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南鳥島終戦の一コマ

     大熊直樹(熊本市)

 既に流れた二十二年が・・・・艦砲射撃と連日の爆撃、さらには飢餓道に落ちたすざましいマーカス島(南鳥島)の思い出も今は浄化され、むしろホノボノとした気持で浮かび出てくる。(小笠原返還で、そんな処もあったかという人もあろうが)ご当局の厳命で書くこの「終戦秘話」も、戦記そのものからは、かなり隔たったものとなるかも知れないが、老化現象を起した私の頭脳のところどころから、ヒヨツコリ出てくるのでそのつもりで受取っていただきたい。

 戦火絶えて十五日日の八月三十日と記憶するが、サイパンから二隻の駆逐艦が接近して来た。メイラント号。ドネフ号。旗艦には、グランド代将。

 南海の孤島はヒッソリと静まり返り、真白いリーフに寄せる濃紺のウネリが千古につづいて、これからはじまるケシ粒みたいな人間共の歴史の一コマを、全く無表情に眺めているようであった。

前夜が大変であった。司令は松原雅太少将であったが、明日の使節持として、

  海軍 中村虎彦中佐 かくいう大熊大尉

  陸軍 三宅副官.

 死に直面した連日であったが、これでいよいよ「終り」かと本当に考えた。

 昔から従容として死についた人達とはあまりにもかけ離れた心境ではあったが、とにかく副長とっておきのウイスキーをなめながら夜が明けた。

 勿論拳銃には実弾を装備し、久留米は有馬藩の指南役をした先祖大熊又右衛門が往時、殿様から拝領したという佐々木小次郎バリの日本刀に打粉をふって、いよいよ出発である。こう書けば如何にも凛々しい美少年を想像されるであろうが、当時の体重は四十キロを割ったまさに痩せるだけ痩せた骨と皮だけ。せめて威厳を保ったのは中村中佐のヒゲ(五十何期か忘れたが上海陸戦隊で有名)だけであった。

 当然のことながらダイハツの艇指揮をしながら旗艦に近づく。見ろ!上甲板から大砲の上迄、まるでクモ助かポパイのブルートのよぅな連中が、モクモクした力こぶのついた腕を組んで、真赤な上半身をあらわして、ズラ

リと並んで見下ろしている。(ヒラメキー俺達を喰ってもウマクないゾ)いよいよこれは大変。あわてたわけではないが、米艦メ後進をかけていたと見えて、その名を馳せた名チャージの舷門達着見事失敗。やり直し。ところがである。例によってせめて威厳を正してラッタルを駈け登るとどうだ。艦長以下ズラリと並んで衛兵隊の出迎えである。これはチヨッと当てが外れた。無理して胸を張って答礼しながら艦長室へ。グランド代将以下からニコヤカな振手を求められる。「ご苦労さんでした。よく月本の国のために戦ったあなた達に敬意を表する。この島はわれわれにとって恐ろしい魔の島だった。」三人顔を見合わせて「グー」の音が出た。テーブルの上にまずコーヒー。内地を離れて一年半。見たこともないウマそうなケーキ。前夜の真剣な死の影は完全にフッ飛んで、武士は食はねどの方が頭に来た次第である。われわれ南鳥島警備隊将兵は十一月になって帰還した。遠く太平洋から日本の富士山の美しさを眺めながら入港の前日まで餓死しつづけ、浦賀入港した時は海陸三千有余の精鋭が千四百のヒョロヒョロ部隊となっていた。共に苦しみ戦った人達は今どうしているだろうか。兵学校出身は司令と中村副長(鹿児島で料亭開業)七一期の柳村寛三大尉と小生であった。

「付記」終戦秘話と指示されたので花々しい 戦斗記録は省略した。また何時の日か紹介したい。孤島で玉砕した人達の心境が判るだけに・・・・。

(なにわ会ニュース14号9頁 昭和43年6月から掲載)

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