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 修業 目記

      出雲 凡夫

昭和1911日 土曜 気象 曇 寒し 

 遙拝式後司令訓示「今年こそは真に雌雄を決すべき輝かしき年なり。年内に第一線に進出すべき学生諸氏の更に奮起せんことを望む」 祝盃後大いに愉快に江田島健児の歌、巡航節等を歌い石見大尉の踊り、前橋の踊り等の後、司令飛行長を担いで庁舎まで運ぶ。 横須賀線内にて副長と一緒に乗る。若い人二人を横にして甚だ上機嫌なり。保土ヶ谷に一泊。 写真を撮るも夜の事故大した成果を望み得ず。11時半就寝。

1月2日 日曜 気象 晴

 七時半起床。富士山も綺麗に見えてよい天気なり。書初とて色紙を取り出すも何分初めての事とて中々よく書けるどころの話ではなく赤面の程なり。「久方の天の光も新なる軍の御代に会へるよろこび」。字の上手なことはどうして必要だ。

 恭子と二人堀の内の粒良の家へ遊びに行く。姉さんの教え子連中8人程来て居り写真を撮るも不安なり。汁粉や酒の御馳走に預かり、お父さんと三人色々と話す。9時頃退去。踊りを所望され「サノサ」節、「勝って来るぞ」をやる。余りよく出来ず。

13日 月曜 気象 晴 風強し

 8時悪戯により起床す。昨日の予定を今日に延ばして東京に行くこととするも玄関の戸締とか何とかで新橋へ着くのは12時頃となる。写真や休業成る為宝塚前にてまた彦伯父を1時過まで待ちしも来らざる故急に中野へ行くこととする。午後五時頃見知らぬ人と女学生来る。話をする中に伯父の親類の方にて日本画の先生なり。家より駅までと千駄ヶ谷まで実に楽しく心の弾むを覚えたり。隊にては住田や山田の土産なる餅を焼きて美味く食ベたり。

 

1月4日 火曜 気象 曇

 午前の課業は自習なりしため写真の現象をやる。昨晩ネオ]を定着液につけて失敗せしため慎重にやり非常に旨く出来たり。内心はビクビクものなりしも。な 午後は通信機搭載機の自差修正なりしも最初から自分でやらざりしためと磁梓少なきため全然旨く行かず、前席十三度、後席六度、お蔭で又残って全部終るまで待つ。勝沼サン4時半の定期に遅れて面白からぬ顔。 夜は遠藤大尉の諸例則の説明あり。大分有益なりき。8時半一寝て11時半起床、写真の現像に掛る。

15日 木曜 気象 晴 夕方より雪

12時半から午後5時半まで独りで静かに焼きつけをやる。最初の間は割に旨く出ていたが駅が古くなるにつれてよく出来ず、駅は無理して使わないこと、順序を決めてやる。露出時間をなるべく長くして現像液内に長くしたさないこと。

 6時に又寝て9時半に起きる。午前中なにもしなかったが、1日中しないボヤットして過ごすも馬鹿らしいと思って射撃の課題を勤務録に記註す。6時頃より雪降り来り一時停電となる。カンカンストーブを焚く中に三宅浅沼等Mの話ばかりして痛いこと。

 

16日 木曜 気象 晴

 20粍機銃始まる。手を下さずして求めんとすること勿れ。飛行作業始まる。申継不良のため計器飛行出来ず、癪に障ること大なり。編隊も未だ勘旧に復せず。本日より候補生が地上指揮官をやることとなる。自習時間中写真をやる。引伸は又々失敗なるも密着は大体良好なり。自習時間や其の他の時間は無駄ばかりなり。もっと研究し表す方法あり。

 

1月7日 金曜 気象 晴

 裸で駐歩をやるつもりで、裸で寝たがとうとうそれも出来ない。然し体操は本当に気持がよいものである。 編隊は検定と見えて全部同乗であったが手荒い気象で殆んど定位置に降れることなし。途中より相当の夙吹く。一旦食事をした後、夜間飛行に入る。夜設は熱心にやったため案外旨く運んだけれど夜間定着は横風のため2回とも「パス」に入れず残念なり。要するに地上における研究と機上における死に物狂いさが足りないためである。

 

18日 土曜 気象 晴

 陸軍始にて陸サン750機の大編隊にて東京上空を飛行するためか本日は飛行作業行はれず、航通互乗の準備教育行はる。

 明日の上陸に備へておめかしと洒落る。夜は田辺の部屋にて餅を焼いたり、ハーモニカの練習やらをなして結局12時頃となる。

 

1月9日 日曜 気象 曇

 五時半頃起床、六時四十分の定期にて上都。上野にて彼女待ちあるものと期して居たところ来らざるため不安なりしも後で伯父さん来て居られし由失礼。

 六時半頃まで実に愉快に過しその間にお護として魔の絵を皿とハソケチに書いて貰ひたり。効能顕著ならんことを伏し祈るかな。おまけに帰りには慰問として色々の物を箱に入れて呉れて恐縮せし次第なり。近来になく愉快なりし一日なりき。MMC

1月10日 月曜 気象 晴後曇

 5時半起床。本日より厳冬訓練開始さる。剣道なるも人数の関係上隔日に体操と併行実施せられる。号令官となり久し振りに裸体操をやり爽快なり。5時45分より6時45分までなり。零戦の機銃調整をやる。柳沢大尉例の調子にて、ガダルの件、十八娘の件。夜間飛行途中にて少雨のため中止となる。オーバーを其の儘無理して大落下となり脚切損す。

 

1月11日 火曜 気象 晴 風10

 7,7粍固定機銃の実弾射撃あり。 朝は第1講堂にて41期のみ剣道をやる。実に気持よきもの也。然し腕は固くなって思うとおりの技は出ず。

 測風法なりしも研究十分ならざりしため、自差も加減せず極めてラフなる編流点なりき。かつ相当に気流悪かりしため途中にて気分悪くならんかと心配す。 土曜日課、自分の部屋にてダベルよりも田辺の部屋が面白きため其処へ行く。

 

1月12日 水曜 気象 曇 寒風アリ

 2時半頃起きて現像をやる。20分位経っても全然表はれざるため気が気ではなかったが、薬の不良のためと分って薬をかえ、やっと出たけれども二重写しと白面のため頗る失敗と思い4時過寝る。8時半起床。大した失敗ではなかった。12時より2時まで焼付をやる。液の温度が極めて大切なるを知る。密着のみなるも大体良好に出たり。只フィルムに指の形の表はれるのが惜しき庇なり。酒保類を家に送る。

 

1月13日 木曜 気象 晴

 朝体操遂にジャツを着ける。計器飛行は主として旋回計式をやることとせるも旋回計のみでは自信がなく羅針儀ばかりを

睨んでいる状態なり。速力試験の事でスペさんを散々にやっつけて気の毒な位であったヮイ。

 考課表を各自で書かされる。どうも自分の事を褒めることが出来んでね。分隊点検あり兵学校時代と比較し何と躾の悪くなったことよ。夜は航法地奄演あり。後3日自習時間を潰されるのか。

 

1月14日 金曜 気象 快晴

 朝の剣道極めて壮快なり。余り早くやめ過ぎる傾向あり。r作業は速力試験と発動法なり。大体服案はよかったけれども針路に入ってから偏流の左右を誤り(愚の骨頂)可惜恥を残さんとは。速力計誤差の出し方ももっと深く突込む要あり。

r隊の夜間飛行後四r隊長(石見大尉の航法説明あり。座学取止なんてことで就易に流れ大醜態を演ず。欠席者三十名余誠に不甲斐なきことにて涙の出る程なりき。「嬉嬉赴難」   (編注、rは飛行の略号)

 

1月15日 土曜 気象 曇

 第1回復編隊は小隊長機の後席に乗りて見学す。遠山の白景は写真機に納めたき慾望に駆られる。計器飛行は久し振りに旨く出来たり。但し旋回計指針による保針不良にして羅針儀に頼り過ぎるは矯正の要あり。

 座学は飛行要務(五分隊長)なり。毎朝8時半の気温零度なり。本日夕方よりグングンと温度低下す。毎日11時までの勉強は小々応へる。勤務録に射撃理論等記註し始む。

 

1月16日 日曜 気象 曇 猛凰

 朝襯衣を着て剣道をやった所が余り張り切って汗ビッショリとなりガッカリ。朝風呂のせいか風邪を引いたらしい。馴れることである。航法は土浦・古賀「の単線航法。往航に通信でサッパ連絡とれず気分を害すること甚だし。帰途は極めて上手く出た。要は慣れる事である。写真の教務始まる。中々熱心に聞くも2週間位11時より早く寝たことなきためか、非常に頭が重い。 11時頃より地上風20米位砂塵を抱き上げ物凄し。一rr作業取止め。

 

1月17日 月曜 気象 快晴

 朝はてあらく寒いけれども駈歩をやるときはポッポと暖まる。計器飛行は全然水平儀を使はず一生懸命にやる。旋回を戻す操作極めて不良なり。一旦早く止めてそれから修正の要領にてなすを可とす。零戦を撮る。山仲の写真機を何とかして譲り受けたきものなり。

 1時頃、嶋田海軍大臣視察に来られ20分に亘って訓示あり。「吾人の一生は大東亜戦争のためにあるものにして、若し戦後余勢ありとするも何等意義なし」と、又一切執着は厳禁なりと。

 

1月18日 火曜 気象 暗

 航法は最初編隊にて石岡駅まで行く。池田のボヤボヤしたのには我輩も呆れてしまうより外はない。抑々測定器の起し方から知らんじゃなあ。航法は時間なきため通信だけをやる。風邪のため甚だ苦しむ。 写真は判読の方についてなり。中々難しきものなりと感ず。 7時より指導官附送別会あり。珍しく八木大尉も酒を多くやり、身ふり手ふり腰ぶりも面白く玄人はだしの名妓続出なり。

 

119日 水曜 気象 快晴

 6時20分起床。急いで食事もせずに6時40分の定期で出発す。娘パズルをやりながら。保土ヶ谷で和子さんは遅番、暫く世間話をしてから今度級長になった恭子さんの授業を見に行く。唱歌の時間なり。ハニホヘトイロ・・・・とか。

 横須賀線20分も延着し、結局40分も待つ。伯母さんと目黒の家へ行く。菊美さんは挺身隊とかで5時頃帰宅。帰りは駅まで10分間位二人で歩く道の短かきを恨むのみなり。

 

1月20日 木曜 気象 晴

 燃料の座学は相変らず漠として掴み所なし。然も前回考査の成績たるや平均75点にして近来に見ない好成績とはイヤハヤ。

 応用(背面系)特殊飛行は案に相違して大したGもかからず愉快なりき。ただ地上に降りてから体が重くなったような気がしていかん。計器飛行は記録を取るといふに今日に限って全然出来ず憤慨の極なり。引続き夜間飛行あり。一回はショ−トをそのままつけんとして落下、廻さる。未だ全然腕に自信がなきため実に不安なり。死に物狂いなれ。執着を去る。

 

1月21日 金曜 気象 快晴

 風邪気味のため剣道を止めて体操に行く。通信は、60位は打てる様になった。功を急ぐな。燃料は自習。身体検査あり。爾後「ツベルクリン」は陽性になったこととする。視力1.2。航法は俺が操縦をやったら八日市場から手荒いところに行ってしまい途中変針を余儀なくさる。通信状況極めて良好。夜間飛行、5分隊は遂に互乗の儘だそうだ。俺はまだ全然自信がなし。 小々無理とは思うが11時まで起きている。

 

1月22日 土曜 気象 曇夕方小雨

 未だ風邪気味にも拘はらず号令官となり裸体操をやる。約20分駈歩。本朝の如き指揮所横の他の結氷15糎に及ぶ。通信戦務は電探なり。鈴木大尉の講義のまずいこと、面白いこと。背面系特殊飛行の予定なりしも雲低く視界小となりしため二人目より複編隊となる。定着はもっと一生懸命やらなければ何時までたっても上達しないぞ。 夜間飛行取止められる。久し振りの自習時間を有難く過す。此処数日実に勉強に熱が入る。

 

1月23日 日曜 気象 快晴

 歯痛と思いしは誤にて骨の痛みなり。朝寒稽古を休み自習をなす。通信戦務(通信長)も相当に得るところあり。航法終ってから鉾田の上空で気分悪くなり掃射をなす。航法誤差0.4浬位。要は保針なり。通信結果良好 1530飛行止め、食後夜設最後迄互乗なり。教員からもしっかり注意を聞いて一生懸命やったけれども遂に一回やり直し、二回目も手荒い着陸で涙が出る位なり。次に愈々張り切っていた所が出発待てでガッカリしてしまう。真剣研究。

 

124日 月曜 気象 曇

 朝寒稽古をやらず自習をなす。木下大尉入って廻っては「風邪か、腹か、アそうか」。と田辺が「ズべッテヰマス」に対して「そうかじゃ明日からやれよ」と八木大尉とは全然違って面白い。夜も「窓を開けるのは総員出た部屋だけ」とは。

 寺崎大佐の兵術は例の調子で手荒く面白い。而も真面目な顔で言うから傑作だ。住田ズベッた為に50分も連続特殊飛行でフラフラになる。教員は大変だろうなあ。 夜は軍令部員輿倉少佐の米国に関する話あり。得る所多し。

 

1月25日 火曜 気象 曇後雨

 剣道を止めて体操をやる。中々気持がよいものである。寺崎大佐の講話は実に熱があって良いものである。矢張り信念が大切だ。航通は変針航法。少しも正確さがないから自信を以って人に見せられない。通信は長波なるも概ね良好なり。

相当に気流は良かったが又々参った。夕方から雨と共に風まで出て来て憂鬱なり。引伸をやるも10枚位やって3枚しか出ず。

 

1月26日 水曜 気象 曇昼頃一時晴

 7時に起きたつもりだったのが、6時に起されて不精不精起きる。伊藤、田辺と三人車中でトランプをしながら何時の問にか上野に着く。11時頃家に着く。田辺のピアノには感心する。純子さんも中々旨い。こんな点音楽が分らぬと実に物足りないもんだ。踊りでもしっかりやろうかのう。色々と御馳走になる。小母さんも中々愉快な人なり(城島の人)。上野のCaでは手荒いFで憤慨せざるを得ぬ。夜店で「アルバム」を買う。

 

1月27日 木曜 気象 晴

 朝土空隊門の少し先まで駈歩をなし、どんどん肌着を脱いで遂に裸になる。然しどうも風邪が全治しない。

飛行作業は背面系スタントと複編隊と並行されて忙しいこと。背面飛行でE停まったのに気付かず。

 伊藤の家に礼状を書く。少し真面目さが足らなかったかも知れぬ。天の余白をしっかり取るのが大切だ。序に増田さん、菊美さんにも手紙を出す、手荒い心臓だわい。夜は木塚大尉の電探なり。

 

128日 金曜 気象 快晴

 当直学生となり大いになす所あらんとす。朝体操を休んでズベル者四分隊に最も多きは遺憾なる次第なり。元気なきこと甚し。航法の操縦をやる。土浦、鉾田、佐原問なりしも出発のとき前罐50立で出たのを忘れて80節で一時問も飛んだ後ヒョイと気附いたら燃料計0、ピックリしたこと之より甚しきはなし。よくも停らなかったものだ。冷汗淋満とはこのことか。落下傘収納法、不時着糧食等の説明あり。邪魔があって中々勉強出来ん。

 

1月29日 土曜 気象 晴

 朝の駈歩は又々土空まで。手荒くへばる。汗びっしょりだ。朝風呂に行かざるを得ない。陸の航空士官学校から来ると云うので航通復編隊、特殊飛行、定着、単独と殆んど地上に居る暇もないくらいに飛ばすこと。複編隊の単独は実に気持がよかった。

 司令(三木森彦、40期)近く第一線に行かれる故夕食は会食。あんなに気の措けないよい司令を失うのは実に名残惜しい気がするものである。

 

1月30日 日曜 気象 曇小雨

 相当の曇天の中を航通前席にて出発す。佐原より小見川までは大した雲もなく(400米)交代して一番機となってから急に真白な雲に出会いやっとのことで小見川を見つけ高度平均150、低き時は50米まで下ってどうやらこうやら荒川沖に辿りつく。中には東京湾まで出て陸の飛行場に立寄り道を教へて貰ひしポン助もあり(秋山、田尻)。平素航法誤差0.5浬とか何とか云うに何たる事ぞ。全部目測航法の証拠なり。帰りは雨に会う。

 

131日 月曜 気象 晴

 特殊飛行互乗なり。誠に気持よし。所が何回やっても緩横転の背面で失速になって手荒いGがかかって住田を困らせる。中途半端な気持では駄目だ。 昨日ルーズヴェルトの誕生日を期して米国はマーシャル群島に空母を以て大挙来攻す。

敵米国の戦意もさることながら、我海軍の不甲斐なさには如何に兵力が足らぬとは云い乍ら腹が立ってしかたがない。39期なんか殆んど戦地へ行かずに教官とは之亦如何なることであらうか。

 

2月1日 火曜 気象 快晴

 司令の退庁式の為七時半よりr作業開始のつもりにて早く出掛けr機も出したところ、分隊長の不行届とかで整備員も通信の教員も 教官連中も来らず暇潰しに騎馬戦をなす。実際r作業を開始せるは8時半頃なり。池田が操縦者航法をやってピクッと木原の上に持って行ってしまったのは憤慨の極なり。司令退庁さる。北方航空戦隊司令なり実に気持のよい人ではあった。7T期町田少尉脳膜炎にて死す。

 

2月2日 水曜 気象 晴後曇

 7時の定期があると云うんで悠々として6時40分のにも乗らずに居たところが、7時になってバスは出ないそうだで、7時10分になっても来ないので大ショッだと思っていた所に土浦から帰って来たバスを捉へて当直将校がどうのこうのと言う中に、15分も過ぎたが兎角出せと言うわけで17分出発全速力で行く(約10人)。駅の手前で汽車と会い之より少し遅れ踏切を渡ったときは既に停車中なりしも約6分の延着と降客多きためヤッと間に合う。今迄になきスリルなり。又彦叔父さんの家へ行き5時頃菊美さんの家へ行く。御守なんか貰う。少し気分がおかしいが駅までは誠に気分よし。

 

2月3日 木曜 気象 曇昼頃雪

 起床の鐘が鳴っても余り静なのでついうとうとと5、6分寝過す。住田も今日は遅い。朝の教務は手荒く寒く十時頃からポツポツと雪が降り出す。復編隊の途中で猛烈なる吹雪となって著しく視界減ず。途中にて飛行作業取止。国越大尉退庁。39期の関中尉、三上、高橋、三重掘少尉教官として来る。落下傘のことで浅沼と二人、高橋中尉にしめられる(死んじまへとは)、途中で雪止みしためガッカリする。猫松の物真似演芸あるも学生は不許可。近頃煙草を喫み始めて困る。自制。

 

24日 金曜 気象 雨後曇

 「総員起し」の声で潔く床を離れて室を出んとせし処、小雨のため寒稽古なし。6時半まで自習。午前一飛行隊と一緒に兵術あり。航空戦術は今日にて終る。自習中も他所から入って来るために中々ゆっくり出来ぬ。明日、明後日は考査というに。

 一時半から軍医大尉の性病に関する話あり。中々手荒い所まで説明ありたるは大に参考になりたり。字の練習の必要あるも中々に畷を見出さず日記に於いて練習せんと心掛く。

 

2月5日 土曜 気象 雨後曇

 又今朝も雨なり。何とまあ憂欝なことであるよ。飛行作業をやらんと身体がむずかゆくていかん。 午前は課業、午後は自習なり。通信なんかやっても始らんと言うて4頃まで発動機をやる。どんなもんかと思うたら何のことはない半片に一枚で早い者は15分で終る。而も結構出来ないと来るんだから仕方がない。 敵はマーシャルの真中クェゼリン、ルオットに上陸す。帝国海軍何せるやと憤慨するも無理なからん。

 

26日 日曜 気象 晴

 戦術は最近速記に留まるものの如く余り面白からず。内容は相当に貴重なることなるも。本朝を以て寒稽古(1ケ月間に亘った) を終了せり。途中二日問歯のため休んだのは遺憾の極なりき。復編隊は谷田部に生地訓練として定着(検定)をやりたるも中隊長となり、広瀬中尉からガミガミ云はれてさっぱり旨く行かず。空戦と射撃も大したことはなく1時問もせずに終ってしまう。

 

2月7日 月曜 気象 晴後曇

 寒稽古が終ると何となくホッとした気になる。午後一時から寒稽古納の競技あり。伊藤の部屋で26番をきめこんで太エシクだ。相撲と弓の写真を撮るも弓道の方は露出が足らなかった。剣道も柔道も一分隊が制覇してしまう。二飛行隊はサッパリ元気がない。 夜間飛行は4時から出発して9時まで。途中中攻が三機邪魔をしたおかげで結局乗ったのは十分問だ。終ってから永田中尉から40期よりも元気がないとしぼられる。実際だ、張り切れ。

 

2月8日 火曜 気象曇 風速十五米

 一飛行隊に代って午前飛行作業。最初から7、8米の風で気持拝今迄になく悪くて復編隊の後衛は命懸けである。前後席入れ替って二回やった頃から15米位の風となり飛行止となる。寒稽古でいらんことに手を出したばかりに出席調査が出来ず電話で四苦八苦する。物事は軽卒にやってはいかんが、やる以上は几帳面に抜かりなくやるべきであることをつくづくと感じさせられた。 十一時半就寝が最近の日課である。

 

29日 水曜 気象 快晴

 気流極めて良好なりしも柳々悪くなる。報告球投下は操縦拙かりしため朝稲のは外に出てしまった。中隊解散後の誘導コースの廻り方が未だ未だ宜しくない。中隊長の誘導も中々どころか殆んど宜しくない。高目の判断を要す。午後は自習。勝沼さん等を撮る。又編隊中二枚程撮る。ボンヤリ ボンヤリ時間を過さぬ様。関根利彦14日戦死。塚田純戦死、恒吉貞夫入院中の所病死。

 

2月10日 木曜 気象 暗

 複編隊と一緒に二式中練の離着陸とユングマンの背面錐もみ操作始まりたり。積極。午後大山候補生の両親見えられし故短時間面会せり。大庭良夫中尉も昨年十二月戦死されたる由。69期で残って居るのは貞閑中尉だけ位のものか。橋本中尉の風邪がこじれて、どうやら胸の方へ廻ったらしいとのこと。余り無理されたからとも思はれる。江口中尉の所へ行くも酒無きため大したこともなし。

 

2月11日 金曜 気象 快晴

 司令官訓示あり。神武天皇御東征の苦難に比すれば現状まだ苦しと云はれぬとの事。最もなり。武道競技あり学生では剣道戸塚、柔道坂田何れも候補生の勝ちに終る。学生中武道にかけては一回も40期に負けなかったわけである。大山の兄貴、陸軍主計中尉に会う。午後山田と土浦の町を歩いて万年筆やら其他色々の雑品を購入す。往きに古里のバス内で分隊長に断はらずに乗ったがために怒られた者あり。以ての外だ。

 

2月12日 土曜 気象 曇

 午前兵術教務は一時間位で後は自習室。夜は考査があると云うのに少しも熱が要らぬ。飛行作業は相変らず復編隊。今日から中隊長機も互乗となる。結構旨くやっているけれども空中集合は演練の余地大なり。飛行機の震動が手荒くて途中非常に心配になったが結局乗りとおした。考査は兵術、雷撃約二時間で終る。何れも大体の所は掴んでいてもはっきりしていない為に宜しくない。周囲の情勢に押し流されるな。

 

2月13日 日曜 気象 晴

 防空演習のため外出を明日に譲る。航法の教務始る。石見大尉軽視せぬとは思い乍らも矢張り軽視し勝ちなり。複編隊は手悪く気持が悪くて小隊長としての技傾極めて不良なり。かある模様ではとても駄目だ。まだまだ研究演練すべきこと大なるものあり。 夜一r隊は武道競技の祝賀会とて手荒く騒いでいた。土田喜一一等兵(中央大学出)暫く来りて話す。案外気のよい人なり。

 

2月14日 月曜 気象 晴後曇

 六時四十分の定期にて行く。山田、浅沼と三人車中でトランプをやっていたところが隣に龍ケ崎から来たと云う三人(22、3才位)が聞えよがしにnavyを褒めるんでガッカリ。もすこしniceなれば相手になってやるんだが。日暮里で慌てて下りた所が弁当を忘れちまう。弁当は惜しくないが風呂敷が残念。もっと注意せにゃ。初め中野へ一時間足らず居て保土ヶ谷へ行きおばあさんにも会う。誠に元気なり。粒良が行けなかったのは残念なり。長野さんも写真を撮ってあげる。小学校の連中が手拭を作っている由。

 

2月15日 火曜 気象 曇 5時半頃雪

 午前の座学は自習なりしも何等手に着かず。ボンヤリとして過す。誠に勿体なき事なり。積極的に求め求めて進まざるべからざる時に於いて。午後は最後の航通なり。相当気持悪かったが前半平気だったのでシメシメと思っていたら最後の到達点附近で急に参ってしまいは何もやらぬ、誠に醜態ではあった。夜間飛行で2回目に飛び上る少し前から筑波に真白の雲があったのが見る見る中に押寄せて来て猛雪となり、高度70米にて飛びやっと全機無事。

 

2月16日 水曜 気象 晴 積雪

 昨晩から少々頭が痛かったせいもあって今日は寝ることにする。偵察教務午前午後共ありたり。一飛行隊は小泉へ行く予定になりしも雪のためか寒さのためか取止めらる。午前の教務は手荒く寒かったそうな。飛行学生の歌を作らんとするも中々出て来ない。自序伝も相当進捗して来た。雪は大分積っていたが朝陽のため昼頃にはすっかり消えてしまう。

 

217日 木曜 気象 晴

 今日も朝寝る。「飛行隊小泉生地訓練に出発す。雪上りにて相当に気持が悪いらしい。空中集合或は解散後も我々から見ると随分ともどかしい。朝は明日の研究会、高橋中尉の説明は中々分らぬらしい。午後の兵術は南方の遊び場処等の色んな話あり。経験の豊富なこと。専ら字の練習をやる。

 久かたの天のかくやまこの冬へ 霞たなびく春たつらしも

 

218日 金曜 気象 曇後雨

 5時20分起床直に食事をして50分出発。午前は4分隊で第一中隊二小隊長なり。7時離陸雲高千米雲量10視界20浬。気持極めて良好なるも小隊長の位置不良なり。小泉着0815。指導機に従はなかったと云うので総員撲られる中島の新γ見学す。1010小泉発。途中より雲高低く高度200米まで下る。中隊長機航法錯誤のため途中にて指導機に誘導さる。飛行場上空附近雲底180位にて気持悪し。五分隊は遂に取り止め。酒井、長妻中尉、一ノ瀬少尉退庁。中攻に決定す。

 

2月19日 土曜 気象 雪 快晴

 起床窓を開ければ満目白凱々なり。昨夜より降り出したるもののごとし。従って五分隊の小泉生地訓練も取止となる。転勤の荷物整理を行う。大したものもなかった。「トラック」の戦況は誠に慨嘆に堪へぬものあり。原中将は四F長官に後任は寺岡謹平中将(昔兵学校監事長)。又有馬少将もマーシャル方面の司令官になられる由健闘を希望するや切なるものあり。

 

2月20日 日曜 気象 晴

 6時40分の定期にて9時過目黒に行く。マフラーに書いて貰った後四人で弁当を持って井ノ頭公園へ行くも雪解けで路が悪く靴をドロンコにしてしまう。それから小金井の伯父の所で一時間程おはぎの御馳走になり5時過帰る。マフラーの刺繍余り旨くないといって謙遜するので加勢と云う程でもないが聯合合作とする。ツイツイと長引いて8時半家を出て横浜に行く。横須賀線に遅れて10時過着。それから伯母さんと12時半まで色々と話をする。恭子ちゃんが眼をさまして気の毒ではあった。

 

2月21日 月曜 気象 晴

7時過ぎ起きてゆっくり食事。大船のつもりで出て行く。横須賀線に乗っても誰も居ず大船について始めて追浜なるを知る。田浦まで行けばよかったものを逗子で湘南に乗りかへ金沢八景で乗りかへ、もう時間がなくなって何度か帰ろうと思ったが其処でやっと侯補生に会う。追浜着が既に5分前。駈歩で行く。途中トラックを捉へる。隊門着2分前、中へ入ったため遂に1分遅れなり、以ての外だ。横空空技廠見学。1時間程粒良と保土ヶ谷に休む。車掌の不愛想のため遂に7時に遅れ、松戸でボヤボヤ。帰ったら手荒く叱られる。汽車にFの大なること。

 

2月22日 火曜 気象 晴

 五分隊小泉生地離着陸訓練なり。四分隊飛行作業なし。午後泡喰って現像をせし所、液の不良と冷きったため中々出なかったのを癪に障って早くやめため、全然一本を無駄にし、折角長野さん、菊美さん小金井の伯父さんを写したのが駄目になり腸を断たれるばかりなり。新司令古川大佐着任さる。

 

2月23日 水曜 気象 晴

 午前27機の複編隊をやられる。漫然と列機に治まらずに中隊長は大隊長は・・・・と常に考うべきなり。余だけ艦攻へ廻されたらしいと云うので大分心配したが結局中攻となる。ホッとするやら、こっちへ居たいやら。夜r長及び副長より訓示あり。誠に有難き話なるを途中で仮睡せしは以ての外である。修業の直前まで勉強であることはあるはずなり。

 

2月24日 木曜 気象 曇午後雨

 最後の通信を終る。午前は退隊準備荷造を完了す。昨夜雨にて地面悪きためか飛行作業なく卒業飛行も出来なかったのは残念なり。昼高橋中尉の話あり。

一、心を入れかへろ

二、 貴様等は何を云っても分らんの二つばかりを1時間20分に亘ってクドくと。

 短冊を書いて色んな人に配る

 〃志きしまの花とさくらのいさぎよく散るみ 思へばうれしかりけり″

 夜は壮行会あり。大いに酔うつもりなりしも遂に平気なり。

 

2月25日.金曜 気象 曇時々雨

 僅かの雨なりしもr作業なし。第二警戒配備、戦斗機の連中は未だに移動するのしないのと云っているが、結局4日まで霞空に残ることとなる。γ隊長は69期の中尉。江口中尉、斉藤飛曹長に短冊を書く。田辺からパイプを記念に貰う。夜映画の後江口中尉の所へ遊びに行く。随分酒を飲むも酔えず。何とかして直ぐ酔う方法はないものか。

 

2月26日 土曜 気象 暗

 軍艦旗掲揚後司令訓示あり。終って記念撮影を行う。1045一同会食。最後の食事とて中々の御馳走なり。寺岡司令臨席さる。終ってバス7台で出発。江口中尉、永田中尉等駅内まで見送って呉れる。40期の偵察と41期なり。汽車が20分も延着。コッチは気が気じゃない。大坪に頼んだお蔭で1330特急に遅れて気分をこわすこと甚しい。横浜で伯母さん達又今度応召の又彦叔父と会う。20年も若返ったということ、又駅で弁当やら餞別やら誠に何とお礼を申してよいか分らぬ程である。1430の急行に乗る。途中陸の准尉と話す。寝台車に坐ったはよいが、夜中に追出されて殆んど寝られず、5時頃より暫く二階に潜り込む。特急に乗ったらとばかり残念。博多で嶽天旦夫を4時間以上待たせたるは残念なり。気の毒なり。1810頃帰宅。皆の元気な顔を見るのは嬉しい。夜は正一叔父等と3人で呑む。気焔をあげること勿論。小宮は平気。夜はおふくろと12時半頃まで話す。

 

2月28日 月曜 気象 快晴

 朝グッスリ寝て9時半起床。白米の卵御飯は誠に美味い。市役所へ行くも市長居られず。2時半頃栗原正勝君と記念写真を撮る。昼はライスカレー。 夕方は粟原にて汁粉の御馳走になる。1733東唐津を出発す。不二子が大変しっかりなったのは嬉しいものである。博多までは楽であったが、鹿児島本線はギューギューと押しつめられ一番後部で大変だった。お蔭で風邪を引く。50分も遅れて接続。日豊本線も大体同じ。

 

2月29日 火曜 気象 快晴

 夜通し着席も出来ず、マンジリともせぬ車中ではあった。おまけにスチームなきため足が寒くて風邪を引きそう。昨日と合せて何と汽車にFられることよ。大分を2時頃過ぎ宮崎着は8時半頃なり。途中の景色なんか見ると誠に気持よく霞ケ浦では到底味はへぬ気分ではある。一旦宿屋に落ついて南宮崎駅から3、4人で天満家まで行く。鷺鳴き菜花咲きマントの下から汗が滲み出る。全く春の気分である。

1時着任。司令(兼副長)大谷中佐、附は竹井中尉(69期の「コレス」)土星中尉なり。夜は飛練の夜間rを見学す。

 

3月1日 水曜 気象 時

 日課は0630起床。0645、五分問体操、0805入隊式あり。司令訓示

1 忠君愛国の至誠 

2 積極的努力

3 体力の錬成  

4 すべて模範的存在

名簿用写真を撮る。各方面に礼状を出す。午後r内規其の他の説明あり。早く単独にならねばならぬ。卒業は40期と同じく6月末の予定なり。手紙の点検無きは嬉しい。

 

3月2日 木曜 気象 快晴

 朝食後は食堂で色々と話をする。40期はいつ見てもワイワイと騒いでいるわい。午前は中攻の要目説明並びに機内説明、午後は土屋中尉の地上滑走誘導コースの説明。終って雑談あり。中々難しい。しつかり地上で憶えとかんといかんぞよ。其の他はノンビリしているもやるべきことは多い。余り人形なんか飾り過ぎていたら司令に怒られた。昨日沢本、高須、野村中将、大将に進級、海軍でも軍令部次長二人となる。

 

3月3日 金曜 気象 晴

 朝の起床は中々気持がよい。朝の体操も又張り切る。午前は地上滑走なり。ブレーキの適切なる使用と左右発動機の管制は始めてなるため中々に意の如くは動いて呉れず。しかれどもあながち難しとも思はず。午後は整備なり。山田予備少尉。昨日大分空の後藤正之少尉(7T)殉職さる。

 

34日 土曜 気象 風

 昨晩から引続き終日雨降る。今月は一日休みが減ったため特に今日を日催日課とさる。8時50分頃バスにて水交社に行く。wo1人と従兵1人。中々感じのよい所なり。昼食後硯、墨、短冊、筆等を買う。映画館へ行って「モンペ」さんをちょっと見るも面白うない。下宿を探そうかとも思ったがやめる。夕食は豊富な肉と野菜でスキヤキをやる。久志振里にての御馳走なり。二十人と云う小人数で何をやるにも纏れるは誠に結構なことなり。10時帰隊。

 

3月5日 日曜 気象晴

 昨日の雨も綺麗に晴れたが地面は未だ極めて軟い。午前は地上滑走なり。分隊長より云はれるごとく、三時間位の飛行作業には精魂をこめてやり抜く熱意を失ってはならぬ。教官方の労苦を思って見ろ。練習生の元気にも負けてはいかん。午後は整備教務なり。帽子類は郵便輸送にしたら未だ着かん。

 

36日 月曜 気象 曇 ミスト濃い

 完熟r(鹿野中尉)なり。案外に中攻と云うものは扱い難きものである。転臨作用も顕著に感じられる。2時間半位のr作業だが疲れることなくあらゆる情況のときのことを考うべきである。練習生の元気のあるのは実に驚く程である。負けちやいかんぞ、整備も一生懸命にならんといかん。分身どころじやない。自分の身体そのものだから。

 

37日 火曜 気象 ミスト 曇一時小雨

 35期飛練地上滑走のため今日も完熟飛行後で定着を1回ずつやる。注意力の配分が旨く行かないため落着いた操作が出来ない。そのためには機と作業を十分に予知することである。

 通信技術送信は不確実なため訂正ばかりで少しも符号が出ず大恥をかく。41期総員宮崎神宮参拝し八紘基柱を見学す。じいさんの説明が中々気に入った。そこから水交社まで竹井中尉と話しながら1時間以上歩く。夜は又「スキヤキ」を盛大にやる。

 

3月8日 水曜 気象 晴

 8時半の定期で上陸。途中で下りて天満官に参る。神籤大吉、「冬枯れて見るかげも無き深山木は花咲く春の待たれけるかな」折角一円出して買った籤を店に忘れて来て馬鹿なことであった。下宿を探しに出掛け生花の師匠に捜してもらう。           

若夫婦だけの家で准士官が居るのと夜具のないのが玉に庇だが中々ハートナイスである。夕食を隊でやって1時間遊んで来る。

 

3月9日 木曜 気象 晴

 午前整備(発動機)はどうも積極性がなくボヤーッと下士官の言うことを聞いている感がある。イカンイカン。

 愈々定着になったところが、しめられるわ、しめられるわ、涙が出る程である。然し今の中にしっかり苦しんでおかぬと後でいかん。一刻も緊張を弛めないようす。唐津高女に遅れ馳せ乍ら千人針の礼状を出す。

 

3月10日 金曜 気象 晴 西風12、3米

 323期飛練移動教練にて豊橋まで行く。中攻の空中集合と云うものは中々時間のかかるもんだな。整備は試運転。風速は15米にも及び途中で飛行止めとなる。すっかり飛行機に乗せられているに過ぎない。図書部の図書類中参考になるものは全部読破せんとす。

 

311日 土曜 気象 晴 西風雲

 午前r作業なりしため、矢張り横滑りにて降着せるも全然軸線を合せ得ず。残念と云うも及ばず。強烈なる意志を以て臨まざれば到底追い着き得ざること火を点るよりも明かなり。整備は気化器。軍事点検なることを知らずにいて司令より注意を受く。ァ、帽子ノ冠り方ヨ〇

 

3月12日 日曜 気象 晴

 段々r作業にも馴れては来たが、未だ自分の意志と相反する動き方ばかりやって困る。夜も早く寝て「ハーモニカ」ばかり吹かずにもっと勉強せにゃいかんわい。写真が出来ると云うので家で撮った奴をやったら、全部番号窓から光が入って駄目になる。馬鹿らしいこと甚だしい。

 

313日 月曜 気象 晴 午後雨

 朝別科に侯補生は総員出たるも40期は45名位しか出ないため、竹本中尉に絞られる。両方とも午前r作業なり。

大体諸操作に馴れて来たが第4旋回の出来るのは只一人(今村)しかいない。午後の電池は何云っとるのかさっぱり要領を得ない。「皆がよく知って居られるでしょうから」とかいって。

 夕食後写真の焼き付けを一人でやる。ニ時間とちょっとの間に40枚位やり割に旨く出来る。

 

314日 火曜 気象 晴

 午前飛行作業あり。大部操縦にも馴れて来たたようである。他の者よりも先に悪いところ修正すべきところを見つけて来週中に単独出来る腕前にならにゃいかん。午後は通信なり。電鍵音が気になってどうも面白くないものである。夕食後大部は水交社に行き8名程泊って来る。こちらは粒艮と二人下宿に行き山本さんも一緒に九時半頃まで遊ぶ。小父さんの両親は隠居の身でのんきに遊びに来て明日は鹿児島に行くそうだ。小母さんしきりに煙たがる。

 

3月15日 水曜 気象 晴

 朝食後下宿へ行き専ら字の練習と手紙に過す。昼は天丼の御馳走、小母さんは何かと云ふと笑ひ出して可笑しい人だ。夜は六時から紫明館で任官進級祝いあり。7T期の4名新に教官として来る。9時頃まですっかり酔払う。司令、飛行長、軍医長、竹下太尉等々愉快なことではある。但しメイドで而も老年と来ているから仕方がない。

 

316日 木曜 気象 薄晴

 今朝に至り殆んど酔醒めたり。今週一杯曾山中尉、高橋と共に甲板士官となり精一杯頑張る。同時に当副直勤務も始まる。士官としての常識拡充のためにも中々よきことなり。しっかりやらん。

 飛行作業はそう悪くなかったつもりだったのに、酒に呑まれるなと言われた。矢張りそんな所があったかも知れん。同乗の中山中尉は指揮官席で一時間以上熟睡。巡検随従とかで夜となってしまう。田舎にマフラーを頼むと共に航空糧食を入れてやる。′

 

3月17日 金曜 気象 雨

 午前r作業。竹井大尉の代理に佐久間中尉なり。多少方針が違うが余りうるさくないのがよい。一日中手荒く横に流されて脚を折ったかと思ったが安全々々。途中から雨となり松原までで終り。分隊長の話はいつものことながら長いなあ。食卓費で蓄音機や「レコード」を買う。恭子ちゃんに手紙を出す。東京はよかったなあ。夜は殆んど為すところなし。専ら要目等を記すのみなり。

 

3月18日 土曜 気象 終日雨

 昨日からの雨が終日降り止まず。春だと云へるかどうかは知らんが決して気持のよいものではない。午前午後共分隊長の操縦座学なり。 午後は降ったりやんだりの煮え切らぬ天気、早く止んで呉れにゃ作業に差し支えへる。今日だけで四通も手紙が来る。軍装が未だ出来んのは以ての外である。青島行を計画するも取止めてしまう。

 

319日 日曜 気象 晴

小早川中尉になる。午前は道路悪きため飛行作業は午後になる。横風のためちっとも旨く行かん。r作業に馴れては駄目だ。40期は豊空に単独をやりに行く。俺等も今の技倆では全然単独は望まれぬ。

 

3月20日 月曜 気象 晴 風15

 甲板士官も朝起きるのはちと辛いが中々に面白いものである。然し応召が多いのと下士官をびしびしやれないので旨く行かん。r作業は手悪く気持が悪くて単独のつもりでやれと云はれたけれどもさっぱり駄目だ。水平さへ出来ん。大いに戒心の要を望む。40期豊橋より帰って来る。散髪気持よし。

 

321日 火曜 気象 快晴

 春季皇霊祭なり。r作業なし。約半数を以て一ツ葉海岸まで行軍並びに網引を行う。一時半頃引き終る。若い俺等が一緒になって引っ張ると兵隊も大変喜ぶようである。 獲物は多いか少ないか知らんが子鯵が隨汕齡tとサゴシが7、80匹取れた。各自一匹ずつ貰い早速下宿へ行って料理して貰う。毎食白米と玉子で勿体ない次第である。今日はスキ焼をして貰う。夜になると帰らにゃいかんのが癪だ。

 

322日 水曜 気象 快晴

 隊で食事をしてから9時頃行く。療養所の医務科長は佐賀の人だそうな。奥さんが又美しいとか。ピンボンが出来るようになったので専ら之をやる。小母さんも中々どうして大した腕前だ。ボヤボヤして1日過すのもどうかと思う。津村敏行の我が海の記を読む。俺も今の自序伝を続けようと思う。海軍兵学校73期卒業式。

 

3月23日 木曜 気象 晴

 やっと甲板士官も終って朝の時間が15分だけ伸びる。γ作業は注意されないと針路速力を疎かにするのは以ての外である。もっと真面目に全精力を注入してやるべきだ。殊に松林から後で乱れるのはどういうものか。航空糧食一週問分、熱糧食サイダー2本蜜柑を持って来る。呉れたらなるべく早く処分するのが吾等の本領である。

 

324日 金曜 気象 晴 風極めて強し

 午前爆撃。後飛行作業。引続き夜間rの予定なりしも朝より風強く殆んど飛行作業出来ざる状況なりき。従って学生舎待機の儘有耶無耶となってしまう。今日から諸例則を読み始めることとする。海軍知識の拡充に努めなけりゃいかんからのう。

 

3月25日 土曜 気象 快晴

 40期と共にγ作業あり。状況も平易なるため案外なりしも、三点分らざるため引起しははっきりしない。途中の操縦も実に留意すべき点多々あり。馴れたりと思へばそこより油断生ず、常に最初の慎重さを忘れるべからず。竹本瑞江さんより葉書来る。女子挺身隊として佐世保に行く由、字の上手なのには驚いた。

 気化器の課題あり。どうせいろんな本から引っ張り出さなきゃ分りやせん。

 

326日 日曜 気象 薄暗

 8時整列、鹿屋へ。生地離着陸に行く。往は編隊一番機なり。厳密なる等速等高度水平直線飛行の困難なること十分に考えさせられたり。定着の時よりしっかり練習せざるべからず。10時頃鹿屋着、10時半頃より2時半まで離着陸約1時間試r法(二分隊長)5時頃出発。帰隊後薄暮γ予定なりしも日没頃までに止めと云はれしは憤慨の極なり。夜設其の他につき注意あり。サイダー、林檎、蜜柑、熱糧食等持って来しは手荒いMなり。

 

3月27日 月曜 気象 雨

 朝から雨降り続き、午前午後の教務とは甚だ面白うない。夕食のとき急に明日も降りそうだからと云うので明日を日曜、今日を土曜とさる。夕食はすき焼き、従って5時40分の定期で出て映画「母の瞳」を見る。日本と外国の家庭の違いをつくづくと感じさせられる。帰りの定期は粒良と二人で悠々過ぎて何だか変だ。竹井改一大尉の送別会を水交社でやつたそうな。

 予備学生(13期)40名入隊。

 

3月28

 7時起床。軍装類を家及び恭子に送る序に熱糧食も入れてやる。10時頃和江へ行く。昨日の雨もきれいにやんでしまった。山口から小母さんの弟が来ているので、山本さんとトランプやったり花をやったり、昼食後から四時半頃まで4人で専らピンボンに熱中する。小母さんが本気になったら中々勝てるもんぢゃない。 夜のお帰りは辛い。

 

329日 水曜 気象 晴

 本日より編隊始る。r始めは分隊長、r長より未だ単独になれんとは恥辱だと注意さる。しっかりやらにゃいかんと思う前に「技倆はあるのにそっちでなさんだけじゃないか」と先づ不平。編隊集合は研究すべき要あり。最後の定着で滑走路に飛び出し、△一枚献上仕る。(編注、ギザとは罰金、五十銭)

 41期だけ夜間rをやって俺等にやらせんのも気に喰はん。 気化器課題を書く。十分研究せにゃ頭の中だけからではいかん。

 

3月30日 木曜 気象 暗

 竹井大尉退隊、攻撃704空附「ダバオ」。通信兵器は空中線不良のため最後の十分しか連絡取れず。40期は鹿児島、大村、大分へ各一機ずつ行く、羨しき次第なりき。r作業は対港警戒なり。東田中尉なんかが来られたために前は一杯にて機関席後部におしやられてちっとも面白うない。従って後の定着もさっぱりであった。

 

331日 金曜 気象 薄晴

 新兵第二補充兵入隊式あり。250名。 通信兵器は零式空四号なるもちょっと工合が悪いと通信長も電信長も手が出ずに「千葉兵曹」と来るのはどうしたものか。編隊終って夜間飛行なり。教官は後に下って殆んど単独なりしも不良。何時のrも初単独で慎重に慎重にやらなくてはいかん。誘導不良と注意を受く、誠に遺憾なり。

 

4月1日 土曜 気象 曇後雨

 桜の四月。気分を緩めることなくしっかりやらんと後3ケ月で戦地に出れん。この日は四月馬鹿なりとて学生なんどは機上や士官室に於いても一大嘘を為さんとて、小早川中尉に転勤の旨告げ、主計長始め夫々外に於いて真しやかに計りしかば、これをば本気にし荷造其の他万端整いしに夜に入り判明し、宴会へも行かずとて気分をこはされしとか、誠にさもありなん。気持悪く定着極めて難くありし。

 

4月2日 日曜 気象 曇風速10米(突15米)

 Musashiが一六三〇沖ノ島に来るというので学生定員九機で襲撃に1515出発。1800迄捜索するも遂に見当らず。残念ながら引返す。大部分は小早川中尉やる。気持は極めて悪し。所により天候に大なる相違あるを体験せり。自己符号の間違等あり、教官手荒く憤慨して注意もなし。怒るべき時には怒らにゃいかんが怒り方も考へにゃいかんと思う。三点の姿勢が未だに分らん様じゃいかん。もっとく熱意がなければいかん。

 

43日 月曜 気象 暗

 造拝式。予備学生其ノ他網引二行クモ相当ノ西風ニテ辛キコトナラン。 午前偵察、午後通技。教官其ノ他士官全部内山中尉壮行会トカデ出テシマフ。残ル学生癪ノ種デ7時頃ヨリ飲ム。残り残ツテ川西中尉、浅沼等卜11時過ギマデ。彼氏ガ来タノハ大失敗。

 

4月4日 火曜 気象 曇

 昨日アレ程酔ッテイタ川戸中尉、浅沼等全部シレットシテ体操二出テ来タノハ俸イ。午前編隊ハチットモ旨ク行カナカッタラ早速昨日ノ故ニシヤガッテ以テノ外ダ。午後ハ諸法規ノ自習。勝手二色ンナ所ヲ読ソデイタラ考査ヲヤルト云ハレテピックリ。カロリン附近ニテ戦果アリ。其ノ後北上ノ算アリトテ索敵二約600浬出ル。映画「弥次喜多道中記」ヲ見ル。停電バカリデ暗イ時間ガ長イ位。水交社二泊ル。若イ「メイド」一名来ル。

 

45日 水曜 気象 曇一時雨

 7時半起床少し曇っていたが花見に八紘台へ行かうと出掛けたが、宮崎神宮でチユピチュビと雨が降りだしたので取止める。写真を撮る。映画「あの旗を撃て」を見て帰る。食事は矢張隊の方が旨いわい。帰って嬉しやお手紙よ。あのお人から。煙草を頼みもせんのに旭光、金鵄等、蜜柑等もてあます位なり。

 

46日 木曜 気象 雨

 朝起きんとしたるにボトボトと雨だれの音が癪に障る。朝は通信戦務。午後は篠崎大尉のr要務なり。今の所あれやこれやと読むべき書類が累積していて忙しいことである。只馬力で拍車をかけん。 内山中尉が明日退隊されるので明日の雨を期待しながら11時半頃まで呑む。其の頃よりポツリポツリと降り始める。

 

47日 金曜 気象 雨

 朝から殆んど雨で中庭や其の他も水浸しで恰も梅雨見たいな感じがするいやなこった。午前戦訓、昼食後内山中尉退隊。1時半より宮崎神宮宮司の聖蹟に関する話あり。士官は殆んど皆居眠をしていて以ての外である。講話の途中煙草をふかしたり。夜になってから雨も止み星も出て来た。

 

48日 土曜 気象 曇

 午前は戦訓。午後3時から40期の計器rについて。霧島雲仙より人吉盆地を経て帰る。雨上りのことではあるし而も山上で気持も悪いことと思っていた。ところが雲海の上誠に気持良し。42D3番機になって大いに苦しんで居たもののごとくなり。帰ってから天候悪いため夜間r中止なる。

 

49日 日曜 気象 曇

 朝r作業あり。編隊一番機となるも保針保高何れも未だ甚だ未熟にして、殊に旋回操作不良。もっと真剣に汗を流す程にやる必要がある。午後雷撃なり。1時半より5時まで。近頃どうも課業が長いような気がするんだが。夜間rのときは約1時間10分。練習生を指導して体育をやることとなる。

 

(編者あとがき)

 この出雲の日記はすべて毛筆で、しかも変体仮名が使用されており、書道の素養のない編者には判読できない部分がかなりあった。いずれ専門家の校閲を得たいと思っているが飛行学生時代の生活がかなり赤裸々に表現されており、貴重な資料といえよう。


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