TOPへ   その他目次

江田島に揚がる凱歌

海兵 飯塚 勝男   序

 太平洋に暗雲低迷し、東亜の空暗く、新秩序建設に世界は唯これ戦乱の巷と化せんとする今日、海の牙城江田島に凱歌上り、輝く栄冠は遂に我に下った。十一月三日明治の佳節に当り「海兵合格」の電報は幸にも我の下に飛んだのだ。鳴呼その瞬時の感激よ 〓短剣に憧れる者よ、この喜びが分るか、この自分の気持が分るか〓 それは唯涙あるのみ。「採用希望」と返電する我が手は震え、心臓は乱打している。

 

 思えば努力の一ケ年であった。中学一年の春陸幼に敗れてより海兵陸士に目標を定め、一途に猛勉又猛勉したのだ。「何くそやるぞ 俺も男だ、来年を見ろ〓」と猛烈に頑張った秋、冬、春と一時、二時頃までやるのは普通であった。四月から数学と英語だけ欧文社の添削会に入った。

 赤字で添削されている箇所を見るのこそ僕の最も楽しいものの一つであった。

 かくて青葉の初夏も過ぎ何時しか待望の夏休となって、蝉時雨の旧貴族院に聖戦の幕は切って落された。以下十六年度の聖戦に奮励努力する諸君に僕の入試模様を参考にまで供したいと思う。

 

  体格検査

 僕の体検は七月二十八日東京旧貴族院で行はれた。これは難しいことは一つも無く、普通の身体の人であれば大抵はパスする。平素鉄棒等を少しやって、頭の疲れた時は体操をやる、と云った程度に運動していれば先ず大丈夫である。安心してよろしい。然し目だけは、近眼にならんよう注意を要する。海兵は一・〇以上なければならない規則であるが、少なくとも〇・九以下になってはならぬ。僕は

〇・九でやっと合格した。お陰で、ABCB合格であった。この体検で落ちた者は約一割か。以上特に注意を要する点のみにとどめておく。

 

  学術試験

 心配していた体検も難なく通過した。学術試験までの一遇間は暗記科目に全力を傾注して最後の努力を試みた。四年以来頑張った故か自信らしいものは出来ている。然し何と云っても志願者が多いのだ。油断はならない。盛夏の八月上旬は暑い。じりじり照りつける太陽には勉強もよしたくなる。プールへでも行かうかなどと考へる事もある。が、十一月の敗戦を想像する時愕然として机に向うのであった。

 

八月十四日

十四年より十日後れて、十五年は十四日から全国一斉に学術試験の火蓋は切られた。早朝家を出て試験場、旧貴族院へ行く。緑濃き日比谷公園は早や蝉時雨である。着くと居る、居る。雲霞の如き強者共が無慮数千名と見たは僻目か。すぐ整理番号を見に行く。旧貴族院玄関の壁にずらりと番号と名前が出ている。これはイロハ順で小生七十三番。最後は如何と見れば何と千五十三番。よくもこれ程来たものだと驚く。東京だけで、而も体検合格者が千五十三名とは。はれわたった夏の空を彼方に見やる時、僕の心には悠然として自信が蘇って来た。

「何、ここに居るのは大方臭才殿ばかりだらう。俺は少なくともこの一年間は自分の最善を尽して来たのだ。腹は決っているのだ。やるよ、断じてやるぞ、こんな臭才共に負けてなるものか」と一人心に力んだ。

 八時半点呼を受け、兵学校の教官たる大佐殿から激励と注意を受け、更に少佐殿より試験に関する細部の注意を受け試験場に入る。

 自己の写真、問題はもう配られており、整理番号は写真の上に墨で鮮やかに書かれてある。

 

 今日は数学(第一)、時限二時間半

 「掛れ」の号令で鉛筆を持って問題を見る。問題は五題で別紙に印刷してあり、答案用紙は大型洋卦紙が用意してある。一番、分数式の約分でやさしさうだ。二番、幾何の簡単なる証明問題である。三番、整数問題、四番、四辺形の証明問題、五番、梯形の融合問題だ。これはやさしいぞ、と先ず安心した。すぐ一番より始める。最大公約数を出してやればいいなあ方法が決まったらどんどん計算したらすぐ出たのであっさり片付ける。これ位の問題は苛も海兵の受験生たる者、十分とかかっては絶対に駄目である。

二番、円の証明問題に移る。非常に簡単な証明問題であるがどうしても出来ない。XYを使って幾何計算でやってみたが駄目だ。こんなのが出来ないのかなと少しあせって三番に移る。整数問題だ。欧文社の綜合整理かで見たような気がする。少し考へてやったら二十分程で出来たが答が一組しか出ない。「コレラノ数ヲ求メヨ」とあるから少なくとも二組以上の答が出る筈だが、と不審に思ったが続いて四番に取り掛る。四辺形の平易な証明問題で前半の証明と後半の証明とに分れている。小生前半の「平行四辺形になる」と云うのだけはすぐ出来たが後半は遂に出来なかった。潔くあきらめて五番の融合問題をやる。梯形の、よく参考書にある型のやつだ。比例を用い相当時間が掛ってやっと出来た。時間は?と前に掛っている大きな電気時計を見るとあと一時問。充分にまだあるぞ、と一番より見直す。二番がまだ出来ていない。これをやらなければ駄目だとばかり問題を穴のあく程睨んでじっくりと考へる

帰謬法かなと思って論旨を立ててみると出来た。どこからみても証明に間違いはない。やったぞ、今日は一題もブランクは無い。これ

なら落とされないなどと予想して非常に嬉しかった。然し五番は実に危ない。これで果していいのかと思ってみたが、後で欧文社の解答を見ると不思議にも合っていた。さうして、三番は答が四通りある。小生は一通りだけだった。間違いの原因を調べてみると四十二を二つの正因数に分解すれば四通りになると云うことに気がつかず、唯3X14だけだと思いこんでいた為であった。自分では悠々とやっていた積りだがやはり心の奥は動揺していたのだなと後になって苦笑した。結局今日の成績は五題中一番が完解、二番、五番と

完解で、三、四番は半解で予想八割であった。発表は午後六時、絶対に落ちずの信念を持って見に行くと果して赤インクをまぬがれ、七十三番は黒く残っていた。落とされた者は約百名。

 

 八月十五日

 昨日予想通りの好成績に意気天を衝くの勢で試験場に臨む。やはり晴天、蝉時雨はうるさい程だ。先輩らしい海兵の生徒が二人、受験生と話をしている。木陰に参考書を見ていた者もそちらを見る。「実にいいなあ」と云う顔をして眺めている。ふと見ると夏の自服にはボタンが七つ着いている。「俺の整理番号の七十三の七と一致する。これは前兆がいいぞ」と思う。午前九時より開始。

 

 今日は数学(第二)時限二時間半・英語時限 三時間

 昨日の始は発分心臓が鳴ったが今日は平気だ。一番から始める。三角の簡単なる問題で計算力のみを見る問題だ。]の値を与式に代入してすぐ1.42と答が出る。次は二番、三角形の角と辺との関係の問題で中学二年の教科書に必ず出ている。五分で解答した。続いて

三番、連立方程式の実根を求める問題でこれも計算力のみを見る問題だ。かかるやつは、慌てるととかく中々出来ないものだ。落着いて確実に計算してゆくことが肝要。小生二十分で出来る。

(編注、この部分、印刷不解明につき中略)

 おまけに作図までついている。これはピタゴラスの定理が根本となるのだが、小生そこに気付かず、どうやら解けたが後で旬報の解を見たら研か違っていた。時間はまだ五十分ばかりあるので四番へ戻り、うまく解き得たが併しこれは結局全く間違っていた。で今日

の成績は一、二、三番と完解、四番は零、五番は不明、結局約六割前後か。かくて数学は終了した。僕は三年の二学期から本格的の受験勉強なるものに取掛り、大体参考書に重きを置き、数学で使用せるものは岩切氏の代数上下二巻、幾何一巻、室氏の代数、幾何の突破二冊、欧文社の代数、幾何の綜合整理二冊、それから室氏の融合問題、三角の二冊、全部で九冊である。

 午後は英語である。旬報の講座を大いに愛読した甲斐あって好成績を得ることが出来た。一番の和訳、これは山、汲通じ不明の単語が四つあったが全文の意味は良く分ったので推量して書き、出場してから辞書を引いて見たら奇蹟にも四つとも完全に合っていた。二番の英作は日記文である。日附、曜日、天候を如何なる順序に書くべきかに迷い、遂に曜日、日附、天候の順に書いた。果してそれが正しいか現在でも不明だ。訳文は中程の一節が曖昧であった。三番の文法を試す問題は完解した。かくて今日英語の成績は先ず九割。

ほくほくの顔で帰宅し、やはり六時に行ったら赤インクの抹消を免れていた。この日の落伍者二百余名。小生の前四人、後二人は無残にも赤線が引かれていた。

 猶小生英語の参考書は三位一体と荒巻氏の英文解釈研究の二冊で、特に旬報に力を入れた。 

 八月十六日

 快晴に恵まれて聖戦第三日目は明けた。今日は難関物理化学である。三省堂の参考書を

携へ市電の中で最後の点検を行う。試験場に着く。受験者の減ったのがよく分る。少し得意な気もする。例の通り午前九時から始まる

 物理(一時問半)

一番は現象説明問題で(イ)夕凪、(ロ)蜃気楼、(ハ)日食、・(ニ)磁気嵐であった

これ位のことは常識としても誰でも出来なければならない。小生(ニ).の磁気嵐にまごついたが落着いて後に考へてみたらすぐ出来た

二番は熱量の計算問題である。小生そこはよくやっていなかったので如何にすれば良いかさっぱり見当もつかず潔く白紙とする。次は三番、しめたスペクトルが出た。僕は朝家で見て来たばかりである。スラスラと難なく書く。微笑の浮ぶのを禁じ得ず、続いて四番へ進む。これは電気抵抗の計算問題で、例の公式二つを組合せた応用問題である。小生二十分ばかりで解答した。三題出来た好成績に気をよくし、二番も征服してやるぞと頑張ったがおろそかにした箇所はやはり駄目で遂にプランクであった。五分間机に向ったままの姿勢で休憩があった。其の後は恐れていた化学である。休憩中、目をつぶってじっと考えに眈っている者、笑顔であたりを見廻す者、不安な目附をしてキョロキョロしている者等。

  化学(時限一時間半)

一番は毎年必出の化学方程式を書く問題だ。四つあったが、三つは完全に出来たと思う。二番は金属酸化物が四つ上げられてあり、その分子式、外観、用途を示すのだ。小生この外観には面喰い、推量して書く。正解は結局三つ位か。三番、化学用語の説明及び例を挙

げる。

 (印刷不鮮明につき中略)

  これは小生体検後参考書を見るにどうも出そだなとは思ったが、時間の関係上詳しく見ることが出来ず、この溶液に関する限りは

混沌たる頭を持って試験に臨んだのでやはりうまくゆかなかった。あの時もう少し見ておけばよかった。もうほんの少しの所だと残念がってみたが後の祭である。分らないものは出来ないのであった。

 かくて物化は終了し成績は物理が七割確実、化学が六割五分である。小生参考書は三省堂の分り易い物理及び化学の二冊をつかったが、物理は教科書を徹底的に暗誦した。定理公式は勿論何処からつかれても大丈夫の確信が無ければいけない。

  午後は国語漢文、時限は二時間である。

 これは問題と答案とが同一の紙に書くようになっているのである。一番は古文解釈で傍線部を平易な語に直せとの問題である。文の大意は三人の僧が無言の行をしている様を記したもので小学校の読本だかにあったと思う。常識を働かせれば出来る問題である。二番は

最近陸海軍諸学校に頻繁に出題されるようになった現代文の傍線部の説明を要求するものである。十五年の国体の本義中に在る文章で

はないかと思う。どうも何処かで見たことのあるような問題だ。先ずこれを完解した。三番は文法である。誤を正す問題であるが、後になって解答を見るに小生半分しか出来ていなかった。四番は書取りで、十五字の中小生四つ違った。五番は得意科目の漢文である。解釈問題で大砲の用を記したもの。これ位のは楽々と出来なければならない。六番は仮名交

り文に書き下ろす問題で一寸受験生をまごつかせる。しつかり落着いて見ればすぐ解答し得られるごく平易なものであるが、平素真面目にやっていなかった者には相当手強かったと思う。小生完解した。かくて国漢を終了した。予想八割五分。

  やはり午後六時の発表であった。物理化学が不振であったので、ひょっとすると落ちるかなと内心びくびくして見にゆく。あった〓やはり僕の番号七十三は依然として抹消されずにいる。この日落ちた者約二百名、これで受験者の半数は落ちたわけだ。

 猶僕の国漢の参考書は、塚本氏の国語、保坂氏の国体の本義と、塚本氏の漢文、吾川氏の漢文解釈、欧文社の漢文綜合整理、山内氏の漢文解釈自由の合はせて六冊であり、四年の始頃からこつこつやり出し、塚本氏の漢文は二回やった。

  八月十七日

 聖戦四日目は日本歴史と作文である。歴史は二時間で、神武天皇の御東遷、国体の特異性、空海、六波羅探題、島原の乱が出て小生全部解答した。これだけは満点だと思う。何時も欧文社の完璧を友として、又旬報の歴史講座を愛読した甲斐があったと雀躍りして喜んだ。旧貴族院を取巻く青葉に鳴く蝉の声にも慣れ、試験中それを開くのが楽みの一つになった。ほっと息を入れてから作文が開始さ

れた。時限は一時間で「任務」と云う題であった。時間が少ないと思ったので直接答案用紙へ書きだす。先ず任務なる意義を記し、次に我等青少年学徒の任務を述べ、次いでその達成の仕方を記して文を結んだ。我ながらの名文とは云えないが、まあ八割位は取れるだらうと思った。 かくて四日間に亘る学術試験は終了した。そして今日落された者はなかった。作文が終ってから明日行はれる口頭試問の調査書を書く。これは難しいことはなく、自分の父母、兄弟姉妹、環境、年齢、志願の動磯、親戚に海軍将校があるか等を記せばよいのである。

  八月十八日

 今日は口頭試問のみ。ゆったりした気持で試験場に行く。今日まで残った者は流石に嬉しさうだ。あちこちにグループを作って快談

してゐる。定刻になり五班に分れて行う。小生は第一班で試験官は大佐殿であった。整理番号順に呼ばれるので僕の番になったのは午

後の二時頃であった。それ迄控室で待っているのであるが、その間洋服屋と靴屋が数名居て各々寸法を取ってくれる。この時は誰でももう海兵の生徒になったような気がするのだ。口頭試問の番になった。先ず入室して礼をし、試験官の前で更にもう一度礼をしてから番号と姓名をハッキリと云う。試験宮殿は家の職業や、海兵をどんな学校と思ふか、上官の命は如何にして従ふか、入学後の決心は、お前は大将になる積りか等を聞かれた。最後の大将になりたいかには、「小生は大将になりたくはない。唯帝国海軍将校の本分を完うし

願はくば、戦場にて散らんことを特に希望する」と答えた。かくて五日間の試験は無事終了し、最終継続者心得を戴き、意気揚々と家

路に向う。盛夏の日射は傾いたといえどもまだまだ暑い。日比谷公園にはカンカン帽がベンチに坐っている。馬場先門より遥かに仰ぐ大内山、自然に頭が下った。

  結び

 夏季休暇の残りを田舎に過し、夏祭りに夕涼みに日を送っている中に憲兵隊から呼出されて家庭の状況を調査された。もう後の事は天にまかせるぞと云う気持が決った。一日に京に帰り二日より又通学しだした。陸士の入試が十月下旬にあるのでその方の準備を始

める。軽井沢の野営や学友会の秋季大会があって陸士の体検となり、それに合格して間もなく市ヶ谷の同校で学術試験があった。

 十一月になり遂に三日は来た。明治節の式があるので午前八時家を出る。これで帰宅した時電報が来ていなければ駄目だと思う。俺も男だ、たといどんなことがあっても、合格してもしなくても涙など出さないぞと腹をきめて式に臨む。長い校長先生の祝詞があって式が終り悲壮な気持で家に帰る。′敷居をまたいだ途端「勝ちゃん電報が来ているぞ〓」と叔父さんは言はれた。鳴呼その瞬間の僕の気持諸君この気持が分るか。僕は「え〓 来たか〓 かったノ1」と連呼しつつふるへる手で電報を受取った。「カイヘイゴウカクインチウの電文=・…。すぐさま郵便局に行き採用希望の返電をする。局員から「おめでたう」と云はれた。嬉しい、こんな嬉しいことがあるか〓  心の奥から送る喜びの泉。僕はすぐさま電

報をしつかり抱えて田舎の父母に吉報を知らすべく、車中の人となった。

 十六年度の聖戦に、海兵突破に燃える熱情を傾注して猛勉している読者よ、頑張って呉れ給へ、而して必ず合格してくれ。君の今の務はただ勉強あるのみだ。僕は江田島に君の来るのを待っているぞ〓‥

TOPへ   その他目次