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なにわ会のブログ 23年 4月-1

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やっと4月に入りました。今年は寒い日が多い3月でしたが、もう4月、暖かくなって欲しいですね。

さて、昨年も書きましたが、66年前の4月にはなにわ会同期生が61名も戦没しています。卒業生787名の7.7%にあたります。レイテ海戦が行われた1910月の68名に次ぐ多さです。

4月には決死の大和艦隊の沖縄特攻が行われて、艦で3名が戦死しています。航空部隊では45名(うち15名神風特攻)も亡くなっています。そのほか、震洋1名、回天2名、潜水艦3名、兵器3名、整備3名が亡くなっています。

その大半は航空関係者ですが、中でも気の毒だったのは、兵器、整備で比島に配属された会員が本務でない陸戦で亡くなっていることです。謹んで亡くなられた英霊のご冥福を祈ります。

 

この日の戦没者 66年前 昭和20

清水 武(205空 戦闘機)
 神風特別攻撃隊第1大義隊として宮古島南方海面敵機動部隊に突入戦死(零戦)

床尾 勝彦(攻102 艦攻操)
 神風特別攻撃隊忠誠隊として石垣島南方海面敵機動部隊に突入戦死(彗星)

 

この日の戦後物故者

長村正次郎 平成1541日逝去

 

山本省吾君から次の関西ミニなにわ会・開催の報告を頂いた。

『さる330日(水)正午から京都駅前「和風ダイニング 円山」で関西ミニなにわ会を行った。

 関西なにわ会は話し合いでは昨年で終了した筈だったが、有志の希望が出てきて開催したものです。参加者は8名、外見は元気そうだが全員、医者の世話になっている。みんな出席を楽しみにして、体調を整えてくれていたそうです。

会は昨年出席してくれたが、2月に亡くなった富尾兄の追悼に始まり、あとはお互いの歓談を楽しみ、健康談議から「死に方用意」にまで及び、軍歌で終わった楽しい2時間でした。

 関西の連中はまだまだお口の方は大丈夫です。

参加者は写真の8名。

各人の近況

「大村哲也」 いよいよ歩きにくくなり、外出はできません。

「小西愛明」 年齢相応の体調で病院での検査と薬で日常生活を保っています。  昨年来、小生関連の4名が亡くなり、平均年齢米寿になったことを痛感しました。ご冥福を祈ります。

「久米川秀英」 体調が悪くて欠席

「鈴木 彊」 足が衰えて出歩くのが億劫になっていますが、折角のクラス会がんばります。

「東条重道」 養老院暮らしです。川越での生活が不可能になり引き揚げました。自分らしい生活が出来ず寂しいですが止むを得ないことです。ご多幸を祈ります。

「樋口 幹」体調不良で引き籠っています。

「諸橋 久信」まだ、そこそこ歩けるだけでも有難いと思う日々です。

「山本 省吾」足腰が弱り一人歩きはほぼ無理な状態。ヘルパーの援助を受け毎日を暮らしています。趣味のパソコンなどで毎日を過ごしています。

「渡辺 望」急激に体力が衰えました。直前にならないと体調を予測出来ず、返信が遅れました。先日、転んだ怪我も当日までに治ると思います。

「上野 三郎」脊柱管狭窄症で腰痛・脚の痺れで週2回通院、4時間づつのリハビリ中。体力保持のため毎朝、1・5時間の体操をやってなんとか生活しています。

「加藤 種男」車の運転のみ。左脚やや不自由。家の「あと始末」の用件のみ。

「椎野廣」2月下旬、早朝に目まいで立てず、心臓やや不整脈・MRIで頭部中央部に米粒大の白い影、脳梗塞?で血液サラサラ用の薬を服用し始めました。

 

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この日の戦没者 66年前 昭和20

高崎 孝一 (601空 艦爆操)
 敵機動部隊索敵のため基地発進後沖縄周辺海面で消息を絶つ(彗星)

 

この日の戦後物故者

角田 慶輝 平成1242日逝去

 

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この日の戦没者 66年前 昭和20

山崎 州夫 (205空 戦闘機)
 神風特別攻撃隊第3大義隊として沖縄周辺海面敵機動部隊攻撃に向かい戦死(零戦)

母校鹿児島一中のクラス会誌にあった「あゝ偉丈夫たりし!山崎州夫君」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-yamazakikunio1.html

 

本田 武夫(戦313 戦闘機)
 神風特別攻撃隊等3御盾隊252部隊として奄美大島南方海面敵空母に突入戦死(零戦)

 

この日の戦後物故者

安藤 寿郎 平成1643日逝去

 

亀谷 敏明君の「安藤寿郎君への弔辞」↓がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-anndoutosirou-kametani1.html

 

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この日の戦没者・戦後物故者ともになし。

 

昨日はコメントを2つ頂いた。

一つは神風特攻で戦死した小松 弘君の親戚の方から、もう一つは回天隊員の面倒をよく見て頂いたお重さん関連の方からです。コメント頂くととても嬉しいです。

 

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この日の戦没者  66年前 昭和20

權代 博美(攻703 偵 察)
 沖縄周辺に機雷敷設のため基地発進、敷設任務終了後、南西諸島周辺海面で消息を絶つ(一式陸攻)

豊廣 稔君の「權代博美大尉永遠なれ」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-gondai-toyohiro1.html

 

この日の戦後物故者。

樋口 輝喜 平成2145日逝去

 

和田 恭三君から次の投稿を頂いた。

 『今から約30年前、旭が焼津で漁業組合の組合長、小生が栃木で酪農組合の組合長をやっていた頃、お互い訪問しあって実地を見ようと約束していた。その後、旭はクラス会の旅行で小生の牧場を見に来てくらたが、小生はなかなかタイミングが合わず訪問が出来なかったが、88歳を迎える年になって先日やっと30年来の約束を果たして焼津を訪問した。

 彼は実質的にはまだ現役らしく、忙しい中をいろいろ世話してくれ2泊して帰って来た。何時になってもクラスはいいものだ。

 1人で喜んでいても、勿体ないので、次の写真を添えて報告する。

  

戦没者の墓地

なにわ会ニュース100号に杉田繁春君の慰霊参拝等について掲載したがその時頂いた戦没者73名の墓標の写真が各2枚あった。この写真をそのまま眠らせてしまうのは惜しいので、各人1枚の写真をHPにとり込んだ。TOP頁の写真の戦没者墓地写真をクリックして見て下さい

 

55期(兵74期舞鶴分校)の会報「たんご第38号」を頂いた。「たんご」はこれで最終号となるので、128頁の立派な会報となった。

このなかから主な記事を転載する。

1 会員の現状

  現在会員数 140名  死亡会員数 166名  休眠会員 2名  退会会員 5名 不明会員 4

2 たんご会の今後

 a 行事は全国大会は行わない。各地区ごとの会合を行う。

 b 「たんご」の代わりに「たんご会連絡報」を発行する。

 c 年会費の代わりに向う5ヵ年間の運営費として寄付金(1口10,000円 3口まで)を募集する。

3 投稿記事

 「大東亜戦争の情勢・記録と海軍機関学校第53期戦没者」 (資料提供53期齋藤 義衛)

7頁にわたって掲載されている。

(なにわ会HPの第53期戦没者記録として取り込んである↓のものと同じである。)

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotukiroku-kikanka.html

4 機55期訃報

  福谷  彬様 H23. 1.27逝去  鈴木 通夫様 H23. 1.27逝去

山室 雄一様 H23. 2.23逝去  

 

73期訃報

大坪 虎郎様 平成23年2月19日逝去

 

4月6日

この日の戦没者 66年前 昭和20

野中 繁男(宇佐空 艦攻操)
 神風特別攻撃隊第1八幡護国隊艦攻隊として沖縄周辺海面の敵戦艦に突入戦死(九七艦攻)

東條重道君の「野中 繁男君を回想する」の記事↓がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-nonaka-toujyou1.html

 

泉 五郎君の「特攻出撃 宇佐群像の中の野中繁男君」↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-nonaka-izumi1.html

 

牛尾 久二・前橋 誠一(百里原空 艦爆操)
 神風特別攻撃隊第1正統隊として沖縄周辺海面の敵輸送船団に突入戦死(九九艦爆)

 

柴田英夫君の「牛尾久二の墓参」の記事↓がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-usio-sibata.html

 

高橋 義郎(名古屋空 艦爆操)神風特別攻撃隊第1草薙隊として沖縄周辺海面敵艦に突入戦死(九九艦爆)

相澤善三郎君の「高橋義郎兄を偲ぶ会」の記事↓がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-takahasi-aizawa.html

 

百瀬 甚吾(攻 1 偵 察) 
神風特別攻撃隊第3御盾隊601部隊として沖縄周辺海面の敵機動部隊に突入戦死(彗星)

江口 正一(偵 4 偵 察)
 九州南方海面を素敵、九州南方洋上で戦果確認中消息を絶つ(彩雲)

 

この日の戦後物故者なし。

 

小灘裕子様(利春君の長女)から次のコンサートの案内を頂きました。

「この度5月14日(土)14時より神奈川県民ホール小ホールにて、ピアノ協奏曲コンサート〜プロオーケストラと共に(古典派編)を開催することになりました。

 5年前に、オーケストラと共演して以来、リクエストの応えてのコンサートで、その時と同じ中島良能先生指揮の「湘南エールアンサンブル」というプロのオーケストラとの共演です。

 5月の一日、お時間がございましたら、お誘いあわせの上いらしていただけたら幸いです。」

なお、詳細は次のHPを見て下さい。

 http://pianomix.web.fc2.com/

 興味のある方、是非参加して下さい。

4月7日

66年前 天一号作戦関連で大和を含む10隻の艦隊が沖縄に向け出撃し、うち6隻(戦艦大和、巡洋艦矢矧、駆逐艦朝霜、霞、濱風、磯風)が撃沈された日である。

 この艦隊の作戦に参加していたものは次のとおりである。

大和 国本鎮雄、故高脇圭三、   矢矧 池田武邦、

冬月 故中田隆保、        涼月 故古前英雄、

磯風 故郡 重夫、        濱風 故磯山 醇美、

雪風 故中垣 義幸、       霞  故大谷 友之

朝霜 故深見茂雄、故浅野祥次、  初霜 故松田  清

 

この日の戦没者 66年前 昭和20

長谷川宏之(13 艦攻操)  
 
敵機動部隊攻撃の為、基地発進後沖縄周辺洋上で消息を絶つ(天山)

 

深見 茂雄・浅野 祥次(朝 霜 駆逐艦)
 天一号作戦:海上特攻部隊として、沖縄に向け出撃、九州南西海面で敵機の攻撃を受け沈没戦死

 

高脇 圭三(大 和 戦 艦)
 天一号作戦:海上特攻部隊として、沖縄に向け出撃、九州南西海面で敵機の攻撃を受け沈没戦死

藏元正浩君の「高脇 圭三君を偲んで」の記事↓がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-takawaki-kuramoto1.html

 

この日の戦後物故者なし。

石上  亨 昭和5347日逝去

 

48

この日の戦没者・戦後物故者ともになし。

 

平成23年4月7日 湘南歩こう会が行われた。(上野三郎)

 東日本大地震で色々の自粛ムードの中、少々気がひけるが、本日の歩こう会(年初では3月31日実施であったが、開花遅れで1週間延ばしての本日となった。)が実施された。

JR根岸駅に11時集合、参加者9名(男性6名、女性3名)、バスにて根岸森林公園へ。歩こう会としては3回目の挑戦で従来は歩行だったが、よる年並みには勝てず躊躇することなくバスを利用した。今年は何時までも寒さに悩まされたが、本日は20℃近くまで気温が上がり、少し汗ばむような快適の歩行日和だった。

桜の開花状況は80%程度だったが、散る花びらもなく元気一杯の桜花を見られ、丁度いい時期に巡りあった。桜花の下で交わす話題は、いつもながら健康談義を始め、多岐に亘ったが、結論としては「此のようによくしゃべり、よく笑い、ガヤガヤと騒ぐ事が健康維持の素だ」と言うことになった。

根岸駅前の店で喉をうるほしながらの雑談、午後3時前に次の一泊旅行の再会を期し解散した。本日の歩行数4,500    。本日の参加者は写真の9人。

深尾夫妻、中井、高田、浦本、上野、品川夫人、村上夫人、幸田

 

4月9日

この日の戦没者・戦後物故者ともになし。 

杉田繁春君から要旨次の手紙と写真を送って貰った。

「なにわ会HPの戦没者墓地写真73枚を見ました。写真と説明がウマクまとめられていてこれを見る人には良いガイダンスになるのではないかとおもいます。これを誰よりも喜び感謝しているのは73名の戦没期友とそのご遺族様ではないかと推察する次第です。

 その墓参の際、ご遺族様に差し上げた参考資料の一つが第3学年時の教班別写真のコピーでした。」

 そして、教班別写真12枚が同封されていた。この写真はなにわ会ニュース第2号と題3号に掲載されていたものである。

私はこんな写真のあったことを忘れていたので、これをHPに取り込んだ。写真には戦没者は赤○、戦後物故者は緑○がつけられている。

 

410

この日の戦没者 67年前 昭和19

鈴江  理(神ノ池空  戦闘機)
 飛行学生として訓練中、鹿島灘墜落殉職 (零戦)

 

        66年前 昭和20

森山修一郎(戦316 兵 器)    

兵器分隊長として、ルソン島ヒナツボ山中の比島上陸軍に斬り込み突撃戦死

森山本人の海兵受験当時の日記(昭和15年)↓の記事がある。http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-moriyamasyuuitirou-kaiheijyuken1.html

若松 禄郎君の「森山修一郎君37回忌」↓の記事がある。http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-moriyama-wakamatu1.html

 
村島 保二君の「森山父君あての手紙」↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-moriyama-murasima1.html

 

白根 行男君の「森山修一郎君に捧げる」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-moriyama-sirane1.html

 

この日の戦後物故者なし。

4日の永代神楽祭の出欠の葉書、49日までに受領したのはつぎのとおりである。

懇親会迄参加  会員 14

足立 英夫、相澤善三郎、旭  輝雄、泉  五郎、上野 三郎、小林  勝

左近允尚敏、松下 太郎、山下  誠、金枝 健三、斎藤 義衛、村山  隆、

窪添 龍輝、高田 俊彦、

遺族会員 7

猪口 勇、牛尾佐和子、木村 靖、伴 弘次、深井紳一、村上典夫、村上美智子

 

参拝のみ参加  会員 2

平野 律朗、宮田  實

遺族会員 10名

稲葉千恵子、杉坂智男、高橋義也、高橋光子、武井保憲、中澤恒夫、元山和子、木原雅子

井ノ山隆也、井ノ山智恵子

合計 懇親会迄参加21名   参拝のみ参加12名  計33

 

欠席 11

会員 5

足立 喜次、右近 恒二、佐藤  静、山之内素明、岩松 重裕

遺族会員 6

藤井 和子、森園 和子、今村妙子、柿崎珠見、北植正實、後藤四郎

 

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この日の戦没者 67年前 昭和19

登丸  肇(秋 雲 駆逐艦)
 比島南方サンボンガ沖で敵潜の雷撃を受け沈没戦死

 

        66年前 昭和20

入佐 隼人(攻703 陸攻操)
 洋上夜間索敵中、九州南方洋上で敵夜間戦闘機と交戦戦死(一式陸攻)

 

この日の戦後物故者

古川 嗣郎 平成2年411日逝去

白根 行男君の「アメリカ人古川の死」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-furukawa-sirane1.html

 

大津 懿徳 平成3年411日逝去

村山  隆君の「大津懿徳君を悼む」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ootsu-murayama1.html

 

飯田 武二君の「大津への弔辞」の記事↓がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ootu-iida1.html

 

阿部 達君の「大津懿徳君の葬儀に参列して」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ootsu-abe1.html


東電原発事故雑感    泉 五郎

光と影、明と暗。

光は暖かく、闇は冷たい。

人間は希望の光に歓喜し、絶望の闇に打ちひしがれる。

然し人間は常夏の国も万年雪の極地にもそれなりに春夏秋冬の移ろいを感じ、それなりに耐えて生き延びてきた。

そして又人類は火を手にすることによって万物の霊長としての文明社会を築きあげてきた。

一方地上の動物である人間は餌を求めて山野はおろか水の中まで進出、更には好奇心にかられて大空まで舞い上がり、挙句の果てには天空に輝くお月様にまで出かけた。

そして今や人工衛星まで打ち上げ、月ならぬ地球を眺めて人類が宇宙で何ヶ月も暮らすことが出来るようになった。更には果てしない宇宙探検という壮挙を企てる。これらは文明の光り輝く一面である。

然しその反面第二次世界大戦では瀕死の日本が、もうこれ以上戦う能力も無く降伏の道を選ぼうとしていることを知りながら米国は広島、長崎へ二発の原子爆弾を実験的に投下した。

これは如何に弁明しようとも人類に対する戦争犯罪として、これ以上の残虐行為は空前のものであつても絶後のものでなければならない。

幸い人類は原子力については殺傷兵器としての一面には封印を施し、専ら平和的エネルギーとして活用しようとしているかに見える。

然し、原子力空母や潜水艦の存在は厳然たる事実で、それに搭載された核兵器は終末戦争への禁断の木の実であると言えよう。

とは言うものの、今や日本はその消費する膨大な電力を維持するため、平和的利用と称して原子力発電に踏み切った。

その電力のお陰を蒙りながら一方で我々が、「原子力発電はパンドラの函に収められたこの禁断の木の実を、だましだまし盗み食いしているようなものだ」と非難することは些か面映い。

然し、我々老耄(ろうもう)にとって世界がこれ以上の物質文明に毒されてゆくのも誠に忍び難い。

尤も、それでは未開発地域の住民にとって不公平ではないか!という問題があるのは言うまでもないし、勿論彼らにそれを強制することも出来ない。

然し、夜の空から眺める日本は海の上に光り輝く不夜列島か!その列島を行く車のライト正に光の脈流である。

然し今や世界は多少の効率を犠牲にしても、従来の水力発電に加えて太陽光や風力という自然エネルギー型発電に回帰しその改良改善に努力すべきである。

福島原発問題は国難であって一東電の問題ではない。それも人為的なものではなく多分に天災的な要素が多い。

然し地震国日本の歴史的現実や地理的要因を考えれば、その地震やそれに伴う津波対策については国も東電も、その規模が想定外大きさであつたという弁明では絶対にその責任を免れることは出来ない。

 

原発被災は単なる建造物の地震被害とは基本的条件に絶対的な相違がある。そもそも原点において原発は震災被害そのものが許されないのである。

我々素人にとって最近多発する世界的大地震による津波被害の惨状を考えれば、海岸に近接して建設された原発の地震並びに津波対策が斯くも脆弱なものであつたとは誠に信じがたい無責任さである。

 重ねて言うが「今回の如き大地震や大津波は想定の限度を遥かに超えていた天災である」という弁明は絶対に許されない。

然し、毎日のテレビ放映ではお役人も東電の人間も、まるで他人事のような態度で素人には全く理解し難い数字や言葉を羅列するばかりである。

それが一体どれほどの環境汚染をもたらし、特に人間や動植物にどのような連鎖的悪影響を及ぼすかについては、甚だ説明不足と云わざるを得ない。

それも説明の主役は間接的当事者である監督官庁のお役人で、直接最大の責任者である東電の社長は病気と称して姿を現さない。

東電と官僚のぴったりと息の合った見事なお芝居で、被災者ならずとも許しがたい態度ではなかろうか?

この非常事態に際し自ら陣頭指揮に立てないない社長がのうのうと入院治療とはあきれ果てて開いた口がふさがらない。東電は社長の個人商店ではない!

東電社長は全退職金を被災者に提供して直ちに職を辞すべきある。事業にどれほど公共性をあろうとなかろうと、天災であろうとなかろうと、そんなことは問題ではない。

 それにしてもこれだけの大惨事に遭遇しながら東北人の見せる温和にして友愛に富み、しかも不屈不倒のたくましい人間性にはただただ驚嘆あるのみ。とてもじゃないが頭が上がらない。天を恨まず人を妬まず、この未曾有の災難逆境にあっても崩れない郷土愛は何処から生まれたのであろうか。

そして又、全国各地から寄せられた人的、物的の温かい支援の輪、特に戦争を知らない若者たちの意外な同胞愛、人間味には、戦後の個人主義教育でマナーの低下を嘆いていただけに目から鱗が落ちた思いである。

 今は只、これ以上被災者を悩ますことだけは止めてほしい。そして一日も早い復興援助の具体的政策が実施されることを望むばかりである。

  

412

この日の戦没者 67年前 昭和19

山科  享(千 歳 空 母)
 内海西部で艦上機の着艦訓練中、着艦指揮所において着艦してきた飛行機と接触し殉職

 

        66年前 昭和20

上田 清市(352空 戦闘機)
 制空隊として沖縄中城湾敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

 

野上 祝男(攻708 陸攻操) 
第3神風桜花特別攻撃隊神雷攻撃隊として沖縄周辺海面の敵艦に突入戦死(一式陸攻)

 中西 達二(百里原空 艦攻操)
 神風特別攻撃隊常盤忠華隊として沖縄周辺海面の敵主力艦に突入戦死(九七艦攻)

『中西達二の手紙』という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-nakanisitatuji1.html

 

「故中西達二君の坂元中尉あての手紙」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-nakanisitatuji1.html

 

片山 市吾(302空 戦闘機)
 制空隊として基地出撃、奄美大島で敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

寺村 純郎様(71期)の「片山 市吾君を偲ぶ」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-katayamaitigowosinobu-itimura1.html

 

片山 市吾君本人の記録 「市吾の青春」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-katayamaitigo1.html

 

「片山市吾君から水谷潤君への手紙」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-katayama-mizutani1.html

 

橋本 達敏(戦301 戦闘機)

 制空隊として基地出撃、喜界島上空で敵戦闘機と交戦戦死(紫電改)

橋本 一成様の「紫電故で散華した兄 海軍大尉 橋本達敏」という↓の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hasimototatubinn-hasimoto1.html

 

滝沢 昌彦(381空 戦闘機)

 鹿屋から上海経由南方へ展開のため、空輸の途次、燃料系統故障し、上海方面で不時着戦死(零戦)

 

田中たくみ(元山空 戦闘機)

 神風特別攻撃隊第2七生隊として南西諸島周辺海面敵艦に突入戦死(零戦)

小林 俊雄(大村空 戦闘機) 制空隊として基地出撃、南西諸島方面敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

 

 

奥原新次郎(谷田部空  戦闘機)

 制空隊として基地出撃、南西諸島方面敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

 

この日の戦後物故者。

小野 義一 平成21412日逝去

 

46日のブログに書いた「5月14日(土)14時より神奈川県民ホール小ホールで行われるピアノ協奏曲コンサート〜プロオーケストラと共に(古典派編)」の指揮者『中島良能先生』について次の情報を小灘さんからいただいた。

中島良能先生の父親は海軍兵学校五十二期生の中島湊氏(戦死後大佐)である。

中島湊氏について『江田島健児の歌』作成について次の記録がある。

この歌は生徒に募集を呼び掛け、100以上の応募があり、神代猛男の作詞したものと中島湊の作詞したものとが最後まで争われ、神代猛男の作詞したものが選ばれて『江田島健児の歌』となり、各期の全生徒から愛称されるようになった。中島湊のものは今は残っていない。

中島湊も優れた詩才の持ち主だったらしい。 その後も彼は、いろいろな歌の作詞をしている。

 その一つが、『勅諭下賜記念軍歌』で、これには海軍軍楽隊で中尉だった内藤清五が曲をつけ、ひろく歌われた。 また、昭和十八年八月、海軍通信学校が田浦から久里浜に移転した際も、当時少佐で、教官だった中島が、『海軍通信学校校歌』として作詞し、全生徒に愛唱された。

中島は大正十三年七月に兵学校を卒業、大尉時代に『軍人勅諭下賜五十年記念歌』をつくった。

 少佐時代の通信学校の教官の時に『海軍通信学校校歌』を作った。

この中島の息子が今回の指揮者中島良能先生である。

 

413

この日の戦没者 66年前 昭和20

古川 次男(呂64 潜水艦) 教務のため潜航訓練中、広島湾で敵敷設の機雷に接触沈没(戦死認定)

田島 明郎様の「かくも厳しいものか 呂64潜航海長古川次男大尉の令兄 」という ↓ の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-furukawa-tajima.html

 

満田  茂(205空 戦闘機) 神風特別攻撃隊第9大義隊として台湾東方海面の敵艦に突入戦死(零戦)

 

この日の戦後物故者

西尾  豊 平成21413日逝去

 

414

この日の戦没者 66年前 昭和20

土井 秀夫(6艦隊司令部付 回天)

 回天特別攻撃隊多々良隊として沖縄沖の敵艦に突入戦死(伊44より発進)

 

福島 誠二(6艦隊司令部付 回天)

回天特別攻撃隊多々良隊として南西諸島周辺海面の敵艦に突入戦死(伊56より発進)

小灘利春君の「南海の底に逝った福島誠二」という ↓ の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukusima-konada1.html

 

粕谷 仁司(205空 戦闘機)

 神風特別攻撃隊第10大義隊として沖縄周辺海面敵艦に突入戦死(零戦)

山田  穣君の「粕谷仁司兄の墓参」という ↓ の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kasuya-yamada1.html

 

合原  直(大村空 戦闘機) 

神風特別攻撃隊第2神剣隊として沖縄慶良問列島沖の敵艦に突入戦死(零戦)

三好 文彦君の「合原 直君の出撃」という ↓ の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-gouhara-miyosi.html

 

矢尾 正衛(佐伯空 偵察)

基地発進、対潜哨戒に向い、九州南東海面で敵機と交戦戦死

 三輪 和子様の「72期と27期」という ↓ の記事がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-yao-.html

 

この日の戦後物故者なし

 

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この日の戦没者・

長谷川 清(呂 41 潜水艦 20318 沖縄方面に向け佐伯出撃、敵駆逐艦発見報告後、沖縄南東320浬で消息を絶つ(戦死認定)

(米駆逐艦ハガードの爆雷攻撃を受け浮上、水上砲戦中敵駆逐艦が潜水艦の右舷に衝突し20322沈没:米軍資料)

長澤熊太郎(呂49 潜水艦)

20318南西諸島方面に向け佐伯出撃325以降消息を絶つ(戦死認定)

 

門脇 国樹(131空 整 備)

 串良基地進出の為同乗中、串良基地上空で来襲の敵機と交戦戦死

大森愼二郎の「国生中尉と門脇中尉を偲んで」の記事 ↓ がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kadowaki-kokusyu-oomori.html

 

この日の戦後物故者

水野 行夫 平成6年415日逝去

矢田 次夫君の「水野 行夫君への弔辞」 ↓ がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-mizuno-yada1.html

 

中井 末一君の「水野君の葬儀に参列して」の記事 ↓ がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-mizuno-nakai1.html


(続    く)

 

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