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平成22年4月20日 校正すみ

                    ′
震洋特別攻撃隊の概要


豊廣 稔               
 
(協力)若松 禄郎・浦本 生・和田 恭三

一 震洋艇の開発・採用

 昭和十九年四月、軍令郡総長は、海軍大臣に対し@からHまでの九項目からなる次のような仮名称による兵器の特殊緊急実験製造を提案した.

 @金物 潜水艦攻撃用潜航艇

 A金物 対空攻撃用兵器

 B金物 S金物および可潜魚雷艇

 C金物 舷外機付襲撃艇(のち「震洋」)

 D金物 自走爆雷

 E金物 人間魚雷(のち「回天」)

 F金物 電探関係

 G金物 電探防止関係

 H金物 特殊部隊用兵器(のち「震海」)

 前者は艦政本部で慎重かつ真剣に検討されたが、C、E、Hの各金物が取り上げられ、主務部を定めて試作に取りかかった。 

 C金物がC艇と略称した後の水上特攻艇「震洋」である。E金物が、正式名「回天」、H金物は、「震海」と命名されたが、実用には至らなかった。

「震洋」、海軍唯一の水上特攻艇で、乗員一名の一型と乗員二名の五型があった.この特攻艇は、艇首に二五〇キログラムの爆装をし、自動車エンジンを搭載した木造合板製の高速ボートで、敵の揚陸部隊が上陸点に進入する前後に、夜暗に乗じ集団をもって奇襲し、体当たり攻撃により船舶を撃沈するものであった。

 昭和十九年五月二十七日、試作艇が完成し、試運転の結果、艇首を改良し、C艇一型の量産が決定した。

 

 C金物は八月二十八日、名称を「震洋」と称して正式に兵器に採用された。

 C艇は七月には七十五隻が生産された。生産開始以後、海軍部内の各工廠、三菱長崎造船所、日本造船鶴見及び山下工場、横浜ヨット、隅田川造船所、日本海船舶、神奈川船舶、日本車輌、木村工作所、豊田織機等で生産が開始された。

 乗員一名の一型の生産に続いて、二人乗りの五型も試作に成功し、生産された。 兵装は当初、一型は二百五十キログラムの艇首爆装だけだったが、昭和二十年初頭には十二センチ噴進砲 (ロサ弾)二基を装備した。五型は一型と同じ装備のほか、十三ミリ機銃一挺と一部指揮艇、艇隊長艇、小隊長艇には三式空一号無線電話器艦艇用を、その他の艇には受話器だけを搭載することにした。

 生産隻数は海外生産艇(中国三菱造船江南製作所)を除き、一型、五型を併せて終戦までに約六二〇〇隻が建造された。

二 震洋艇要目

区分 1型艇 5型艇
全長 5.1m 5.1m
1.67m 1.86m
高さ 0.8m 0.9m
普通喫水 0.326m 0.380m
満載喫水 0.55m 0.60m
排水量 1.295t 2.2t
主機械 トヨタ特Kc型
ガソリンエンジン
1基
トヨタ特Kc型
ガソリンエンジン
2基
速力(特別) 16Kt(23Kt) 23Kt(32Kt)
馬力(特別) 42HP(67HP) (134HP)
航続距離 16Kt−110浬 27Kt−170浬
兵装 爆装250Kg
12cmロサ弾 2発
爆装250Kg
12cmロサ弾 2発13mm機銃 1
乗員 1名 2名

三 震洋隊の編成

  震洋隊は士官、准士官7=8名、搭乗員約50名、本部付、基地隊員、整備隊員で構成され、総員は百七十名―二百名であった。

 (一) 一型艇の部隊   (掲載 略)

 

 (二) 五型艇の部隊   (掲載 略)

 

四 震洋隊の配備

 

 (一) ’配備地域及び配備部隊数  

艇の型 5型 1型
1 父島方面 0 6
2 比島方面 0 10
3 台湾 2 8
4 奄美大嶋 1 3
5 沖縄 0 2
6 石垣島 0 5
7 鹿児島 8 6
8 宮崎 5 2
9 四国 6 2
10 鳥羽・伊豆 3 4
11 三浦・房総 2 4
12 鹿児島 4 2
13 熊本・長崎 5 3
14 済州島 2 1
15 中国 7 7
16 途中海没 1 3
17 46 68

 

部隊長(出身別・期別)

出身 5型 1型
海兵66期 1 1
海兵67期 0 1
海兵68期 1 3
海兵69期 0 2
海兵70期 1 4
海兵71期 1 2
海兵72期 2 17
海兵73期 4 3
予備学生2期 12 9
予備学生3期 25 28
予備学生4期 1 1
予備学生5期 0 1
高等商船 0 1
48 73

 (三) 兵七十二期の部隊長

一型艇

部隊番号 部隊長兼艇隊長 配備先 備考
2 松枝 茂純 父島
4 香西 宣良 母島
5 白川  潔 父島
8 石井 澄男 比島レガスビー 戦死
9 中島 健児 比島コレヒドール 戦死
12 松枝 義久 比島コレヒドール 戦死
16 吉田 義彦 八丈島
19 大河原茂美 石垣島
21 竹内  泉 台湾 高雄
22 豊廣  稔 沖縄 金無
24 若松 禄郎 馬公島
25 和田 恭三 馬公島→基隆
28 浦本  生 台湾 海口
30 山本 正元 台湾 海口
31 栗原  博 台湾 高雄
40 安藤 末喜 喜界島
13 安藤 末喜 比島コレヒドール

五型艇

107 前川泰四郎 香港
108 杉田 繁春 厦門

 注1 13震洋隊 安藤末喜は比島コレヒドールへ進出時、乗船沈没の為、40震洋隊に異動となった。

 注2 以上の記事は、震洋会発行の写真集(人間兵器 震洋特別攻撃隊)から収録したものである.

 

五 震洋隊関連の慰霊祭

 (一)靖国神社慰霊祭

  震洋会御遺族並びに関係の御来賓とともに、毎年三月に実施される。

 (二)特攻殉国の碑慰霊祭

   昭和四十二年五月、震洋隊の訓練所であった長崎県川棚に特攻殉国の碑が建立された.碑には二千九百余柱の戦没者名が刻印されている。

 毎年五月に特攻殉国の碑保存会(会長益田善雄氏・海兵七十三期)の主催により、地元及び海上自衛隊佐世保地方隊の御協力を得て、慰霊祭が実施され、多くの御遺族も参列される.しかし、生存隊員の高齢化を止めることは出来ない.当然のことながら、今後の殉国の碑の保持にづいては、関係者の間で協議されてきたが、この度殉国の碑創建以来お世話になってきた地元住民の会(新谷榔会)で引き続きお世話いただけることになったのである.こんな喜ばしいことはない。

 

六 震洋会及び各部隊会

  各震洋隊の生存隊員により震洋会が結成されている.

  前項の靖国神社慰霊祭の日に、慰霊祭終了後、震洋会懇親会を実施している。また、震洋隊各部隊は、それぞれ適時に戦友会を行い、懇親を重ねている。
 (震洋会の現会長は上田恵之助氏(予学五期})

(なにわ会ニュース86号66頁 平成14年3月から掲載)

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