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なにわ会のブログ 22年7月その1

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  早や7月になった。66年前の昭和19年の7月はサイパンが玉砕、65年前の昭和20年の7月にはもう戦える戦力は殆どなく、僅か少数の潜水艦が行動していたに過ぎず、戦没者も僅か5名であった。

 

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 73期会の会報92号を頂きました。その中から.

1 クラス会の運営原案

  クラス会の今後について4回のまで検討委員会を開き原案をまとめた。その案(要旨)は次のとおりである。(クラス会基金の許す限り)

 a 会報  年2回発行

 b 慰霊祭 2210月を最終とする。23年以降は322日永代神楽祭に希望者が参加する。

 c 会費 22年以降徴収を廃止する。

 d 名簿 改訂を維持する。

 e 電話連絡網 適宜改訂維持する。

2 最終慰霊祭等

  平成2210月8日 1130〜慰霊祭  1300〜総会懇親会

3 訃報  

  眞鍋 康夫 様 H21.12. 4 没   稲生  博 様 H22. 1.1 没

  高畠 賢治 様 H22. 1.26 没   尾山  貢 様 H22. 3.3 没

  堀之内久男 様 H22. 3.31 没

4 会員の現状(22526日現在)

   卒業生901名  戦没者282名  戦後物故者349名 現存者270

5 この会報にあった他のクラスの情報

  兵66

   卒業 219名  戦没 133名  終戦時復員 86名  現員 18

  機54

  1 193月末会報、名簿の発行懇親会等の活動を停止、年1回水交会での会合のみ実施、これも23年までか。

2 卒業 173名 現員 51名 戦没者 52名 戦後物故者 70

 

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 大東亜戦争開戦の詔勅と終戦の詔勅をHPに取り込み組みました。

次でも見る事が出来ます。

http://ww41.tiki.ne.jp/~yt737/sensen.htm(開戦の詔勅)

http://ww41.tiki.ne.jp/~yt737/syusen.htm(終戦の詔勅)

 水交78月合併号を受け取った。この中に次の記事等があった。

1 第1潜水隊太平洋を行く(中編)  矢田次夫

  5・6月号に(前編)があり、次号に(後編)が掲載される。

内容は、なにわ会ニュース92号(平成17年3月掲載)と同じでHP(戦記)にも取り込んである。

2 第16回「市来会」の案内

  日時  平成22年7月27日(火)13301600

  議題  アメリカから見た「ガダルカナル」

  講師  左近允尚敏氏(兵72期)

3 「回想のネービーブルー」購入のお願い

  海軍兵学校連合クラス会は平成2012月に幕を閉じたが、4年に一度全国連合クラス会を行い、その都度記念誌を発行してきた。この記念誌には海軍の伝統、教育など貴重な資料が多く、今回その主なモノを纏め刊行された。この本の構成については70期の三浦先輩をはじめ73期から78期までのもの7名が委員としてつとめ、元就出版社から発行された。購入希望の方は水交会事務局へ申し込まれたい。

 

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小灘利春君が亡くなったのが平成189月、彼は回天に関する資料を多数遺していた。これ等は故・小灘君が「人間魚雷・回天特別攻撃隊の歴史を、搭乗員の思いを正しく後世に伝えたい」という主旨のもとに、生前に会報・雑誌・新聞等に発表されたものであった。

これを知った73期峯眞佐雄氏のご子息 峯 一央氏が、遺された貴重な記録の数々が、散逸することなく永く後世に語り継がれんことを祈念して、ご令室・郁子様のご許可を賜わりHP↓に収録された。

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/konada.htm

 小灘利春君に関する記事が多数収録されています。

 主な題名は次の通りです。

回天にかけた思い

 海軍大尉 小灘利春 略歴、208.15 大津島の終戦

 回天、回天」の真実 命削り伝え る/東京新聞

 回天とは何か、回天の 無形の戦果

 回天の大業成らず、何故に、回天作戦に於ける戦果発表について

 回天隊光基地、回天搭乗員の一枚の集合写真

 故小灘利春君の霊前に捧ぐ/池田武邦様、人間魚雷・回天について

 大津島回想、特攻に、なぜ日本の若人たちは参加したか

 特攻の心、特攻断章・固定観念

 父・小灘利春/ご三女 伊藤伸子様、 米国の友人からの手紙

 回天泊地攻撃・洋上攻撃の検証、

 菊水隊 伊三十六潜回天の発進

 菊水隊 伊第三十七潜水艦の戦闘、菊水隊伊三十六潜回天発進の一考察

 菊水隊 回天のウルシー泊地攻撃、金剛隊 伊五十三潜回天の戦闘

 金剛隊 伊五十八潜回天の戦闘、金剛隊 伊五十六潜の戦闘

 金剛隊 伊第三十六潜水艦の戦闘、金剛隊 伊第四十七潜水艦の戦闘

 金剛隊 伊四十八潜の戦闘、轟隊 伊一六五潜の戦闘

 轟隊 伊号第三六一潜水艦の戦闘、轟隊 伊号第三六三潜の戦闘

 轟隊 伊三十六潜回天の戦闘、振武隊 伊第三六七潜の戦闘

 神州隊 伊一五九潜の出撃、神州隊 伊三十六潜の出撃

 神武隊の作戦、千早隊 伊号第三七〇潜水艦の戦闘

 千早隊 伊第三六八潜水艦の戦闘、千早隊 伊第四十四潜水艦の戦闘

 多々良隊 伊五十八潜水艦の戦闘、多々良隊 伊五十六潜水艦の戦闘

 多々良隊 伊四十四潜水艦の戦闘、多々良隊 伊四十七潜水艦の戦闘

 多聞隊 伊五十三潜回天の戦闘 第一部、同 第二部

 多聞隊 伊五十八潜回天の戦闘 第一部、同 第二部

 多聞隊 伊第三六七潜水艦の終戦、多聞隊 伊第三六七潜水艦の戦闘

 多聞隊 伊四十七潜の戦闘、天武隊 伊三十六潜回天の戦闘

 天武隊 伊四十七潜回天の戦闘、米軍資料・回天の戦果

 米軍資料・回天搭載潜水艦の喪失状況、米軍資料・金剛隊の戦果

 米軍資料・多聞隊の戦果

 

 回天十型の物語、関東、東海、近畿地方の基地回天隊

 関東地方、伊豆半島の回天配備計画、高知県海岸の基地回天隊

 豊後水道の基地回天隊

 第18号一等輸送艦の沈没時状況の調査、第一回天隊 隊員氏名

 第一回天隊の戦闘、   第一回天隊の戦闘 参考事項

 第一回天隊 隊員氏名、 第一回天隊々員の行動について、

第二回天隊(基地回天隊)

 第二回天隊実記@  

 第二回天隊実記A、 第二回天隊実記・断章 A補遺、

 第二回天隊実記B、 第二回天隊実記・断章 Bの部  

 第二回天隊実記C、 第二回天隊実記・断章 神楽桟、

 八丈島の記憶、  八丈要塞に白旗があがったとき

 回天の基地残して/南海タイムス

 「回天」八丈島秘史  元隊長56年目の証言、

 底土基地回天壕 説明版 

回天関連書籍への寄稿等

 ザメディアジョン「人間魚雷回天」、伊呂波会「三十周年記念誌」

 回天記念館「概要・収蔵目録」、月刊「正論」への投書

 舞台演劇「回天の夏」記念パンフレット

回天特別攻撃隊の記録

 〇六金物試作艇、回天 の機密保持

 回天のハッチ、回天の実用頭部

 回天の創生、回天の中の生存時間

 回天の飛沫、回天の不発問題

 回天作戦計画の経緯(菊水隊)、回天生産の遅延

 回天搭乗員の遺書などについて、回天搭乗訓練開始

 回天頭部の爆薬について、航行艦襲撃訓練の開始時期

 射角計算器の話、水上艦艇から発進する回天

 整備先修配置、大津島で目標艦となった駆逐艦

 大津島沖の戦艦大和、第一次出撃者の選抜

 鉄拳制裁考、入隊の儀礼

 予科練出身搭乗員の出撃者選抜

回天烈士の志と俤(おもかげ)

 回天と我がクラス、回天の黒木少佐と第六潜水艇の佐久間少佐

 回天隊のある日、回天隊の殉職者、自決者

 橋口  寛大尉 自決す、故・松尾秀輔中尉

 黒木博司の事蹟、散る桜、残る桜も散る桜

 終戦時の橋口 寛大尉の状況について、上別府宜紀中佐

 人間愛の権化、回天の烈士、帖佐さんと回天隊創生の頃

 長井 満少将と回天隊、追想「橋口  寛大尉自決す」付記

 南海の底ひに逝った福島誠二、忘れ難い人たち 工藤義彦

 忘れ難い人たち   伊東  修・有森文吉、

 忘れ難い人たち   加賀谷 武、  忘れ難い人たち   河合不死男、

 忘れ難い人たち   柿崎   實、  忘れ難い人たち   吉本健太郎

 忘れ難い人たち   久家   稔、  忘れ難い人たち   久住  

 忘れ難い人たち   今西 太一、  忘れ難い人たち   三枝  

 忘れ難い人たち   勝山   淳、  忘れ難い人たち   小林富三雄

 忘れ難い人たち   石川 誠三、  忘れ難い人たち   川久保輝夫

 忘れ難い人たち   川崎 順二、  忘れ難い人たち   池淵信夫

 忘れ難い人たち   塚本 太郎、  忘れ難い人たち   渡辺幸三

 忘れ難い人たち      義明

回天の戦後

 ワシントン海軍博物館にある回天、沖縄「平和の礎」回天関係刻銘状況

 沖縄方面の回天関係戦没者、回天に沈められた米艦の戦友会

 回天一型 靖國神社へ帰る、回天帰る

 回天顕彰会・全国回天会 経緯、回天烈士追悼式典(平成 6年)

 回天烈士追悼式典(平成 7年)、回天烈士追悼式典(平成 8年)

 回天烈士追悼式典(平成 9年)、回天烈士追悼式典(平成10年)、

 回天烈士追悼式典(平成11年)、回天烈士追悼式典(平成14年)

 回天烈士追悼式典(平成15年)、回天烈士追悼式典(平成16年)

 回天烈士追悼式典(平成17年)、帰ってきた人間魚雷「回天」

 宮崎県細島 第三十五突撃隊回天の探索、在米回天探査の旅

 大津島に於ける回天追悼の式典(平成12年)、特潜碑顕彰祭 参列報告

 楠公回天祭 参列報告、麦が浦 回天捜索の参考資料

 麦が浦の回天、麦が浦の回天について

 靖國神社奉納模型

その他の記録等

 故・飯野伴七理事を偲ぶ、三断の記

 敵艦に突入し氏名が判明した神風特攻隊員

 

75

 今日は特に記事が無い。

ニュースとしては角界を巻き込んだ野球賭博問題は、4日日本相撲協会が大嶽親方(元関脇貴闘力)と大関琴光喜の2人を解雇とすることで、一つの節目を迎え、5日には1週間遅れの番付発表を行い、名古屋場所(11日初日、愛知県体育館)の開催に一応の道筋はついた。

 

76

 今日も特に記事が無い。

 クラスの名前を入れて検索するといろんな記事が出てくる。左近允尚敏君や池田武邦君のは沢山出てくるし、故小灘利春君の記事も前に書いたように多数でてきた。

 相澤善三郎君で検索したら次の有志会員Aさんのブログの記事が出て来た。

 F13(B29の偵察機型)を、零戦単機で撃墜した直後の相澤善三郎中尉。

 以前から相澤中尉のこのクールな表情が気になっていて、トレースして秘蔵(?)していました。 前にも書きましたが、20年1月20日頃(下旬?)、F13の関西侵入の報をうけた鳴尾の332空・相澤中尉は、零戦単機で11000メートルの高度まで上がり(整備員に頼んでエンジンに細工がしてあったらしい)、生駒山上空で空戦、一撃を加えるも逃げられてしまいます。 しかし、その後、そのF13は潮岬沖に墜ちたと、他基地から連絡が入り、相澤中尉、1機撃墜認定。

 この元写真はF13撃墜直後の相澤中尉らしいですが、ぱっと見、喜んでいるような様子ではないです・・・・。

かといって、殺気立っている様子でもない。 こういうときって、どんな気持ちなのでしょうね・・・・。

手に本のようなものを持っておられますが、何を読まれているのかな?

これに対するコメント  伊藤正敬  

 今でも明るい性格の相澤善三郎君です。現在はいろんな会合のときは、彼が音戸を取って硬軟両方の歌を歌って座を盛り上げてくれます。なにわ会の会合のときは何時も軍歌係です。

 

有志会員Aさん  軍歌係!! いいですね〜。   そういえば、最近のなにわ会の写真で相澤さんが歌っている写真を見た記憶があります。わたしは軍歌には疎いですが、月月火水木金金なら母娘ともどもいけます。相澤さんの音頭で歌ってみたいです。(相澤さんは「艦隊勤務」ではないですね・・・・(^_^;)

 

77

1 937年(昭和12年)77日に盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が起った。

これは、北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である。

この事件は日中戦争(支那事変)直接の導火線であり、その延長戦上に大東亜戦争があった。

7月7日の戦没者

 66年前 昭和19

里村 保(玉波 駆逐艦) マニラ南方で

 船団護衛中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死

鈴木満男(薄雲 駆逐艦)オオツック海で

 船団護衛中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死

 65年前 昭和20年 なし

 

78

 今から66年前の昭和1977日はサイパンの日本軍が玉砕した日である。

昭和19611日、アメリカ軍艦載機1,100機によるサイパン島に対する奇襲的な空襲が行われ、13日からは戦艦8隻、巡洋艦11隻含む上陸船団を伴った艦隊がサイパン島に接近、砲弾合計18万発もの艦砲射撃が開始された。これにより日本の陣地は半壊し、サイパン基地の航空機150機のすべてを失った。157時、アメリカ軍は上陸を開始し、19時までに海兵隊2万名以上の上陸が完了した。

19日、「あ号作戦」で出撃した日本機動部隊はマリアナ沖海戦で大敗を喫した。2日間で艦載機400機を失い、帝国海軍航空部隊は無力化された。これによりマリアナ諸島の日本軍は救援の望みを絶たれた。

77日、日本軍は完全に追い詰められた。斎藤中将は残存部隊約3000名に総攻撃を命じ、陸海軍によるバンザイ突撃が行われた。

米軍は日本兵の捕虜からこの攻撃の情報を得ており、陣地を築いて待ち構えていた。この戦闘で米軍に死傷者658名の損害を与えたが、日本軍はほぼ全滅した。翌日戦場は「死の谷」と呼ばれるほど、両軍の死体が累累と積み重なっていた。南雲中部太平洋方面艦隊司令長官を始め指揮官など残りは自決し、少数は降伏したため、事実上サイパン島の日本軍は全滅した。79日にターナー中将はサイパン島の占領を宣言した。

この戦いにおける戦死者党は次のとおりであった。

日本軍 戦死 25,000、自決 5,000、捕虜 921

米 軍 戦死 3,500、 戦傷 13,160

そして78

今井 義幸、上原 庸佑(55警 警備隊)はサイパン島で敵上陸部隊と交戦後玉砕戦死した。

 65年前の昭和20年はなし。

 

79

 7月9日の戦没者 66年前 昭和19年 なし 

65年前 昭和20年 上嶋 逞志(戦407 戦闘機)大村湾でB−29迎撃のため出撃、敵機と交戦戦死(紫電)

戦記のHPのうち、潜水艦及び回天に関する目次を整理した。チェックしてみてください。

 

710

 沖縄に進出の途中戦没した第1回天隊(隊長河合不死男)の記事をHPに取り込んだ。

なにわ会HPにある「忘れ難い人たち」 河合不死男(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kawai-konada1.html

には、河合隊長以下便乗中の第一回天隊は127名全員が戦死、輸送艦の乗員225名も全員が戦死したとなっているが、公式記録には沖縄の陸上戦で戦死したとなっているものもいる。

 平成22年 海軍機関学校・海軍兵学校舞鶴分校 三浦半島地区同窓会が、7月1日横須賀中央セントラルホテル 5Fサファイヤの間で行なわれ、47期平川先輩を初め37名が集まった。機53期からは村山 隆、野崎貞雄の両君が参加していた。

 この会は今年で47回目となったが、最も若いクラスも80歳を超え、老齢、会合に出るのも大変な状況になって来た。

そして、『三浦地区同窓会は昭和39年の設立開始からから今年で47回目にあたりますが、かつて100名を越えていた出席者もだんだん減少しここ10年間では50名前後で経過しておりました。特に今回は常に出席していた常連の方の欠席も目立ち40名を切りました。過去にも会の継続困難、そして会の取りやめが議題になることもありましたが、世話係の交代により会の継続が計られました。近くは平成18年同窓会の了解事項として、「今回を含め、あと3回を限りとしその後は成り行きまかせ」となりました。

昨年は4回目となりますので、なりゆきとして実施されたと私は了解しております。 今回の世話係の辞任もいろいろ事情はありますが、つまるところこの会の世話係も高齢化して継続困難ということです。このような事情から来年の同窓会は後継者が見つからないかぎり実施できないということになります。後継者が決まらないまま辞任するのはまことに申し訳なく遺憾なことでございますが、あえて皆様のご了承を得たいと思います。』と世話係から挨拶があった。

74期訃報

山下 哲 様(1学年41分隊) 平成22618日 没

(続く)

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