平成22年4月23日 校正すみ
先輩岩佐直治中佐を偲ぶ
林 藤太
林 藤太 | 軍神 岩佐直治海軍中佐 |
前橋市立城南小学校及び群馬県立前橋中学校ともに九期先輩である。わずか一、二分の話を交わしたあと「先日貴様の実家を訪ねておふくろに会ってきた。おふくろさんから預かり物の羊羹だ。俺は間もなく特殊任務のため日本を離れる。元気でやれよ。」と、正面玄関の石段の中ごろでポンと肩を叩かれて別れた。わずか数分の出会いであったが何故か強烈な印象だった。
次の日曜日の外出、クラブ(川尻だった?)で、心待ちして母からの包みを開けたら待望の羊羹は黴(かび)だらけ。同僚たちをガッカリさせるやら笑われるやら。九月の残暑の中、幾日か経っていたためであろうが、態々届けて頂いた温情は今でも忘れられない。その二か月余りの後の十二月八日、真珠湾に突入、散華された。
年を経て平成二年十二月八日、群馬県江田島会(六十三期黒沢丈夫会長)主催により『岩佐直治海軍中佐五十回忌慰霊祭』を地元菩提寺において行った。岩佐家のご親族をはじめ全国から故人と縁の深かった多くの人々の参列を頂いた。同期の柳田益雄教官、特潜会の八巻悌二氏(六十八期)、同酒巻和男氏、隊員達が訓練中お世話になったという愛媛の旅館のご姉妹も思いがけず出席され、故人を偲んでの話は尽きなかった。
特に柳田教官にはご遠路態々ご出席いただいた上、同期の菅昌徹昭氏(当時伊二二潜 航海長)の手記を追悼の辞と併せて朗読、墓前に捧げられた。後日、教官にご無理をお願いし、ご了解をいただいて、同手記を故人の母校前橋中学校の同窓会誌に掲載させていただいた。余りにも生々しく強烈の手記に先輩、後輩より多くの反響が寄せられた。改めて柳田教官のお心遣いに深謝申し上げるしだいです。
(なにわ会ニュース86号63頁 平成14年3月から掲載)