平成22年4月21日 校正すみ
チャージの思い出
旭 輝雄
L 昭和十八年練習艦隊にてトラックにて実習中の出来事。
十月の終わりか十一月の初めであるが、 我々の実習艦山城に海軍省人事局の局員(福地少佐)が見えて帰られる時、内火艇の艇指揮として、伊藤孝一、国生健、熊川 博、今井政司、私の五名で局員をトラックの水上基地まで送る事になって出発したのは良かったが、途中でリーフに乗り上げてしまった。局員を出発時間にあわせねばと候補生全員、リーフで足を傷付けぬ様にと靴を履いた儘海に入り背中で艇を持ち上げて、ヨイショヨイショと押し上げてヤット脱出したのであるが、局員に山城に帰る様指示され仕方なく帰った事。
2 昭和十九年二月、リンガにて訓練中の事であるが、偶々訓練が無く大和でリンガ在泊の各艦長会議があり、その艦長送迎の艇指揮を私が承った帰艦の時の事であるが、矢矧に着ける時舷門桟橋に一発で着かなかった。艦長は「ハッチ」の入口に出て来て居られたし、艦上では副長、当直将校以下多数の方達が出迎えに整列して、伝令は号笛を吹いていたが、私は咄嗟に艦長に「着け直します」と許可を御願いすると、渋い顔で「ウン」と言われたので、直ちに艇長に「着け直す」と伝声管で言うと同時に「おもて離せ」と号令し「チンチン」と前進の信号を鳴らし艇を艦より離し一回りして、今度は慎重に達着進路に入り舷門にピタリと着け、艦長に「着きました、申し訳有りませんでした」と報告すると「御苦労」と言われて艦に上がって行かれた、ホットして艇を繋船桁に繋いで上がり、当直将校(砲術長黒木亥吉郎少佐)にお詫びに行った。コッテリ絞られたが、二次室からは艦長艇指揮がこの様な事をするなんて海軍に入って初めてだと感嘆された事。
(十九年三月十五日海軍少尉に任官と同時に黒木少佐の直接部下として、砲術士兼発令所長を拝命し、あ号作戦終了まで勤務し出雲へと転勤)
3 昭和十九年十月十一日の事であるが、軍艦出雲(艦長付、中甲板士官兼主任指導官付)より軍艦五十鈴に転勤の時、先任伍長が艇指揮となり、大甲板下士官が艇長で軍艦出雲の短艇部員二十四名がオールを漕いでカッターで厳島沖の出雲より宮島桟橋まで私を送って呉れた事は滅多に無い事であるので報告します。
(余程慕われた艦長以外には滅多に無いと後で聴きましたが)如何なものでしょうか?
(なにわ会ニュース81号21頁 平成11年9月から掲載)