田武邦君から東京クラス会に参加するとの葉書あり。なお、9月8日から東京都渋谷区神山町の本宅に戻った。今後の連絡は本宅にお願いすると付記してあった。
9月28日
戦没者
67年前 昭和19年
中川 毅(横須賀空・二座水偵操)横須賀沖にて操縦訓練の着水時、接触殉職
村松 義隆(攻708・偵察)
台湾東方洋上で敵機動部隊を索敵攻撃後、消息を絶つ(一式陸攻)
戦後物故者なし
林 藤太君から東京クラス会欠席の返事あり・
9月29日
戦没者なし
戦後物故者
杉浦 実 1947年9月29日 逝去
杉浦タミエ様(母)の「杉浦 実のこと」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-sugiuraminoru-sugiura1.html
和泉 正昭 1977年9月29日 逝去
樋口 直の「和泉 正昭逝く」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-izumimasaaki-higuti1.html
山田 穣の「和泉君に捧げるレクイエム」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-izumimasaaki-yamada1.html
新庄 浩君から東京クラス会参加の返事あり
9月30日
はや今月も最後の30日になった。今年の夏は異常の猛暑で我々高齢者にはとても堪えたが、数日前からやっと涼しくなってきた。
さて、67年前の昭和19年9月までは、我々なにわ会会員の戦没者は64名とまだ1割未満であったが、次の10月に入ると1ケ月間で68名の戦没者が出て急増している。それだけ10月の比島作戦から戦争は厳しくなったのである。
戦没者・戦後物故者共になし
74期談話室に次の記事があった。
「72期池田武邦先輩が10月15日佐世保で「戦艦大和の最後」という演題で講演されること、11月には海上自衛隊佐世保OB会有志が佐世保で「池田さんの米寿を祝う会」を予定している」
池田武邦君は東京の本宅に帰ったが、その後も元気で長崎の別宅に時々行くようである。