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五十年夢幻(8)
−かつてこの地に−

 

かつてこの地に 海軍兵学校  全国の俊秀 挙りて集う

昭和十五年十二月一日     第七十二期生徒 七二九組(なにくそ)クラス

貴様と俺 同期の契り

 

かつてこの地は        我が心身の大道場

鉄腕櫂も撓む 宮島の沖    健脚紅を踏む 弥山の頂

銃剣陣を布く 原村の野    春風帆に満つ 安渡の島

進取尚武 切磋琢磨      三歳の修業 必勝の信念

 

かつてこの地に 六百二十五名 不抜葢世の意気 不敵の面構え

海軍少尉候補生        眦りを決し 帽振りて巣立つ

昭和十八年九月十五日

 

武士の眞弓一筋に任せ     氷雨(ひさめ)なす仇の弾丸(たま)と砕け

渦巻く大海に艦(ふね)と共に沈む 戦い終り 戦塵収まる

散りて還らぬ若桜 三百三十五柱

 

卿等が両親同胞(たらちねはらから) その心中を吐露し給える

痛恨哀惜の御歌の数々

 

阿部宏一郎の母 満開の桜は悲し南渾に        膏と散りし吾子を思へば

福田  英の母 うら若く戦に死せしわりなきを    嘆き尽きせず生ける限りは

藤森 純二の母 征く前夜ジヨスランの子守歌     弾きたりし そのオルガンも物置に古る

猪口  智の母 船遠くレイテを望み祈るかな  父のみ胸に眠れいとし子

井尻 文彦の母  咲き出る九段の花に愛し子の  姿求めて木陰さまよう 

田中たくみの母  懐かしの兵学校の校庭に    愛し子の足跡いま母の踏む 

上原 庸佑の母  懐かしの兵学校へ集い来て   さぞや楽しく嬉しかるらん

松技 義久の母  義久の見果てぬ夢を辿りつつ  今日も思わぬ朝寝せしかな

古関 建治の母  古鷹の麓に眠る吾子の影    遥か陸奥より朝夕拝む

柄沢 節夫の母  地附山松の梢に鎮まれる    面影が我が力なるらし

吉岡 慶治の母  ひたすらに若葉の萌る頃はしも 吾子の記せし文読みて泣く

寺岡 恭平の母  灯を消せば吾子が笑む見え声聞へ 寝がねて夜を重ねつつ来し

土屋  睦の母  来る年もまた来る年も永久に   若き二十の御仏の吾子

田中 洋一の母  懇親会生ある友の顔に      重なりて見ゆ息の面影

高崎 孝一の母  青山も枯木の山となるばかり   泣いて叫んで吾子を呼びたし

土井 輝章の父  父子共に戦の庭に出でにしを   我のみ残る今日の苦しさ

上島 逞志の父  汝逝きて三十年は過ぎにけり   万感こもり遺影もかすむ

沢田 浩一の父  大村の空に散りにし亡き吾子と  九段の森に逢うぞ嬉しき

粒良 久雄の姉  戦争の終る日のため純潔をと   やや恥じらいて打明けし君

若林 立夫の姉  菊の香の薫れる間より写し絵の  顔見つ語る仏前の我

斎藤 徳道の妹  生徒館古鷹山から兄の声     静かに聞こゆ心の琴に

近藤圭太郎の妹  征きましし日のまま兄は還り   来ぬ魂よ先ず湯を浴び給へ

小島 丈夫の妹  人知れず生きているよと告げに  来し夢の不思議よいずくに兄は

 

我等再びこの地に集い  在天の英霊と倶に語らん

古鷹の松藾(しょうらい)、江田湾の波頭 能美島の紫影 津久茂の山寺

卿等の童顔 浮びまた消ゆ  逝きし者は永遠に紅顔

残れる者は既に古稀

 

  鳴呼 夢幻なり五十年

   (なにわ会ニュース第7T号 30頁  平成6年9月)

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