なにわ会のブログ 22年7月その2
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7月11日
昭和20年7月9日に戦死した上嶋 逞志君(戦407 戦闘機)のことを9日の記事に記入していなかったので追加記入した。
22年6月のブログを整理してHPにとりこんだ。
7月12日
昨日の参議院潜の結果の報道されている。民社が減少、自民が善戦、みんなの党が大躍進している。
なにわ会だより第3号の校正を都竹卓郎、窪添龍輝両君から頂き、所要の修正を行っている。
7月13日
7月11日に行なわれた参議院選挙で、民主党の獲得議席は44議席に留まり、自由民主党を7議席も下回った。非改選議席と国民新党の議席を含めて、参議院で過半数を確保できなかった民主党は、いよいよ政策運営において苦戦を強いられることになった。当初予想されていた通り、民主党の政策運営が岐路に立たされる可能性が、いよいよ強まっている。これで、前回参院選後の自公連立政権と同じ立場に置かれたわけだが、昨年夏まで自公政権は衆議院で3分の2の議席を確保していたために、重要法案が参議院で否決されても衆議院で再可決する道があった。しかし、今の民主党連立政権は、社民党が連立を離脱した時点で衆議院における「3分の2」を失っているために、この手段をとることができない。
このため、今後、民主党は、自民党、公明党、みんなの党といった各党との政策協議を呼びかけなければならないが、野党がこれに応じず、「直近の民意に従うべき」として、衆議院の早期解散総選挙を求めてくる可能性がある。
果たしt今後の国政はどうなるか。困った問題である。
7月14日
長い間見ていたわが家のテレビ遂にダウン。昨日新品を購入した。前のテレビ、随分高かったが、今度のテレビ、驚くほど安くなっている。これで来年以降の地デジにも対処出来る。もうこれ以上テレビを買い換える事は無いと思う。
今年の梅雨、九州、中国地方の大雨、各地で大きな被害が出ている。その地方にお住まいの会員の皆様。異常ありませんか。
7月15日
昨14日は葉山CCで行われている大正会ゴルフコンペに参加しました。梅雨時期ですので雨が心配されましたが、雨は明けがたで止み、少し風もあってそんなに暑くなく7月にしては最高のゴルフ日和でした。
今日はアプローチがすべて良くてショートホール4個のうち3個でパーが拾え、久し振りで100でまわり、ネット64で優勝出来ました。とても嬉しいので報告します。
7月16日
兵74期の談話室を毎日1回は覘いています。このクラスは愛好者が多く、投稿者もコメントをいれる方も多く、何時も羨ましく思って見ています。先日、1月から長期入院していた川田隆一君の退院報告の記事がありました。その記事に対し、次の14名の方がコメントを書いていました。
松本春久、 小宮山玄二 、 井上洋一、 渡辺浩 、伊東清人、 是枝益彦、 重谷由美、 三上博康、 高田 忠 、工藤昭一 、 森本伊三男、阿部一孝
、武田泰忠 の諸兄
次の文章は其のうちの一つ、森本伊三男君のコメントです。森本君は終戦後の復員輸送の時私と同じ艦で勤務していた後輩です。
『コメントが殺到していました。川田兄、無事の退院おめでとうございます。1月28日発症以降の生々しい経過を読ませてもらって、体が凍りつきました。自分だったら到底耐えられなかっただろうと、貴兄の精神力・潜在体力に唯々驚嘆しています。その間の奥様のご献身・ご心労は如何ばかりだったろうと、お察し申し上げます。何はともあれ、折角延長してもらった寿命です、大事に大事にして下さい。十分に恢復してから、ゆっくり談話室に再登場されるよう、遥か西の空から祈っています。』
川田君は海上自衛隊時代の昭和46年、私が第10護衛隊司令の時のむらさめ艦長であって今もメール公換している仲です。無事生還本当におめでとうございます。
この談話室の主な投稿者は小宮山玄二、 渡辺 浩 、 森本伊三男 、 松本春久 、 三上博康 、松本春久 、武田泰忠 、是枝益彦
、花輪幸衣、川田隆一 、中村 慶典、山本 康子で、毎日誰かが投稿されていてとても賑やかで羨ましく思っています。
先日自称特4号の田島明朗様がこのブログにコメントを頂きました。とても嬉しかった。投稿でもコメントでもどんどん書きこんで頂けることを願っています。内容は近況でも、会員の情報でも、或いはなにわ会に対する提案やご意見でも、何でも結構です。ブログに書きこむのは大変だと言われる方は私宛メールで頂けばその方の名前でブログに転載しますので、ご協力よろしくお願いします。
7月17日の戦没者
66年前 昭和19年
平田義光(神ノ池空 戦闘機)神ノ池で
高高度飛行訓練中、酸素吸入器故障失神し、墜落殉職(零戦)
65年前 昭和20年 なし
八雲乗組候補生の艦勤実習の際、書かれた『行脚』という書類
先日泉五郎君からこの行脚について問い合わせがあった。だいぶ前に故大谷友之君から頂いた記憶があるのだが、見つからなかった。今日部屋を片付けていたら偶然出て来たので、泉君に送った。
この件について、なにわ会ニュース23号6頁に故大谷君の寄稿があった。
それによればこの『行脚』は伊集院君から故大谷君に送られたものである。全部で33頁の冊子であり、その中の一部(溝上正人、柿崎実、吉用茂光、泉五郎、岡田清、西金蔵、菊池祥一、松枝義久の諸君の書き込み)がニュース23号6頁に掲載されている。
改めて、全部読み直してみた。候補生時代の事が思い出されて懐かしい。
当時八雲に居た方にはさらに懐かしいと思うので、逐次転載していきたい。
訃 報 清水 尚君逝去
氏名 清水 尚 君(兵科)(名簿16頁)
平成22年7月23日(金)1515
動脈瑠手術後悪化して逝去
喪主 (妻) 清水 美子 様
御通夜 平成22年7月27日(火) 1800〜
告別式 7月28日(水) 1100〜
斎場 堀ノ内斎場
住所 〒166-0011 東京都杉並区梅里1-2-27
電話 TEL 03-3311-2324
「堀ノ内斎場」までの交通
丸の内線 新高円寺駅下車、出口1・2より
徒歩8分
7月18日
昨日平野律郎君から電話で柴田英夫君の逝去をきいた。昨7月17日肺炎で亡くなられたとのことである。葬儀等についてはまだ決まっていないそうで、分り次第お知らせします。柴田英夫君とは自衛隊退職後国士舘大学で一緒に勤務していた。慎んでお悔やみ申し上げます。
7月19日
昨日の柴田英夫君の訃報に関連し、堀剣二郎君から連絡終りのメールを貰った。
訃報に関連して、HPの関係頁を訂正した。そして、従来名簿変更をHPにのせていたが個人情報が含まれているのでHPから削除した
東條重道君転居
昨日の柴田英夫君の訃報を流したら東條重道君のメール アドレスは使われていないことが分った。電話をかけたら転居された転居先の電話番号は〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇と教えてくれた。電話して本人と話が出来、大阪に転居したと聞いた。新住所等はなにわ会だよりに掲載する。
74期訃報
千田成之様(1学年61分隊)H22.7.11 没
訃 報 柴田英夫君
氏名 柴田 英夫 君(兵科)(名簿16P)
平成22年7月17日(土)肺炎で逝去
喪主 長男 柴田 欣冶(よしはる) 様
(名簿にある(妻)美穂様は先年逝去)
御通夜 平成22年7月21日(水) 1800〜
告別式 7月22日(木) 1000〜
斎場 しののめの里第1式場
住所 〒354-0004 埼玉県富士見市下南畑70-1
電話: 049-275-3030
「しののめの里」までの交通
東上線みずほ台駅からタクシー約8分
(池袋からみずほ台駅まで約25分)
平成22年7月18日 発信 注 発信元 伊藤 正敬
(電話連絡網で流してください)
7月20日
なにわ会だより第3号の原稿等を印刷屋に送り、印刷製本をお願いした。
7月21日
74期訃報 柿木 克己 様(1学年 34分隊)平成22年7月20日 没
7月22日
9月発行予定のなにわ会だより第3号の目次です。
このような内容のなにわ会だよりは之が最後になると思います。御期待下さい。
題 名(投 稿 者)
始めに(編 集 部)
連絡事項(編 集 部)
訃報(編 集 部)
後藤英一郎君を偲ぶ(泉 五郎)
なにわ会だよりについて(編 集 部)
第2回永代神楽祭(編 集 部)
22年前期歩こう会の記(上野 三郎)
関西なにわ会記(小西 愛明)
パインなにわ会記(編 集 部)
なにわ会だより受領して(編 集 部)
会員だより(編 集 部)
66年前の元旦(斎藤 義衛)
小山 力君を偲んで(森田 禎介)
高橋義郎中尉の出撃(深井 紳一)
卒業直前のクラス会(小西 愛明)
HPの取り持つ縁(編 集 部)
他のクラスの情報(編 集 部)
プログとHPについて(編 集 部)
携帯のお薦め(斎藤 義衛)
ブログ抜粋(編 集 部)
会員の情報(編 集 部)
戦没者の情報(編 集 部)
戦記 会合 その他(編 集 部)
海軍兵学校72期連絡網(編 集 部)
入金報告(窪添 龍輝)
名簿変更訂正(伊藤 正敬)
編集後記(編 集 部)
現状(編 集 部)
7月23日
海上自衛隊新聞ご存知でしょうか。この新聞の7月16日号に次の写真(略)がありました。見たことのある写真でしたので内容を見たら左近允尚敏君関連の記事でした。
今から55年前にアメリカから護衛艦『あさひ、はつひ』を受け取った第4回航隊の乗員の集まりが熱海で行われ、22名が集まったと云う記事である。其の中に『元あさひ通信長だった左近允尚敏氏の挨拶で始まり・・・・』と書かれていた。いろんな所に顔を出している元気な左近允尚敏君である。
7月24日の戦没者
66年前 昭和19年
児玉 巌(鬼怒 巡洋艦)鬼怒乗組み中デング熱発病、第101海軍病院に入院加療中尿毒症併発して戦病死した。
65年前 昭和20年 なし
これまで奥様の訃報は流していなかったが、冨士君は付き合いが広かったし、また奥様方同志の付き合いも多いと聞いていたので参考のために昨日冨士夫人逝去の事をブログに掲載した。
児玉 巌君 堀 剣二郎
駆逐艦 浦波 乗り組み当時、シンガポールに帰港したので、入院中と聞いていた児玉君を見舞うため 101海軍病院へ赴いた。受付できくと亡くなられと云って部屋に案内された。入院していた2階の個室にはベッドが一つあり毛布は足元に畳まれその上に軍帽が飾られている。まだ元気だとおもって来たのに対面したのはこれらのもの。がつかり、寂しかつたことを思い出す。また当日は良い天気で病院の構内に色取りどりの熱帯の花が咲き乱れていたことも印象に残っている。
ご遺族の訃報
故冨士榮一君の奥様 冨士英子様が平成22年7月20日(月)逝去された。
御通夜 平成22年7月23日(金) 1800〜
告別式 7月24日(土) 1200〜
喪主 長男 冨士 彰夫 様
斎場 東本願寺慈光殿
住所 〒 東京都台東区西浅草1-5-5
電話 03−3843−9512
交通 地下鉄銀座線 田原町駅徒歩5分
で行われます。ブログ掲載だけにしておきます。
7月24日の戦没者
66年前 昭和19年
児玉 巌(鬼怒 巡洋艦)鬼怒乗組み中デング熱発病、第101海軍病院に入院加療中尿毒症併発して戦病死した。
駆逐艦 浦波 乗り組み当時、シンガポールに帰港したので、入院中と聞いていた児玉君を見舞うため 101海軍病院へ赴いた。受付できくと亡くなられたと云って部屋に案内された。入院していた2階の個室にはベッドが一つあり毛布は足元に畳まれその上に軍帽が飾られている。まだ元気だとおもって来たのに対面したのはこれらのもの。がつかり、寂しかつたことを思い出す。また当日は良い天気で病院の構内に色取りどりの熱帯の花が咲き乱れていたことも印象に残っている。
65年前 昭和20年 なし
これまで奥様の訃報は流していなかったが、冨士君は付き合いが広かったし、また奥様方同志の付き合いも多いと聞いていたので参考のために昨日冨士夫人逝去の事をブログに掲載した。
ご遺族の訃報
故冨士榮一君の奥様 冨士英子様が平成22年7月20日(月)逝去された。
御通夜 平成22年7月23日(金) 1800〜
告別式 7月24日(土) 1200〜
喪主 長男 冨士 彰夫 様
斎場 東本願寺慈光殿
住所 〒 東京都台東区西浅草1-5-5
電話 03−3843−9512
交通 地下鉄銀座線 田原町駅徒歩5分
で行われます。
ブログ掲載だけにしておきます。
訃 報 清水 尚君 逝去
氏名 清水 尚 君(兵科)(名簿16頁)
平成22年7月23日(金)1515
動脈瑠手術後悪化して逝去
喪主 (妻) 清水 美子 様
御通夜 平成22年7月27日(火) 1800〜
告別式 7月28日(水) 1100〜
斎場 堀ノ内斎場
住所 〒166-0011 東京都杉並区梅里1-2-27
電話 TEL 03-3311-2324
「堀ノ内斎場」までの交通
丸の内線 新高円寺駅下車、出口1・2より
徒歩8分
7月26日
7月26日の戦没者
66年前 昭和19年 なし
65年前 昭和20年
岩村 舒夫(霞ケ浦空 艦爆操
千歳から美幌に彗星空輸中、エンジン故障第二千歳基地に不時着して殉職
なにわ会だより第3号のゲラ刷りを印刷やから受領。これからチェックに入ります。
74期訃報
塩足 介弘 様(1学年 63分隊)平成22年7月25日 没
昨25日の戦没者 甲斐田信之(主)の記入を忘れていたので25日の記事に追加して記入した。
7月27日
毎日暑い日が続いていて老体には堪えますね。皆様お変わりありませんか。最近訃報が続いて淋しい限りです。
昨日山田穣君から電話を貰い、冨士夫人のことを尋ねられました。そして、中村悌次様(なかむら・ていじ=元海上幕僚長)の訃報を聞きました。
中村様は海軍兵学校67期で自衛隊時代、直接ご指導いただいた方で、67期の代表幹事としてもご尽力されていて、なにわ会会報もお送りしていました。何時もご丁寧なお手紙を頂いていました。
7月23日心不全で死去されました。心からご冥福をお祈り致します。
7月28日
今朝から齋藤義衛君の『大東亜戦争の情勢・記録 海軍機関学校第53期戦没者』をHPに取り込もうとして作業中です。実に良く纏められて居ますね。戦争の全体の流れが良く分かり、その流れの中で57名の級友が亡くなっていったのが良く分ります。
7月29日の戦没者
66年前 昭和19年 なし
65年前 昭和20年
伊藤国輔(伊165 潜水艦)サイパン東方海面で
20.6.15回天特別攻撃隊轟隊の一艦としてマリアナ方面に向け光基地出撃以後消息を絶つ(戦死認定)
(基地哨戒機の攻撃により20.6.27沈没:米軍資料)
機55期のHPにある「機53期一号時代の分隊表」は取り込み済みであったが「戦没死者記録」は取り込んでなかったので取り込んだ。
海上自衛隊高級幹部一覧を作成しHPに取り込んだ。
これによると、72期の会員は次の諸君である。
門松安彦(航空集団司令官・幹部学校長)、小松崎正通(呉地方総監)、左近允尚敏(統幕事務局長・統幕学校長・)矢田次夫(海幕長・統幕議長・自衛艦隊司令官・佐世保地方総監)槇原秀夫(海幕副長・呉地方総監)
7月30日
HPの更新記録が多くなったので、22年1月から6月までの更新記録を作成しました。
ついでに、今までの更新記録を整理し、同一形式に直しました。
76期会報130号を貰いました。このクラスは年3回会報を発行しています。今回の会報はB5判32頁のものです。
1 今後、会報は会費納入者に限定、1201名に配布。
2 海軍兵学校有志の会、今年は12月7日76期主催で実施の予定。
3 今年の76期全国総会懇親会は10月6日グランドプリンスホテル京都で実施の予定。
記事内容は、クラス会からの連絡(全国総会について9頁を含み13頁)、各地区の情報(九州、中国・四国、近畿、東海、北陸・東北・北海道、関東・甲信越のだより)12頁、その他7頁となっている。
7月31日
7月も今日で終りですね。本当に月日の経つのが早いですね。今年は豪雨、猛暑とおかしな天気・気候が続いています。
東条君の新住所が分りました。3号に掲載しますが取りあえず会員にだけメールで送りました。
なにわ会だより第3号訂正個所を印刷屋に送りました。8月下旬にはお手元に届けられると思います。
一段落しましたので、HPを再チェックしています。戦記は終りました。今逐次戦没者を見直して亡くなった期友の冥福を祈っています。
齋藤 義衛
例年に無い猛暑の中ブログ日記本当にご苦労様です。明日より鎮魂の8月に入ります。昨日のように思える65年目の8月です。
伊藤正敬
兵72期の昭和20年1月から終戦までの戦没者数は次の通りです。1月36人、2月27人、3月20人、4月49人、5月18人、6月8人、7月4人、8月15日まで4人。
6月以降戦没者が激減しています。もう戦える艦艇は勿論航空機も殆ど無くなっていたためです。6月以降の水上艦艇で戦没したのは熊野で負傷し横病に入院中亡くなった会員1人のみ、後は航空部隊10人、潜水艦5名でした。如何に戦力が無くなっていたかが分ります。
なお、6月重巡足柄が沈んで、同艦乗組みだった小河美津彦君は駆逐艦神風に救助されたが、機53期の坂梨 忠君が戦死しています。