9月1日
早や9月になりましたが、今年の猛暑は昨年以上参っています。
戦没者・戦後物故者共になし
9月2日
戦没者・戦後物故者共になし
9月3日
戦没者なし
戦後物故者
飯野 伴七 2002年9月3日 逝去
市瀬 文人の「飯野伴七君の霊に捧げる弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-iino-itinose1.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-iino-konada.html
編集部の「山根眞樹生君を偲ぶ会」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yamane-hennsyuubu.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yamane-katura.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yamane-ikezak
i.html
左近允尚敏君から次のメールを貰った。
『われながらびっくりしたのですが、ムカシ日記をつけた時期があることが分かりました。昭和47年、小生海幕通信課にいた年ですが、慰霊祭の日のところを写してみます。
6月4日(日)
クラス慰霊祭なるも生憎の雨なり。9時発、10時45分、靖国神社に着く。クラスと挨拶を交わす。11時昇殿参拝、後藤俊夫の祭文、低頭して聞く。雨中を九段会館に至り懇親会。草鹿校長お元気なり。名簿にて吉成、鈴木敏旦、小沢、賀川の遺族に挨拶したいと思えるも会場広すぎ断念。寺岡夫人あり、少々耳遠き様子にて先生は不調とて欠席の由。樋口、加藤らの顔あるも渋谷は見ず。加藤スライドにて27年のクラス会以来の写真を提示、20年の月日を感ず。帰途藤井、浦本と同車す。
草鹿校長がお元気だったこと、寺岡教頭にも参加をお願いしたことなどが分かりました。』
懐かしい日記ですね。これは第5回の参拝クラス会です。今当時のニュースを読み返しました。草鹿校長が参加された最後のクラス会でその年の夏逝去されています。
9月4日
戦没者・戦後物故者共になし
9月5日
戦没者
67年前 昭和19年9月5日
村上 達(大村空 戦闘機)
大村基地で訓練のため離陸直後失速し、墜落殉職した。(90機練)、
村上 典夫様の「兄 村上 達」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-murakami-murakami.html
戦後物故者
飯塚 正雄 2007年9月5日 逝去
斎藤 義衛の「飯塚正雄兄の葬儀」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-iiduka-saitou1.html
HPの5月から8月までの更新記録をまとめて整理した。
9月6日
戦没者・戦後物故者共になし
矢田 次夫君から久し振りに電話があったが、耳が悪くて返事が了解しないので、返事の概要をファックスで送った。
9月7日
戦没者・戦後物故者共になし
池田 武邦君から電話あり。元気です。
9月8日
戦没者なし
戦後物故者
飯沢 治 1976年9月8日 逝去
安藤 昌彦の「故飯沢、故堀内両君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-iizawa-horiuti-andou1.html
泉 五郎の「飯沢 治君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-iizawa-izumi1.html
飯沢 和子様(治の妻)の「一周忌を迎えまして 」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-iizawa-tuma.html
深尾 秀文君から年会費の振込表のコピー18件を送って貰った。
今までの総計124枚です。
9月9日
戦没者・戦後物故者共になし
機55期訃報
落合鶴之亮様 8月17日逝去
9月10日
戦没者なし
戦後物故者
佐々木 庄 1992年9月10日 逝去
平野 律郎の「佐々木 庄君を偲んで」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-sasakisyou-hirano1.html
飯野 伴七の「佐々木 庄君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-sasakisyou-iino1.html
小暮 新八 1994年9月10日 逝去
志満 巌君より返事あり。
住所、電話変更なし。近況 まずまず。老妻と2人暮らし。なにわ会
だより不要。
少し暇が出来たのでHPをチェックして修正しました。取り込んだ件数を全部再チェックして訂正しました。総数1497件取り込んであります。
9月11日
戦没者
66年前 昭和20年9月11日
菊池
滋(偵301 兵器) 北部ルソン方面テタイでマラリヤに罷り戦病死。
戦後物故者なし
9月12日
戦没者
67年前 昭和19年
方岡 勇、川原茂彦(敷波 駆逐艦)
南支那海で船団護衛中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
9月13日
戦没者なし
高橋 猛典 1993年9月13日 逝去
飯野 伴七の「高橋
猛典君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukkosyamokuji501.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takahasi-mukai1.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takahasi-isii1.html
田村 隆一様の「高橋院長の死」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takahasi-tamura1.html
」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takahasi-satou1.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takahasi-yamada-01.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takahasi-yamada-sono11.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takahasi-yamada-02.html
上野 三郎君から東京クラス会の案内を出して呉れとのメールを貰った。
今回はメールを受信できる会員にはメールで案内を送ることにして、経費の節減につとめた。昨夜メールを送ったので、早速開いてみてください。
今回はメールを送った会員には案内の往復葉書を出さないので、ご覧になったら開封通知をよろしくお願いします。
そして出欠の返事もメールでお願いします。
9月14日
67年前の昭和19年9月14日は卒業後丁度1ヶ年経った日でした。
この1年間に戦死、殉職で亡くなった期友は次のとおりでした。
兵 47名(7.5%)、機 5名(4.5%)、主 9名(17.6%)
計 61名であった。
そのうち航空職域での戦没者は10名でほとんどが訓練中の事故による殉職であった。
小田 博之 1999年9月14日
安藤昌彦、足立英夫、池田武邦、大槻敏直、佐藤 静、新庄 浩、豊廣 稔、
原田種睦、林 藤太、平川 進、宝納徳一、松下太郎、山下 誠、山田 穣、若松禄郎、藤瀬韶国、野崎貞雄、村山 隆、室井 正、深尾秀文
9月15日
今日は68年前の昭和18年、我々なにわ会会員787名が卒業し、少尉候補生になった日である。海軍機関学校53期はこの日を機53期の永代神楽祭の日と定めて毎年靖國神社に参拝している。
戦没者なし
森川 恭男 2008年9月15日 逝去
野崎 貞雄の「森川 逝く」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-morikawa-nozaki.html
左近允尚敏の「中村元一君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakamuramotokazu-sakonjyou.html
深尾 秀文君から連絡費の振込表11枚を送って貰いました
会員4名、物故遺族3名、戦没遺族4名です。
74期訃報
畠山 武様(1学年60分隊) 9月12日逝去。(特4号田島 明朗君からの情報)
9月16日
戦没者、戦後物故者共になし。
樋口 直君の次女涼子様から次のメールを頂いた。
『クラス会の件、 早々と上野さまからお電話いただきまして、そのときにお知らせしたのですが、先月8月15日に父が大腿部(股関節のつなぎ目の骨)を骨折してただ今入院しております。19日に手術をしたのですが、骨折の仕方と父の骨の状態が芳しくなく、今月9月14日に2度目の手術をしたばかりです。当分、入院、リハビリ生活になりますので、残念ながら今年は出席できません。父の透析日の関係も有り、日程を調整していただいたりしたのだと思いますが、そういう事情ですので、今回は欠席させていただきます。元気なうちはなるべく出席して皆様にお会いするのを楽しみにしていたのですが、残念です。入院が長引くと体も頭も衰えてしまうので、そうならないようリハビリを頑張って一日でも早く退院できるようにしていきたいと思っていますので、どうぞ皆様にはよろしくお伝えください。
今年は残暑も厳しく、疲れの出る事とは思いますが、どうぞご自愛くださいませ。』
志会員の五頭 和明様から下記の寄稿を頂いた。
記
日本新のニュアンス
五頭 和明
自己紹介 茨城県土浦市生まれ 実家が『鹿島海軍航空隊の第41期飛行学生菫ア楽部」で、私自身も【海軍兵学校予科】をめざして猛勉強をしていたが、終戦により夢となった。
その後「慶應義塾高等学校」 「慶應義塾大学」に進学し、ゼミナールは「マスコムニケーショオン」を専攻した。
その後、横浜ゴムに入社。横浜ゴムでは戦後潜水艦第一号「おやしお」のソーナドーム」や防震管継ぎ手」を担当。これが「なにわ会」「伊呂波会」に入会の素となった。
日本語は世界的にも「難しい言語」と言われて居るようだが、そのうち私の知った言葉について書いてみた。これはホンノー例に過ぎないと思うのだが・・・・>
1 「マスコミニケーケーション」(ジヤーナリスト)については
A 論拠を持った自分の意見を持つこと
B 反対の人の意見を良く聞くこと
C 外に未だ出てない意見がないかを良く探す
等を持つことが基本だと教えられた。
これらのことを実行 しているのは
竹村健一氏、藤原正彦氏、玄侑宗久氏、司馬遼太郎氏、国谷裕子氏・・・・等