なにわ会のブログ 23年 4月-2
4月16日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
田尻 博男・森 一義(352空 戦闘機)
沖縄方面に出撃、敵機と交戦戦死(雷電)
奥海 真(戦310 戦闘機)
沖縄方面に出撃、喜界島上空で敵機と交戦戦死(零戦)
吉田 克平(筑波空 戦闘機)
沖縄方面に出撃、喜界島上空で敵機と交戦戦死(零戦)
畑 岩治(百里原空 偵 察)
神風特別攻撃隊皇花隊として沖縄嘉手柄沖の敵艦に突入戦死(九七艦改)
戦後物故者なし。
74期訃報
川田隆一様 平成23年4月8日逝去
川田君は私が第10護衛隊司令の時の護衛艦むらさめ艦長だった。謹んでご冥福を祈る。
捕虜となったある士官の手記をHPにとりこんだ。
4月17日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
4月10日から16日までの永代神楽祭の参加返事は次の通り。
出席 懇親会迄参加
伊藤 正敬、幸田 正仁、岡野 武弘(弟)、堀江 保雄(弟)、大場幸子(妹)、牛尾 和子《妹)、大内キミ子(妹)、
北村智恵子(姪)
出席 参拝のみ
大槻 敏直、平川 進
欠席
中山 皎、亀谷 敏明、後藤 寛、藤井 翠、方岡 静子、小林 正
総計
出席 懇親会まで参加 会員17名 遺族会員14名 計31名
参拝のみ 会員 3名 遺族会員10名 計13名
合計 会員20名 遺族会員24名 計44名
欠席 会員 9名 遺族会員 9名 計18名
4月18日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
4月19日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
福田 英(302空 戦闘機) 来襲のP−51を迎撃攻撃中保土ヶ谷上空で被弾し、機体空中分解し墜落戦死(雷電)
母 福田 文枝様の「福田 英の戦死の現場を訪ねて」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukuda-hahaue1.html
本人の手紙「戦没者の便り」 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tegami-fukuda1.html
榊 愛彦様(学習院同級生)の「福田 英君」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukuda-sakaki1.html
この日の戦後物故者。
松田 清 平成12年4月19日逝去
渡辺 望君の「松田 清君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-matuda-watanabe1.html
矢田 次夫君の「人は呼ぶ―伊吹・松田両君を偲んで」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ibuki-matuda-yada1.html
4月20日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
千田 吉夫(903空 偵 察) 敵艦船攻撃に向かったまま沖縄方面消息を絶つ
渋江 清(攻103 兵 器)喜界島に来襲した敵機の爆弾が防空壕に直撃して戦死
この日の戦後物故者なし
4月21日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
先日からニュース、なにわ会だより目次(全部で104件)をHPにとりこんだ。昔の記事を捜すのに便利だと思う。活用して下さい
HP閲覧数数が18万を突破した。
4月22日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
小山 力(偵102 艦爆操) 敵機動部隊索敵中、喜界島付近で敵機と交戦戦死 (彩雲)
石原 輝雄(901空 偵 察) 敵機動部隊索敵中、南西諸島方面で敵機と交戦戦死(一式陸攻)
牛尾 栄(攻252 偵 察) 沖縄に進出時、喜界島南方で敵F6Fと交戦戦死 (天山)
この日の戦後物故者
松山 匡喬 平成7年4月22日逝去
斎藤 政幸君の「松山 匡喬君を偲んで」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-matuyama-saitou1.html
有川貫太郎様の「叔父・松山匡喬の一年忌によせて」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-matuyama-arikawa1.html
故上原庸佑君の弟 横川康春様から次のメールを頂きました。
『書名「最後の海空戦」・副題に若き最前線指揮官たちの日米戦争と付いた本書を店頭で見つけました。これは海兵72期の皆さんの戦いの記録で、目次を見ますと
・エンガノ岬沖の死闘・・・・・・・・・・・駆逐艦「槙」航海長・後藤英一郎
・不沈艦艦橋での通信情報戦・・・戦艦「大和」通信士・都竹卓郎
・海軍兵学校の四季・・・・・・・・・・・九○一空大艇艇長・伴弘次
・武勲艦、東シナ海に沈む・・・・・・・戦艦「金剛」艦長付・長山兼敏
・沖縄水上特攻に潰ゆ・・・・・・・・・・軽巡洋艦「矢矧」測的長・池田武邦
・頭上の敵、眼下の敵・・・・・・・・・・・イ53潜航海長・山田穣
・インディアナポリスの火災・・・・・・・・・イ58潜航海長・田中宏謨
・人間魚雷搭乗員の生と死・・・・・・・第二回天隊隊長・・・小灘利春
・われ特攻に死すとも・・・・・・・・・・・・百里が原航空隊特攻隊長・平野律朗
・機関科魂は消えず・・・・・・・・・・・・・軽巡洋艦「能代」機関科分隊士・斉藤義衛
となっています。
著者の「方岡紀明」氏は1929年東京生まれ、東京教育大卒の著書多数。
72期の皆さんが 遂に「歴史」に登場したと嬉しく思っています。』
4月23日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし
4月24日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
田中 洋一(312空 戦闘機)秋水隊要員として、霞浦航空隊でグライダー曳航実験中、空中事故で殉職
青木 光雄(攻 3 整 備) 比島クラーク地区の陸上戦闘で戦死
飯塚 正雄君の「青木光雄兄とのこと」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-aoki-iiduka1.html
岸 昭(戦312 戦闘機) 比島クラーク地区で戦死
(比島方面戦死認定会議によりクラーク地区激戦の日をもって戦死認定)
増井 吉郎(戦313 整 備) 同上
松山 行輝(戦315 整 備) 同上
三澤 禎君の君の「松山行輝生徒及びクラーク」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-matuyama-misaw1.html
・戦後物故者なし。
4月25日
この日の戦没者なし
この日の戦後物故者
石津 滋 平成4年4月25日逝去
近藤 裕 平成7年4月25日逝去和田
恭三
4月17日から24日までの永代神楽祭の参加返事は次の通り。
出席 懇親会迄参加
門松 安彦、和田 恭三、深尾 秀文、野崎 貞雄、竹内 英治、今村 妙子、河野淑子、溝上 了、溝上 愛子、伴 久子
出席 参拝のみ
伊藤 高昭、小林 俊弥、小林 久栄
欠席
阿久根 正、池田 武邦、小河 伸子、白井 利得、森 喜美子、山田 一夫、
総計
出席 懇親会まで参加 会員21名 遺族会員20名 計41名
参拝のみ 会員 3名 遺族会員13名 計16名
合計 会員24名 遺族会員33名 計57名
欠席 会員11名 遺族会員13名 計24名
4月26日
この日の戦没者 なし
この日の戦後物故者
毎熊 祐俊 平成20年4月26日逝去
市瀬 文人君の「故毎熊祐俊兄のこと」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-maikuma-itinose.html
豊田 芳夫 平成22年4月26日逝去
4月27日
この日の戦没者・戦後物故者なし。
4月28日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
時松 三助(元山室 戦闘機)
B-29迎撃に出撃、種子島沖で敵機撃墜後交戦戦死(零戦)
伊藤 叡(筑波空 戦闘機)
沖縄周辺敵艦攻撃の際、沖縄伊江島で制空中の敵機と交戦戦死(零戦)
今澤 純子様の「兄伊藤 叡の思い出」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-itouakira-imasawa1.html
済田 正文(931空 偵察)
沖縄周辺洋上で敵艦船を夜間雷撃し突入戦死(天山)
林 三人司(951空 偵察)
沖縄周辺洋上で沖縄沖敵艦の夜間雷撃に向い敵機と交戦戦死
荒木 信正(攻708 偵察)
沖縄周辺洋上で敵機動部隊に桜花攻撃後交戦戦死(一式陸攻)
広瀬遼太郎(東カロリン空 偵察)
トラック発ウルシー上空で消息を絶つ(彩雲)
広瀬 晴雄様(遼太郎の弟)の「父の悪戯(肝試し)」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hirose-hiroseharuo1.html
佐藤 宏(戦308 兵器)
比島クラーク地区防衛作戦中戦死
この日の戦後物故者
粟屋 徹 昭和28年4月28日逝去
4月29日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。
春の一泊旅行(歩こう会の一泊旅行といっても、歩かない一泊旅行です。)
4月27日14:00JR小田原駅集合。
参加者は写真の11名(別行動で2名、合わせて都合13名)。
高田俊彦、幸田正仁、小松崎夫人、品川夫人、藤井夫人、浦本 生、加藤夫人、中井末一、中井夫人、上野三郎、(深尾夫妻、村上夫人欠)
湯本で箱根登山鉄道に乗り換え、沿線の風景を楽しみながら約40分で強羅駅に、上り坂を10分程で目的の静雲荘に到着。結果的には駅とホテル間の往復のみが今回の歩行となった。(女性軍は絵画鑑賞に美術館に足を伸ばされたが)地震後全く観光客が途絶え、3月はひどいものだったが、4月に入りロマンスカーの運行と共に少しずつ客足も戻って来たとホテルの人が言っていたが、やはりまばらだった。温泉につかり久しぶりの会食を楽しみ、雨の音を耳にしながら早めに就寝。幸いにも翌朝は前夜の雨風も嘘のように、初夏の快晴に恵まれ、外輪山の明星ヶ岳(924m)の前に広がる目の覚めるような新緑の雄大な景色を楽しめられたのが今回の歩こう会の収穫だった。
午前11時前強羅駅にて解散、かくして歩かない1泊旅行も終わり自由行動に移った。
4月30日
この日の戦没者なし
この日の戦後物故者
長山 兼敏 平成15年4月30日逝去
田島 明朗様の「長山 兼敏氏 逝去」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nagayama-tajima1.html
兵74期訃報
山之内至考 様(1学年 18分隊)
平成23年4月28日 逝去
永代神楽祭出席(懇親会まで)
会員
高松 道雄、都竹 卓郎、樋口 直、山田 良彦
遺族会員
猪口 信、星野道子、今井和子、中田光子
永代神楽祭出席(参拝のみ)
今井和子、中田光子、今井ゆかり
永代神楽祭欠席
会員
奥山 寿一、岸本 一郎、渋谷 信也、宝納 徳一、堀 剣二郎、
遺族会員
角田 葉子、田辺 真次、長尾 達子、
総計 懇親会まで出席 会員24名 ご遺族21名 計45名
参拝のみ 会員 3名 ご遺族20名 計23名
計 会員 3名 ご遺族20名 計23名
欠席 会員16名 ご遺族17名 計33名
未回答 会員10名 ご遺族20名 計30名
未回答の30名の方、締め切りは4月30日になっています。