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平成22年4月22日 校正すみ

解明!真珠湾攻撃
無線傍受疑惑の真相

左近允尚敏

「アメリカは真珠湾奇襲攻撃を事前につかんでいなかった!」。

真珠湾をめぐる謎が,豊富な資料と当時の情報通信の実情から明らかになる。

(歴史読本19年9月号に掲載されたものの転載である。編集部)

 

真珠湾「無線傍受」の真相

 真珠湾攻撃は常に古くて新しいテーマである。アメリカのある学者によると、「真珠湾は死なず(Pearl Harbor never dies)が適切な表現であるという。主として反ルーズベルトの修正主義者による「ルーズベルトは事前に(真珠湾攻撃)を知っていた」,「チャーチルは知っていたがルーズベルトに知らさなかった」、「真珠湾前に日本海軍暗号は解読されていたし、「機動部隊は電報を打ったからハワイ接近は分かっていた」などの主張が出ては消え、消えては出たりしてきた。だが事実はその逆、すなわち

 @ ルーズベルトもチャーチルも知らなかった。

A 日本海軍暗号は解読できなかった。

B 機動部隊は電波を出さなかったから、ハワイ接近は分からなかった。である。

ここでは,Bの問題を取り上げるが、軍令部、連合艦隊司令部、そして機動部隊自身が強く望んだのは奇襲、つまり攻撃隊発進までアメリカに発見されないことであり、そのために機動部隊は無線封止を厳格に守った。司令部は、空母の艦上機や戦艦、巡洋艦の水上機を出したい場面が生じても、出せば電波を出さなければならないことがあり得るとして出さないことに決めていたほどである。したがって修正主義者たちが傍受、あるいは方位測定したと主張する電報,あるいは電波は機動部隊のものではない。彼らがどれ一つとして機動部隊発信のものと証明できていないのは当然である。

機動部隊が無線封止に逮反して電波を出したという話は日本側にもあった。二〇〇一年に出た半藤一利、秦郁彦、横山恵一「日本海軍戦場の教訓」で半藤氏は、「攻撃隊総指揮官だった淵田(美津雄)さんが『南雲はほんとに臆病なヤツだから……、潜水艦が一隻脱落したときに出しやがったんだよ』なんて答えたんですよ。……たしかに電波を出すことは出したんです」と述べているが、淵田中佐の思い違いであることは、この本が出る十年前にアメリカ側によって明らかにされている。

一九八一年のゴードン・プランゲ著「At Dawn We sleep」の新版が一九九一年に出たが、末尾に加えられたダニエル・ゴールドスタインとキャサリン・ヂィロンの共同執筆による「追記」に、「伊23潜(伊号第23潜水艦)については一九四一年十二月二日の第1水雷戦隊戦時日誌に二通の(発光)信号文として記載されている。一通目は南雲長官から機動部隊あて〇五〇〇(午前五時)の『伊23潜は後落して追従中の模様、よく見張れ』であり、二通日は〇八五五の『伊23潜を視認、第18駆逐隊は連れてこい』である」と書かれている。

 アメリカ側から出たものとしては米西岸からハワイに向かった客船ラーライン号が、ハワイの北西でさかんに電波を出すフネをキャッチしたという話があるが、商船に搭載の方位測定横による1本の方位線でハワイの北西などと位置を特定できるわけがない。

 もう一つ、サンフランシスコ海軍区の水兵ロバート・オッグが十二月初旬、数日にわたって民間の電信会社から空母がハワイの北にあることを示すデータを受け取ったことがジョン・トーランド著.「Infamy」に書いてあるが、オッグはのちにオーラル・ヒストリーの担当官に空母とは思わなかった、空母ではないかと思ったのは真珠湾攻撃後だったと語った。今野勉氏は、民間の電信局が方位測定したという電波は、東京通信隊の放送に間違いないと述べている(泰郁彦編「検証・真珠湾の謎と真実」)。

アメリカで出版された「真実」

  二〇〇〇年にロバート・スティネットの「Day Of Deceit」が出た。まもなくアメリカ人の友人が送ってくれたので目を通したが、よくこんな本を出す出版社があったものだ、というのが感想だった。筆者は戦争中雷撃機の写真偵察員だったというが、通信情報についての常識がまるでない。機動部隊あての軍令部や連合艦隊司令部からの電報は東京通信隊から放送されたが、それを無線封止違反だとし、文書で届けられた命令類を打電されたとし、傍受すなわち暗号解読だとし、通信解析、つまり敵の呼出符号、電報の緩急指定、通信量などから、その動きを察知することと暗号解読を混交し、戦後解読した電報を真珠湾前に解読していたとし、放送と発信の区別もできない。

  翌二〇〇一年に訳書『真珠湾の真実』が出ると、訳者の妹尾作太男元少尉はもとよりだが、何人かの著名な学者が絶賛したのには唖然(あぜん)とした。私がスティネット本と、誤訳の多い訳書の問題点をチェックしたところ一三一カ所あり、コメントを書いてみると四〇〇字詰めに換算して約二六〇枚になった。

あまりにもバカげていてコメントする気もしないような、機動部隊の無線封止についてのスティネットのタワゴトの一つは、「南雲の無線通信計画は、東京からの放送を機動部隊内の小艦にあてて再送するよう規定してあった」である。別の箇所には旗艦(赤城)が各戦隊の司令官とタンカー隊の先任艦長に打電し、次いで戦隊司令官らがそれぞれ指揮下のフネに打電することになっていたとある。アメリカ人の書評に、この本はヒストリー部門ではなくファンタジー部門に入れなければならぬ、というのがあったが言い得て妙である。

スティネットは、「アメリカは、

a 機動部隊指揮官(南雲長官)の発信が   60

b 東京の機動部隊あて無線(放送が正しい)が24通、

c 空母の放送(発信が正しい。訳者はさすがにまずいと思ったのだろう、「発信」と訳している)が 20通、

d 空母戦隊司令官の放送(同前)      12

e 機動部隊所属空母以外の艦の発信が    8通

f ミッドウェー破壊隊が発した電報が   4通

g 東京の空母戦隊司令官あての      1通

を受信した」と書いている。

 南雲長官の60通は、1115日から12月7日までの通数になっているが、無線封止はヒトカップ湾に向けて内海西部を出港し1118日から12月6日までである。その前後の何通が60通に含まれているかは示していない。またどんな内容の電報であったのかは1通も示しておらず、脚注には著者のファイルを見よとか、公文書館の何番のRG(レコードグループ)を見よとあるだけだ。

真珠湾「機動部隊」の真実

 日本海軍は機動部隊の空母が内地近海にいると思わせるため,内海西部、九州北部の基地から偽電の発信を続けた。南雲長官発信の60通を傍受したのが事実であれば偽電でしかない。『諸君』二〇〇一年9月号の座談会記事には「妹尾‥ そんな単純な偽電工作でいまだにアメリカの裏をかいたつもりでいるのはノーテンキもいいところです」とあるが、当時現場で方位測定や通信解析に当たっていたフィル・ヤコブセン(退役少佐)は、Naval History 誌、二〇〇一年12月号の Who Deceived Whom で「最近レリースされた当時の通信情報記録は、これまで言われてきたとおり、(日本の)欺瞞通信が空母の行動を隠したという見方を確証した」と述べている。

彼はまたスティネット本にある、コレヒドールの通信情報班が何回か空母「赤城」などの電波を方位測定したというデータについて、当時のコレヒドールのチャートを示し、横須賀(方位39度)、呉(30度)、佐世保(27度)の通信隊が発した電波であると断じた。

前記の座談会記事にはまた、「妹尾‥   確かに1箇所だけで傍受(用語を間違えている。正しくは「方位測定」)したら不正確の場合もありますが3箇所で傍受(方位測定)したならどんぴしゃりですよ」とあるが、一本では不正確もなにも一〇〇キロ先か一〇〇〇キロ先か(場合によっては、先かうしろかも)分からない。アメリカは十二月七月の真珠湾攻撃終了後の発信によって機動部隊の方位を測定したが、オアフの北か南か分からず、多分南(実際は北)だろうと判断してハルゼーの空母に南方の摸索を命じている。ヤコブセンによれば、アメリカが真珠湾前に二本以上の方位測定線で発信源の位置を特定したことは一度もなかった。

彼は二〇〇一年3月28日のハリー・レイ(南山大学教授)あての手紙に「各方位測定所のデータと傍受した日本海軍の電報は週一回の船便(ごくわずかがパンナムの航空便)で米西岸に着き、そこからワシントンに郵送された。ワシントンが方位測定所のデータを集めてチャートに記入したのは数週間後である」と書いている(日本海軍暗号が解読できていなかったこともこの手紙で分かる。解読していたらワシントンに送る必要はない)。

 アメリカが機動部隊のハワイ接近を知らなかったことは、次の記録からも明らかである。

 ・十二月一日のワシントン‥ 

空母の所在は赤城、加賀は南九州、蒼龍,飛龍、瑞鶴、翔鶴は呉。

・十二月一日のレイトン情報幕僚のキンメルに対する報告‥

赤城、加賀、蒼龍、飛龍の所在は不明であるが、多分日本近海。

(注‥ハワイは瑞鶴、翔鶴はマーシャル諸島にあると誤って見積もっていた)

・十二月二日のハワイの通信情報班‥

空母についての情報はほとんどない。

・十二月三日のハワイの通信情報班‥

空母と潜水艦についての情報はない。

  機動部隊が攻撃隊発進まで発見されなかった大きな原因の一つは、無線封止を守ったことである。スティネットはルーズベルトや米海軍が機動部隊の接近を知っていたという確たる証拠(スモーキング ガン)を何一つ提示できていない。彼は本の中で証拠を提示できない場合、しばしばまだ秘密のままである、あるいは書類から抜き取られていたと逃げをうち、レイトンとハワイ通信情報班長のロシュフォートはウソをついていると書き、前記の座談会では「日本が降伏した際に、軍関係者とアメリカ側との間で無線封止の神話を守るという密約を交わしたのではないでしょうか。……アメリカ側は住居など経済的特典を彼らに与えることによって口封じをしたのかもしれません」と人間性を疑わせる発言をしている。

 前出『日本海軍戦場の教訓』の中で半藤氏は「あの本は阿呆らしくて,阿呆らしくて、とてもコメントする気になりません」と述べている。手元にあるアメリカ人数十人の書評のうち一人だけ取り上げるが、著名な歴史家のデイビッド・カーンのそれは「スティネットは記録を間違って読み、情報を間違って解釈し、事実を間違って扱い、読者をミスリードしている」である。

 修正主義者たちが何を言おうと、機動部隊が無線封止を遵守してハワイ奇襲に成功したという事実は変わらないのである。 

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