平成22年4月19日 校正すみ
頭上の狼、眼下の敵と菊水隊
ウルシー攻撃に関する一考察
山田 穰
元伊号第五三潜水艦航海長の山田 穣が米海軍解禁資料を元に伊三七及び伊四八潜の最後について纏めた力作を限定出版した。 山田 穰は昨年「菊水隊ウルシー攻撃に関する一考察を出版しており、これが第二弾である。以下「頭上の狼、眼下の敵」の要旨を紹介する。 (編集士) |
本文は、第二次大戦において、わが国日本が敗色濃厚となり、特攻作戦に依存せざるを得なくなったとき、第一次回天特攻作戦として昭和十九年十一月二十日パラオ・コッソール水道攻撃予定に参加した伊号第三七潜水艦と、第二次作戦として昭和二十年一月二十一日ウルシー環礁攻撃予定に参加した伊号第四八潜水艦の最後についての戦闘報告書に関するものである。
上記二艦の最後については、日本海軍潜水艦史を中心とする国内関係出版物に、米国海軍発表の原資料を参考として、極めて簡単に紹介されていることはご承知のとおりである。
筆者は、奇特な縁で、米国人アイリーン・マックラマラ女史を知る機会を得た。彼女の父親は、米海軍三等電信兵ロバート・ルイス・マックラマラで、第二次大戦中、護衛駆逐艦コンクリン(DE439)に乗り組み、奇しくも、イ三七とイ四八の2艦を撃沈した。
そして、コンクリンは大戦を生き残りマックナマラは復員したが、一九九七〜一九九八ころ病死した。父親の死を悼んだアイリーンは、父親の大戦中の物語を中心として、「コンクリン物語」を出版した。戦後生まれのアイリーンは、生き残った父親の戦友に数多くインタービューをし、指導を受けながらこの本を書き、一九九九年に私製本として出版した。もちろん、米海軍に保管されていた、USSコンクリンの戦中の戦闘詳報も解禁の手続きを経て入手し依拠して書き上げた立派な単艦の戦史的書物でもある。
私は、「コンクリン物語」と、コンクリンがイ三七を撃沈した一九四四年十一月十九日のコンクリンの機密戦闘詳報、および、コンクリンがイ四八を撃沈した一九四五年一月二十三日の同戦闘詳報を彼女から入手し、イ三七とイ四八の最後を知ることができた。
私は、海軍に入り、わずか一年間ではあるが、潜水艦乗りとなり、レイテ沖の哨戒戦、回天特別攻撃隊諸作戦に従事し、考えられないような激戦を経験し、生き残ることができた。即ち、生きのこされた身として、イ三七とイ四八の最後の様子について原史料をもとにしてご遺族、戦友関係者に報告することを己に課せられた義務と感じ、拙文をまとめて関係者に配布するものである。
ご慰霊を目的とする作業であるが、単独で纏め上げる力はない。加えて老骨病身にして、最初の予定を大幅に遅延した。何人かの志ある方々のご協力を頂いて簡易製本ではあるがお届けすることができた。ご霊前に捧げて頂くことが目的で、他意は全くない。
しかし、半世紀を過ぎた今日、問題は同時代史から現代史の分類に区別されるべきではあるとしても、ご遺族にとって、この種問題の扱い方は非常に難しく格別の注意を必要とする。部数は六十部用意したが、私力では限度である。したがって、ご遺族向けに若干部を手許においてあるが、すでに、生存者向けに対しては残部がない。回し読みを御願いしたいと思う。お配りした生存者分に対しても、限りある部数ゆえ、あちら立てればこちら立たずで、不行き届きに対しては、ご海容を頂きたい。
以上が冒頭の「お読み頂く皆様へ」の全文であり、A4版七十七頁(外に資料四十五頁)の力作である。
本書の中に出てくるなにわ会会員戦没者について紹介する。
齊藤 徳道(伊三七潜砲術長)
出撃直前に乗艦。戦後の慰霊祭において、母親、弟、妹またその系列の家族の皆様の齊藤徳道に対する思いは格別であって、慰霊祭などへのご出席は一度も欠かせたことがない。
賀川 慶近(伊四八潜砲術長)
潜水学校同期であり自習室で机を並べていた。毎土曜日の呉上陸では共に飲み騒いだ親しい仲であった。伊四八潜の竣工引渡しは卒業直後であり、艦長以下乗組員全員新任辞令のもと編成された。
吉本健太郎(伊四八搭乗員)
一号二十七分隊で同分隊、十二期潜水学校学生予定であったが、十九年九月一日、潜校入校直前、回天搭乗員候補として指名された。
豊住 和寿(伊四八搭乗員) 機関学校五三期。
吉本と豊住は原因不明の大爆発を起こし戦死した。
なお、山田は全国回天会会長をしている小灘利春の協力を得ており、翻訳監修者として小灘の名前をあげている。
(なにわ会ニュース87号85頁 平成14年9月から掲載)