海軍兵学校56期海軍回顧碌
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1 | 第一編 海 軍 生 活 の 回 想 | ||
2 | 一、海軍兵学校の思い出 | 岩 沢 一 郎 | 志望から合格まで、入校、第二分隊、訓練、卒業式 |
3 | 二、海軍機関学校生徒日誌抄 | 岩 野 直 美 | 自大正十四年五月 至大正十五年三月 |
4 | 三、海軍生活の思い出 | 岡 部 正 夫 | 海軍精神の本質、艦内生活のよさ、クラスメート |
5 | 四、海軍生活の思い出 | 土 井 泰 三 | 兵学校時代、練習艦代、ガンルーム時代、士官室時代時代、術科講習員時 |
6 | 五、連ぎょうの花に向いて | 原 田 力 | 生き残った第六艦隊参謀、機関学校の教育、ラグビーの思い出など |
7 | 六、海軍生活の回想福 | 島 忠 雄 | 海軍機関学校の特教材色、断片回想、剣道教官、整備練習生教官と |
8 | 七、「飛行機野郎」半生記 | 石 俊 平 | 江田島、空母赤城、九六陸攻時代、闘病生 、特攻作戦活、航空部隊に復帰 |
9 | 八、機関科将校のデモクラシー運動 | 山 本 勝 郎 | 問題の本質、その真意運動の展開とその推進者たち、明治の選択と |
10 | 九、ああ海軍兵学校 | 宮 本 鷹 雄 | 戦後江田島でのクラス会に思う |
11 | 十、随想 | 宮 内 七 三 | 五分前、雲上雲下、自然の無理 |
12 | 十一、小さな出来事 | 魚 住 順 治 | 伊六二潜の事故に思う |
13 | 第二編 海軍勤務あれこれ | ||
14 | 一、海軍教育の思い出 | 青 木 益 次 | 魂の触れ合い、率先垂範、昔教官今生徒、短現教官 |
15 | 二、揚子江と砲艦勤務 | 子 安 栄 春 | 営口事件、駆逐艦早蕨の救難、揚子江の旅、揚子江地誌、重慶溯江、軍艦二見山に登る、遂に重慶へ |
16 | 三、中国ならびに工廠勤務の回想 | 田 島 守 雄 | 戦後人生への大きな教訓 |
17 | 四、南洋庁逓信課長時代の思い出 | 荒 木 勲 | 島めぐり、青年団編成、防空演習、毒魚の調査など |
18 | 五、総力戦研究生時代の回想 | 土 井 泰 三 | 研究生の生活、船舶と総力戦など |
19 | 六、ある労務動員の話 | 藤 原 一 郎 | 扶桑会動員始末記など |
20 | 七、上海衣糧廠に勤務して | 戸 田 貞之丞 | 官設民営方式の成功 |
21 | 八、ニューギニアにおける海軍建設部 | 岩 崎 喜 利 | タンカー勤務、陸上勤務志望、横廠盗難事件、第八海軍建設部、戦況悪化、ニューギニア地誌、ウエワク上陸、民間企業の従軍、女性出陣、噫!水野海軍主計中尉 |
22 | 九、海軍科学技術審議会のある日 | 岩 野 直 美 | 著名科学者の集り、長岡・八木両博士の議論など |
23 | 十、海軍兵学校針尾分校について | 高 岡 健 吉 | 海軍予科生徒、針尾時代、七十八期会 |
24 | 十一、熱 血 日 記 | 古 賀 不二人 | |
25 | 第三編 支那事変その他 | ||
26 | 一、第一次上海事変 | 子 安 栄 春 | 平時の帝国海軍、第一遣外艦隊、日支両軍の衝突、上海方面の支那軍、第三艦隊の編成と陸軍派兵、陸軍先遣部隊の呉淞上陸、第九師団の上海上陸、海軍の航空戦、陸軍第二次出兵、七了口上陸など |
27 | 二、初陣の上海事変 | 土 井 泰 三 | 出陣、負傷など |
28 | 三、水雷艇友鶴の転覆 | 林 清 三 | 事件の概要、吉村・古谷両級友の殉職、真鶴・蒸化器の故障、事件の教訓・艦艇復元性の問題 |
29 | 四、大山大尉事件の真相 | 重 村 実 | 私の戦歴、上海海軍武官府、大山事件の真相 |
30 | 五、上海海軍特別陸戦隊 | 岩 沢 一 郎 | 陸戦隊中隊長拝命、出動、戦闘開始、対峙戦、空襲、捕虜、火事、敵陣地爆撃、陸軍上陸、租界、閘北進撃、浦東警備など |
31 | 六、伊六三潜水艦の遭難 | 久 住 忠 男 | 事故の概要、引揚げの新記録達成 |
32 | 第四編 大東亜戦争戦記 | ||
33 | 第一章 緒戦期の諸作戦 | ||
34 | 一、真珠湾水平爆撃隊指揮官として | 橋 口 喬 | 水平爆撃隊の攻撃経過、アリゾナの爆発、爆撃の成果、水平爆撃の進歩、断想 |
35 | 二、マレー沖海戦雷撃隊指揮官の手記 | 宮 内 七 三 | その前夜、雷撃隊発進、突撃、発射 |
36 | 三、航空参謀の記録・フィリピンからジャワまで | 野 村 了 介 | 十九年九月の図演、フィリピン航空撃滅戦、マニラからケンダリーへ |
37 | 四、伊七号潜水艦戦記 | 間世田秀清 | ハワイ沖の潜水艦戦、ジャワ海からインド洋へ |
38 | 五、比島作戦の回想記 | 福 田 宗 正 | マッカーサー魚雷艇で脱出、セブ攻略作戦 |
39 | 六、軍需部員仏印マレーの第一線を征く | 子 安 栄 春 | 開戦直前の仏印、カムラン湾からマレー半島へ、シンゴラ・ペナン間の燃弾輸送、単身クルアンへ進出、クルアンからシンガポールへ |
40 | 第二章 ミッドウェイ海戦とアリューシャン作戦 | ||
41 | 一、蒼龍砲術長のミッドウェイ海戦記 | 金 尾 滝 一 | 海戦の大要、戦闘開始、空母機の来襲、飛龍の奮戦、蒼龍の最後と私 |
42 | 二、われ空母ヨークタウンを撃沈せり | 田 辺 彌 八 | ミッドウェイ攻略計画の概要、伊一六八潜に与えられた任務、ミッドウェイ飛行場砲撃、空母撃沈命令、会敵、発射・全魚雷命中、浮上砲戦、われヨークタウンを撃沈せり |
43 | 三、第七艦隊のミッドウェイ島砲撃 | 岩 部 六 郎 | 砲撃中止命令、三隈の沈没 |
44 | 四、第五艦隊の北方作戦 | 久 住 忠 男 | 開戦まで、北太平洋の哨戒、大和艦上の図演、アリューシャン作戦と私 |
45 | 五、アッツ島沖海戦 | 三 浦 憲太郎 | 船団護衛中の会敵、旗艦作戦室に命中弾、敵の避退 |
46 | 第三章ソロモンの激闘とマリアナ沖海戦 | ||
47 | 一、ソロモンの航空戦 | 野 村 了 介 | 第三の道、ラバウル航空基地、ソロモンの死闘 |
48 | 二、三川艦隊のガダルカナル沖突入 | 橋 口 喬 | 第八艦隊の進出とガダルカナルの情勢、ツラギ沖の夜戦とその教訓 |
49 | 三、伊一七六潜のラエ補給戦 | 田 辺 八 彌 | ラバウルからラエへ、敵機に銃撃さる、輸送任務達成、応急修理、ラバウルへ帰る(附)これが潜水艦魂だ |
50 | 四、山本連合艦隊司令長官の戦死 | 野 村 了 介 | 巡視計画、その日のこと、疑念のかずかず、ひと筋のけむり |
51 | 五、ラバウルの作戦と私 | 土 井 泰 三 | 山本長官戦死の前後、ラバウル包囲さる、ラバウル防衛と飛石作戦、内地帰還 |
52 | 六、羽黒の奮戦・ソロモンからレイテまで | 浅 井 秋 生 | ブーゲンビル沖夜戦、対空戦闘・幸運の羽黒、「あ」号作戦、捷一号作戦発動、愛宕・武蔵などの悲劇、レイテ沖の海戦、羽黒の最後 |
53 | 七、「あ」号作戦について | 辻 本 毅 | 六月十八日から同二十日までの状況 |
54 | 八、ロタ島を守りて | 吉 野 義 雄 | ロタ視察中の敵来襲、遥かにみるサイパン・テニアンの戦火、ロタを死守せよ、孤島の終戦、感慨の祖国へ |
55 | 第四章 捷一号作戦を中心に | ||
56 | 一、私のフィリピン戦記 | 久 住 忠 男 | 危機の切迫、ダバオ・セブへの空襲、捷一号作戦前夜、マニラからバギオへ、フィリピン脱出行 |
57 | 二、台湾沖航空戦 | 野 村 了 介 | 捷号作戦計画、「T」攻撃部隊、攻撃の予告、追撃命令、台湾沖航空戦、誘導弾 |
58 | 三、重巡愛宕の最後 | 岩 部 六 郎 | ブルネー出撃から沈没まで |
59 | 四、『天祐を確信し全軍突撃せよ』 | 三 上 作 夫 | 私の立場、捷号作戦とは、捷一号作戦発動前の状況、捷一号作戦の骨子、二十四日栗田艦隊反転までの全般作戦の概況、突撃命令起案の心境、天祐は起らなかったか |
60 | 五、レイテ沖海戦「作戦参謀」の手記 | 大 谷 藤之助 | 私の戦歴・不思議と命ながらえて、捷一号作戦への突入、シブヤン海での決断、レイテ沖の会敵、追撃戦の二時間、友隊の行動、レイテ突入を断念した理由、レイテ湾の実況と突入成果について、レイテ沖海戦随想、前線から大本営へ |
61 | 六、フィリピン戦場における航空機整備 | 福 島 忠 男 | マニラ着任、ダバオ支廠、セブ島の戦、クラーク決戦場、昭和十九年暮の状況 |
62 | 七、末期のクラーク航空基地 | 米軍のリンガエン上陸を前にして | |
63 | 八、ダバオ海軍陸戦隊の戦闘 | 佐 治 慎 介 | ダバオの概要、米軍来攻前の状況、米軍ミンダナオ島に来攻、ダバオ海軍陸戦隊の戦闘、終戦前後の状況、戦場こぼれ話 |
64 | 第五章 沖縄特攻作戦その他 | ||
65 | 一、大和特攻作戦の経緯について | 三 上 作 夫 | 片路作戦の決定から伊藤長官への伝達まで |
66 | 二、大和の特攻作戦に従事して | 宮 本 鷹 雄 | 出撃時の心境、大和沈没時の状況、マッカーサー司令部でのやりとり |
67 | 三、宇垣長官の最後 | 野 村 了 介 | 長官の心境、長官機特攻に出撃 |
68 | 四、中攻と共に | 勝 見 五 郎 | 揚子江の川霧、運命の神に救われて、タラワ・ルオットの相次ぐ玉砕、ラバウル・テニアンの脱出劇、ペリリューの死闘、台湾沖航空戦から硫黄島脱出まで、空地分離に思う、特攻、論功行賞について |
69 | 五、通信戦と私 | 岩 沢 一 郎 | 開戦前後、ホロ島からクーパンまで、幌筵通信隊、東京通信隊、東海航空隊、終戦 |
70 | 六、防備作戦の回顧 | 角 町 與 平 | 駆潜艇で揚子江へ、敷設艦八重山時代、連合艦隊の掃海艇、マーシャル群島での機雷敷設、内地防備隊での護衛作戦、海防隊司令として船団護衛につく |
71 | 七、水中特攻兵器と潜水艦主蓄電池鬘囑幕L | 岩 野 直 美 | 水中特攻兵器、ドイツ潜水艦主蓄電池の応急修理、潜水艦主蓄電池の耐爆雷装置 |
72 | 八、戦 場 断 片 | 野 村 了 介 | ある電信員の最後、ガダルカナル連絡参謀、前代未聞、電探鳥、沖縄電話、女子挺身隊、富嶽、那からのB29、試験電波、特攻隊最後の場面、化学光線 |
73 | 九、広島で原爆を受けて | 金 尾 滝 一 | 広島駅での被爆、練兵場付近の情景、呉海軍病院で治療 |
74 | 十、原子爆弾の思い出 | 福 田 宗 正 | 大阪警備府参謀として、阪大理学部長の調査 |
75 | 第五編 終戦から復員まで | ||
76 | 一、フィリピンの収容所生活 | 佐 治 慎 介 | ダバオ収容所日記、レイテ収容所日記、一路故国へ |
77 | 二、サイゴン終戦 私記 | 久 住 忠 男 | 終戦前後、ラングーン休戦協定、ひるかえる赤旗、英軍進駐とサイゴンの騒擾、食糧輸送作戦など、仏軍進駐と集結地移転問題、ゲリラ戦の渦中に、逃亡者帰投工作,警備引継の苦心、フランス指揮官の好意ある措置 |
78 | 三、死刑確定以後 | 畠 山 国 登 | アンボン攻略戦、飛行場警備と俘虜、戦犯指名と拘置、ラバウル裁判、あと二ヶ月の命、今村陸軍大将とT参謀、刑の確定、死刑を免がれて |
79 | 四、米軍厚木進駐の前後 | 田 辺 彌 八 | 米軍厚木飛行場進駐に備えて、総司令部からの召喚 |
80 | 五、海軍生徒等の終戦処理 | 宮 本 鷹 雄 | 海軍生徒の処置、復員軍人の再就学 |
81 | 六、航本部員としての終戦処理 | 深 水 豊 治 | 現用各機種集中の指令、全国基地から空輸の苦心 |
82 | 七、軍事裁判の思い出 | 福 田 宗 正 | 大阪地方復員局での戦犯事務、横浜軍事裁判の証人として |
83 | 第六編 戦後の再起・回想 | ||
84 | 一、自衛隊と昭三会の自衛官 | 杉 江 一 三 | 自衛隊の創設と成長のあらまし、クラスの自衛官 |
85 | 二、再起復興の回想と将来に対する所見 | 福 島 忠 男 | 帰郷、就業、仏教徒として現在の心境と将来の対策 |
86 | 三、戦後 随 想 | 木 益 次 | マレー沖海戦の教えるもの、孫子とジェット機、日本海軍の故智に学べ、経営者の一生は連続不断の戦争にあり、経営随想 |
87 | 四、靖国神社の再建と遺族会の結成 | 大 谷 藤之助 | 靖国神社事務総長になって、参議院議員に推されて |
88 | 五、終戦後の歩み | 岡 部 正 夫 | 会社経営の苦心、高島屋への就職、米子高島屋を創設 |
89 | 六、再起と現在の心境 | 宮 本 鷹 雄 | 再起、現在の心境 |
90 | 七、或る電池屋の回顧 | 岩 野 直 美 | お世話になった方々 |
91 | 八、戦後二十余年の今日 | 岩 部 六 郎 | 金光教信者とNHK記者との対話 |
92 | 九、海軍時代のヒューマン・ リレーションを思う | 八 島 春 繁 | 民間会社に二十年勤務して |
93 | 十、逞しい人生の提唱 | 安 武 秀 次 | 桃色事件その他 |
94 | 十一、兵学校戦後処理その他 | 清 水 秀 政 | 江田島施設接収の経緯、海上自衛隊練習艦隊の創設 |
95 | 十二、戦後雑感(米人気質) | 市 原 保 | 日本人に対する態度、彼らの勤務振り、公私混同のこと、軍政部を取り巻く日本人たち、米人のねぱり強さ、経営者対使用人、再婚者の多いこと、贈り物とお返し、風流を解せぬこと、親子関係_ |
戦公死没名簿 |