8月16日の戦没者
66年前 昭和19年
飯塚高志(百里原空
偵察)
茨城県橘村で夜間飛行訓練中、墜落殉職(九九艦爆)
8月18日の戦没者
66年前 昭和19年
倉本恒治(大鷹 空母)南支那海で敵潜の雷撃を受け沈没戦死
65年前 昭和20年
秋田 稔(6艦隊司令部付 潜水艦)呉 原爆被災、呉海軍病院で戦傷死
(細部についてはなにわ会だより002号30頁参照。名簿は8月18日没となっている。)
橋口 寛(平生突 回天)終戦後平生基地で拳銃自決
畠中和夫(101突 蚊竜)土佐沖で終戦後、蚊竜艇内で拳銃自決
8月17日の戦没者 なし
先日紹介した山本さんの佐伯物語の目次と各章の始まりの文です。
第一章 文太郎の時代(51頁)
「この子らは、はたちで死ぬるんじゃ」 その家の息子たちは、そのために、幼い頃から母や姉たちよりもいいめしを食わせてもらえた。非常の時代の父親の、それは非常の覚悟だった。・・・
第二章 頬垂れ(57頁)
「まあ、恵美子さん。それはなあに?」 「はあ? わたしのお弁当ですか?」
恵美子は思わず自分の弁当箱に目を落とした。 それはこの朝、自分でよそってきたもので、麦飯を敷き詰めた弁当箱の片側に、小指ほどの大きさの、イカの煮付けが十杯ほども押し込んである。墨を抜かずに煮ているので、煮付けはそれに汚されて真っ黒であった。・・・
第三章 泣かぬ谷(7T頁)
親は誰しも、わが子に「転ぶな」と願う。 しかし子は転ぶ。転ばない子はいない。すると親は、今度は「泣くな」と教える。
それでも泣く。子供は泣く。泣かずにはおられぬ転び方をすることが人にはある。 そのとき「泣くな」と教え続けた親が言う。「泣いてもいいから自分の足で立て」と。・・・
第四章 無敵海軍(75頁)
「でな、連合艦隊司令長官の豊田大将じゃ。この人は杵築の人じゃが、ご存知か」
「おう、確かそうでしたなあ、新聞で読みましたの」 「大分から出た司令長官に、広瀬中佐の名前に泥を塗るようなことをして・・・(原田耕作指導官が初登場する)
第五章 下駄履き(87頁)
「よろしい。ひとつ聞くが、この入り江は君たちの陣地か」
「はい。そうでありますっ」 「そうか。じゃあこっちが悪い。君らの陣地に勝手に飛行機を入れた。すまん」 少年たちは感動した。・・・(この章に72期の搭乗員の事が沢山出ている。)
第六章 蜜柑一枝(64頁)
寮長の婦人がアブッテカモの名の由来を面白そうに話して聞かせた時、香代子らは仕方なく、ふふふと愛想笑いの相槌を打つしかなかった。この魚は、佐伯では「おせん殺し」と呼ばれていた。(本文より)
昭和二十年の正月が明けた。恵美子は博多の妹を見舞うために汽車に乗る。佐伯航空隊では井尻たちが猛訓練に明け暮れていた。若者たちの青春でさえ、この時代には常に自分ではない誰かのためにあった。・・・
第7章以降は未掲載 逐次掲載される。
日記 8月19日
なにわ会だより第3号完成印刷屋から受領しまいた。これから逐次封筒に詰めて発送します。今までの形式のものは之で終りとし、第4号からは会員の情報を主体とした簡単なものに切り替えます。そうして、送付先も希望される方に限定致します。希望される方は同封の振込用紙で年会費、会員2000円、遺族会員1000円、有志会員2000円振り込んで下さい。現在振込用紙が不足していますので、会計担当の窪添龍輝君に送付をお願いしています。その為発送には数日かかります。各人あて1部ずつ送る予定ですが、もし2部以上ご希望の方が見えたらご連絡下さい。
小灘郁子夫人から頂いた情報です。
光人社から、『軍艦「矢矧」海戦記 建築家・池田武邦の太平洋戦争の詳細』という本(445頁)が出版されました。目次は次の通りです。
第1章
江田島精神(いごっそうの血 父、池田武義 ほか)
第2章
マリアナ沖海戦(極秘扱いの艦 吉村艦長 ほか)
第3章
レイテ沖海戦(史上最大の海戦 決戦前の百日訓練 ほか)
第4章
沖縄海上特攻(満身創痍 「金剛」の最期 ほか)
終章 魂は死なず(廃墟の東京 特攻隊教官 ほか)
発行年月:2010年8月
この本の評価の一例
平和の尊さを今に伝える記録文学大作
主人公池田武邦氏ら海軍兵学校72期生たちの航跡をたどった本格的な歴史ノンフィクション作品である。池田さんが沖縄海上特攻に出撃したのは21歳の時。レイテ沖海戦参加時は20歳。あの「連合艦隊」を現場で実際に動かしていたのが、20歳代の若者たちだったということに、まず驚かされた。
尊皇攘夷からスタートし、明治維新を経て建設された大日本帝国は、まぎれもない「独立国家」であり、そこには、襟を正したまっすぐな「責任ある日本人」が住んでいた。その厳然たる事実が実感として伝わってくる。
古里の山河を、愛する人々の暮らしを守るため、強大な敵に立ち向かった若者たち。戦闘シーンの描写では、彼らが祖国の存亡をかけて牡獅子のように戦う姿が目に浮かぶようだ。有り難さに涙がこぼれた。
もう一つ。
8月21日(土)2100〜2155まで地上デジタル チャンネル9で東京都知事石原慎太郎と池田武邦との対談が「東京の窓から」と言う題名で放映される。
最近のなにわ会ブログ閲覧数(ご参考)
日ー月ー火ー水ー木ー金ー土
先週 51 56 59 44 60 48 52
今週 81 83 54 64 7
8月20日の戦没者
66年前 昭和19年 なし
65年前 昭和20年
吉成 淳(冬月 駆逐艦)門同港で出港の際、敵機雷に接触して戦死
昨日窪添龍輝君から振込用紙をいただきました。
今日中に封筒詰め作業は終わります。
明日には発送できると思います。
8月21日
なにわ会だより昨日発送しました。2〜3日中に着くと思います。
今日2100−2155にかけて放映されるテレビ放送です。
地上デジタル放送です。まだデジタルに切り替えていないにですか。アナログでは見れません。
内容の紹介
元海軍士官が語る戦争 軍艦撃沈から生還・・・敗戦後建築の世界へ 超高層から日本文化へ
池田武邦(元日本海軍士官 元日本設計社長)
番組の内容
高度成長の立役者が進める「近代技術」の問い直し、その独特の建築家人生には幾度も死線を潜り、多くの戦友を失った太平洋戦争での海軍軍人としての経験が色濃く反映していると言われます。本企画では池田氏の人生に於ける戦争の意味を伺う事で氏が体現する、今も終わることのない日本の「戦後」という時代のありようと、その勝について改めて考えて見たいと思います。2010年 昭和85年 08月です。
1月6日の日記にワタナベ ミチ様(母の伯父が福山君)からコメントを頂きました。
8月22日の戦没者
66年前 昭和19年
赤右六合夫(佐渡 海防艦)マニラ北西海面で対潜掃討中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
浦野 孝市(松輪 海防艦)マニラ北西海面で対潜掃討中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
昨晩のテレビで石原知事と池田武邦君の対談見られましたか。私は地上デジタル 9で見ました。
一昨日なにわ会だより第3号の発送を終りホットしています。これで後は会員の情報を中心とした簡単なプリントを作成配布するだけになりましたのでズート楽になると思います。
これからもブログとHPは今までどおり取り組んでいきます。従って、会員、ご遺族の情報(住所変更、御不幸、その他近況等)は今まで通り私宛お知らせ下さい。よろしくお願いします。
今日の放送
本日のblogに掲載したテレビ放映の件(池田武邦様の)について、こくHPを見て頂いている伊藤正子様から次のメールを頂きました。
「デジタルのみ とありましたが、ここ(府中)では、東京MXテレビ で、同時間にアナログでも見られます。我が家は現在、アナログ とデジタルと二回線あるのですが(変ですが、マンションの仕様で、来年七月まで二本立てです)、地上デジタルでも、アナログでも
《東京MXテレビ》が写れば、見られるようですよ。
お節介ながら、アナログのみで残念がっている方がいらしたら…と思い
お知らせさせて頂きました。」
金枝さんよかったですね。
日記 8月23日
8月22日の戦没者を昨日のブログに追加しました。
深井紳一様からなにわ会だより第3号到着のコメントをいただきました。恐らく今日はほとんどの所に到着すると思います。
8月24日の戦没者
66年前 昭和19年 なし
65年前 昭和20年
鈴木真一郎(朝鮮空)終戦後、朝鮮空主計長室にて自決
(田島明朗氏から22日のコメントで「氏の御最後につきましては詳細を知らず、若し「ニュース」旧号にでも 掲載されて居るならば火曜日のブログで御教示下さい」と書かれている。詳細ご存知の方、お知らせいただければ幸いです)
なにわ会だより第3号の訂正
目次の関西なにわ会の投稿者 「小西愛明」は「渡邉 望」の誤り。
訂正してください。失礼しました。
左近允尚敏君から最近発行された「凌ぐ波濤 海上自衛隊をつくった男たち」の一部をコピーして頂きました。なかなか面白そうに纏められています。著者は軍艦武蔵の著者手塚正己氏です。
内容紹介
5年の歳月と関係者への綿密な取材を重ねてたどり着いた海上自衛隊創設期、激動の真実!
『軍艦武蔵』で日本の海戦史に新たな地平を拓いた著者が、次に挑んだ戦後史の空白。 新事実の数々によって浮かび上がった海上自衛隊、自衛官の本当の姿! リーダーとは何か!? 組織とは何か!? 普天間、海外派遣等、「現在」につながるすべてがここにある。
目次
序章見えない自衛隊 第一章海軍 第二章海の戦争 第三章海軍消滅
第四章空白の海 第五章朝鮮掃海 第六章スモール・ネービー
第七章胎動の海 第八章海上自衛隊誕生 終章凌ぐ波濤
資料 組織図 年表 参照・引用文献
次の方の談話を纏められたものです。
市来俊男 今井梅一 今西三郎 岡崎拓生 小野清紀 加藤善一郎 加藤敏夫 草野家康 草野弘恵 小西峯生 小林一郎 佐久間一 左近允尚敏 鈴木利之 田尻正司
谷川清済 塚崎展生 冨田成昭 中村悌次 野津長和 濱下光見 林崎千秋 矢板康二 矢板千春 山本武夫 吉田 学 吉富明治 吉富アヤ子
単行本: 520ページ 価格 3,675円
頂いたコピーの中に、左近允尚敏君も草野家康君も今一歩間違えば原爆の被害者に成るところの記事がありました。
左近允尚敏君は駆逐艦梨沈没後、8月6日休暇を貰って呉から鹿児島に帰る予定だった。同日夕方呉を発ち、廿日市駅から九州方面行きの列車に乗って鹿児島に帰った。もし朝早く呉を出ていれば、丁度原爆投下の時間、広島にいたことになる。
草野家康君は実家が長崎であった。彼の家は爆心地から近かったが、窪地であっ為被害をまぬがれたが、弟が大学で被害にあった。
8月25日の戦没者
66年前 昭和19年
泉本 修(352空 戦闘機)大村湾で零戦で離着陸訓練中、後部からの飛来機と接触、墜落殉職
65年前の昨日、朝鮮空で自決された鈴木真一郎君について、主計科の高田君から資料を持っていると電話を頂いた。早速田島明朗君にコピーを送ってくれるよう依頼した。
本日は数名の方から3号入手について電話等を頂いた。最後の部厚いなにわ会だよりの作成配布に関する感謝の言葉が多かった。その中にある会員から「会員の訃報が全然流れてこなかったが、連絡網で流すのは止めたのか」と言われた。その会員はは連絡網の第1受信者になっている。当然ブログを見てご存知だと思っていたのでガッカリした。第1受信者の方はぜひ1日1回はブログをみて頂きたい。情報は自らも求めて頂きたい。宜しくお願いします。
日記 8月26日
昨日も何名の方から3号入手のメールや電話を頂きました。
その中から情報を幾つか転記する。
1 兵68期は現存者20名。
2 機56期は今年十月に全国クラス会を東京で開催する。
出来るだけ永く頑張る積り。
3 泉 五郎君
余りの暑さにパソコン故障、倅の来援で一応動くようになったが、
どうも不安定。
4 上野 三郎君
「会員便り」は個々人の現状を知ることが出来、精読しました。
4号からの記事にもなんとか残せませんかね?
森田禎介先輩の「小山力君を偲んで」の記事興味深く拝読。
5 堀 剣二郎君
連絡希望者は、右近ただ一人ですが、中川は寝たきりなので希望は
ないが連絡している。
他に希望者なしの第一受信者もいる。
前から現状が気になっていましたが、今回のブログを見て少し考え
させられた。
6 齋藤 義衛君
今後ともブログの発展に最大の協力をする。
7 高田 俊彦君
毎日のブログも楽しみに拝見しています。
8 深井紳一(良の甥)様
8月21日に美保空で伯父と一緒だった海軍飛行科専修出身の菊池
清さんという方と電話でお話しする機会がありました。
いつも、洗いたての真っ白いマフラーを巻いた身ぎれいで寡黙、きりっ
とした「やさ男」だったそうです。
9 田島 明朗様
主計科、朝鮮空主計長の鈴木真一郎氏が自決なさった御命日と承知致して居りますが、氏の御最後につきましては詳細を知らず、若し「ニュース」旧号にでも掲載されて居るならば火曜日のブログで御教示下さい。
(主計の高田君の情報を知らせた。)
お願い
なにわ会だより第3号80頁で72期連絡網の一部を変更したので確認お願いします。
訃報の連絡が悪いようですので、対策を講じたいと思います。
前にメール頂いたので連絡網の第1受信者に入れてある方で現在インターネットを殆ど或いは全くやらない方もあるようです。
そこで、確認のため、72期会員の方で、このブログを見たかたは、コメントに書くか、メールで(電話でも可)私宛一言お知らせ下さい。
また、第2受信者の方で、このブログを見られた方もお知らせ下さい。なお、第3号で変更したところは次のとおりです。
第1受信者名(変更した第2受信者)
阿久根正(山田 良を溝井に移動)、
旭 輝雄(高松道雄 第1受信者へ・豊田芳夫を削除)
左近允尚敏(浅沼 薫を削除・新庄 浩を溝井に移動)
杉田政一(竹村 信を削除)
都竹卓郎(清水 尚を削除)
樋口 幹(渡辺収一を削除 本人不要)
平野律郎(向井寿三郎を削除 本人不要)
堀剣二郎(後藤英一郎を削除・定塚 脩は溝井に移動)
三浦八郎(柴田英夫 削除)
溝井 清(右近恒二、定塚 脩、新庄 浩、向井寿三郎、山田 良を追加)
山田良彦(山田 穣は第1受信者へ)
高松道雄・東條重道を第1受信者に追加。
宜しくご協力お願いします。
8月27日
戦死した金原君の妹さん、小山ゆりさん(名簿61頁)から『兄の事を全然知らなかったので、「なにわ会だより第3号」に兄の名前を見つけてとても嬉しかった。』と電話を貰った。
平川進君から葉書を貰い『齋藤義衛君の「66年前の元旦」を読んで、小生駆逐艦秋月乗組(水雷士)で大淀、能代を山雲と共に護衛し、始めて対空戦闘を経験したことを思い出し感銘した。』とあった。
平野律郎君からメールを貰い、『このあとは簡素なものにするとは言え枚数が減るだけで仕事の内容は殆ど同じこと、今後ともお世話になりっぱなしで申し訳ありません。本当の所、毎日のブログだけで新しい情報は間に合っているし、ホームページで過去のことを読み返していれば大概のことは間に合うのに、と同情申し上げる次第ですがそれが出来ない人も沢山いるので仕方ないのでしょうね。』とあった。
山田良彦、旭 輝雄、堀剣二郎の3君から電話を頂き、連絡網の第2受信者の情況を知らせてもらった。
8月28日
昨日も次の方から、メール、葉書、電話等を頂いた。
小平邦紀様(兵70期)からの葉書の要旨
72期は1年間江田島生活を共にしたクラスだけに、旧知のお名前も登場し、それぞれの記事に往時を回想できる懐かしさなどが感じられます。しかし次号からは一層簡素化した会員の情報中心の内容に移行される由、会員高齢化の現実からみて誠に止むを得ず、時宜を得た適切な対応と思います。
今日までご恵与賜った貴会誌を拝読し、数々の感銘を受け、また私のクラス会誌編集についての参考・刺激となったことも少なくありません。
奥山寿一君からメール
なにわ会だより第3号受領しました。貴兄の努力に感謝敬服いたしております。素晴らしい出来栄え感服しながら読み終わりました。感謝です。
「永代神楽祭案内」の件:回答要に入れていただけるとありがたい。
樋口 直君からのメール
第3号なにわ会報受け取りました。略式便りにしては随分充実していますね。感激です。ご苦労さま。
ところで、本号でプログの取り扱いを始めて知りました。早速開いてみたところ大変な作業を毎日しておられるのを知って驚きいっているところです。大変、重要な記録を整理、整頓して、誰でもわかり易く、仕分けしてくださっている事を知り、これまた感激の至りでした。これからは、毎日開くことにします。何かコメントがあれば、入れる方法も判りましたから、時によって割り込むつもりです。
第四号からはさらに簡略化してページ数も減らし最低限度の連絡紙にする件、大賛成です。生存者の数もだんだん減ってゆくことだし、送付先も貴兄の考えどうりでよろしいでしょう。
福岡の山本氏との接点も本誌が発端だった事を考えると本誌も我々の知らないところで有志の役にたっていることで、御同慶にたえません。
(ブログを毎日開いて頂けるとの事、嬉しいです。一日あたりの閲覧数、今月上旬までは50名程度でしたが、中旬になって閲覧数が70名近くに増えています。)
宮田 實君からの葉書
長い間のご尽力、人知れぬものもあったことと思いますが、ただ感謝するばかりです。
医者からは、人並み以上だとか、煽てられているのか、慰められているのか分りませんが、日々送っております。
高崎 緑様(慎哉君の妻)の葉書
「なにわ会だより第3号」有り難うございました。かってお元気でゴルフをお誘い頂いた頃の事を懐かしく思い出して居ります。
土原 弘子様(宮林 久男君の姉)の葉書
7月の参議院の選挙で孫の主人が二度目の出馬で、私は年寄りながら一票でもと手伝い、事務所への差し入れ等すっかり疲れ果てましたが、どうやらテレビで当確一番出て吃驚しました。
石川護国神社も10月に参集殿や展示室が立派に建立されます。弟が手にしている駆逐艦杉の戦闘旗と兄の認識表(パプアニューギニァで50年ほどジャングルに埋まっていた遺品)を展示室に納めて頂く予定です。 私は一日でも若い者に迷惑をかけぬよう、そしてご先祖様の供養に一人居の生活を続けています。
兵戦没者 加藤敏久君のご遺族(兄)智一様へ送った第3号が帰って来た。電話も通じない。何かご存知の方がおられたら、ご連絡ください。
8月29日
1923年の今日私は呉で生まれました。。誕生日を迎え、満87歳になりました。
24日のブログに書いた手塚正己氏作「凌ぐ波濤 海上自衛隊をつくった男たち」、面白そうなので購入しました。その中に、草野家康君は昭和31年入隊とありましたが、私も30年の入隊で、26年から30年までの事はよく知らなかったのでとても参考になりました。
いろんな裏話もあり、今精読中です。登場される方も海上自衛隊時代お世話になった方、お世話した方が多くてとても懐かしいです。逐次面白そうなところ紹介したいと思います。
大谷睦子様の葉書
なにわ会だより3号有り難うございました。これでおしまいかと思うと淋しいですね。長い間のご苦労、心より感謝しています。
藤井 翠様の葉書
この酷暑の中を懸命に「なにわ会だより第3号」を編集され、ご送付、本当に頭が下がります。今後はご体調が許す限りクラスの方々の動静をお知らせ頂ければ幸甚に存じます。
九州の山本様から例の佐伯物語の第8章が昨日発表されたとメールを頂いた。今72期関連記事が多い第5、6、7、8章をパソコンに取り込んでいます。なかなか上手に纏めておられますので、皆さんにも是非読んで頂きたいと思います。
次の3名の方の『なにわ会だより第3号』が宛先不明で返却されました。情報お持ちの方、お知らせください。
谷内能孝君、加藤智一様、花田澄子様
ブログの字 堀 剣二郎
今まで通りでよいとおもいます。総じて小さいものは可愛いからです。
文字の大きさ
ブログこの頃、歳にせいか、読みにくくなりました。8日の記事、太字にしてみました。流石に読み易いですが、なんか品がないですね。今までどおりが良いか、28日の大きい字の方が良いかご意見頂ければ嬉しいです。
ちょっと涼しい話 堀 剣二郎
八王子駅北口の高架広場から夕暮れの西の空に輝く「鉄床雲(かなとこぐも)」を撮りました。
広辞苑に曰く、「積乱雲の上部に生ずる鉄床状の雲。積乱雲の上昇気流で吹き上げられた氷晶が成層圏との圏界面で水平に広がるためにしょうずる」。なんと一万二千〜三千メートルの上空に氷が何万トンも浮かんでいるとも云えるのではありませんか。少しは涼しくなりませんか。
# by naniwa-navy
| 2010-08-29 19:21 | Comments(0)
新刊紹介、機・齋藤
「海の志願兵」(佐藤完一の伝記) (偕成社)2010年6月刊
を興味深く読む。佐藤完一は機関学校9期専修学生(昭和5年卒)
17年6月ミドウェー海戦にて戦死。蒼竜乗組。
帝国海軍は世界一優秀な下士官に支えられたと言われるが、戦前の我々士官とは別の
兵ー下士官の生活を面白く読む。私は横須賀在泊が長かっただけに懐かしい。
機関学校は当初横須賀白浜の地にあり、震災で一時江田島に仮住まいの後舞鶴に移転。
日記 8月31日
猛暑の8月も最後の日を迎えました。本当に今年の暑さは異常ですね。
次の2名に送った「なにわ会だより第3号」が返送されました。
椎原国康君、東條重道君
東條君のは番地、『3−34』が「3−25」の誤りでしたので再送しました。
椎原君の転居先ご存知の方お知らせ下さい。
日記 8月30日
昨日、堀剣二郎君から写真のいれ方を尋ねられたのでえ書いておきます。。
写真のいれ方
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5 ファイルを選択をクリック。
6 入れようとする写真の名前をクリック。
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8 画面を下げて、一番下の送信をクリック
9 マイブロッグをクリック。
(以上で写真がカーソルのあったところに入ります。この入れる写真の大きさ、500×500より小さくしておいて下さい。大きいと入りません。)。