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平成22年4月14日 校正すみ

比島沖海戦<機関科の戦闘

         機53期  斎藤 義衛

 66年前の昭和19年の10月は日本海軍が乾坤一擲の戦いを挑んだ比島沖海戦の月である。機関科53期は卒業111名の内31名が水上艦艇で戦ったが18名が戦死した。その内の6名がこの戦いで散華した。何れもが沈没戦死であった。そして5名が沈没生還し終戦を迎えたが、平成2210月現在の生存者は村山(武蔵)・斎藤(能代)の二人のみである。以下戦記を記す。

戦  記

196月のマリアナ沖海戦で苦杯の後、栗田艦隊は南方リンガ泊地に集結し、文字通り月月火水木金金の訓練の日々であった。10月上旬能代はリンガ泊地より昭南島のセレタ軍港に入港、同港の浮ドックに入渠し修理・補給を行っていた。

 1213日台湾沖航空戦の幻の大戦果に呼応し、栗田艦隊に残敵掃討の為の出撃準備の命が下り、能代も急遽17日にリンガ泊地に急航。ところがその日、米攻略部隊は突如レイテに上陸を開始し残敵掃討どころでは無くなり、栗田艦隊に対し急遽ブルネイ進出の命下る。

 

1018日 0100 リンガ出港

    20日 1215 ブルネイ入港

    21日(出撃前日)

  記憶は定かでないが、大和より重油の補給を受け、先陣艦を承る能代は湾の出口に移動し1630機関16ノット30分待機となる。能代以外の各艦の搭載水偵機のサンホセ基地への先行移動のカタパルトの発射音、可燃物の陸揚げと慌 ただしい一日。  総員集合、梶原艦長の訓示の後夕刻異例の出撃の酒宴が分隊毎に開かれた。

 

<栗田艦隊の陣容>

*第一部隊=
大和・武蔵・長門・愛宕・高雄・鳥海・摩耶・妙高・羽黒・
第二水雷戦隊旗能代、
駆逐艦9隻(早霜・秋霜・岸波・沖波・朝霜・長波・藤波・浜波・島風)

*第二部隊=
金剛・榛名・熊野・鈴谷・利根・筑摩・矢矧・
駆逐艦6隻(浦風・磯風・浜風・雪風・野分・晴霜)

*第三部隊=
山城・扶桑・最上・
駆逐艦4隻(満潮・朝雲・山雲・時雨)

          以上39

 <レイテ突入計画>

1022日 0800 ブルネイ出撃

*第一、 二部隊=

24日日没時サンベルナルジ海峡を突破,25日黎明タクロバン突入

*第三部隊   =

出撃後分離別動、25日嶺明時に主力に策応、スリガオ海峡よりタクロバンに突入

 
 10220800 ブルネイ出撃

     1215 針路15度に変針パラワン島と新南群島の間を進撃、レイテ迄1200

     1430 敵潜の潜望鏡発見、「対潜戦闘用意」 豊田連合艦隊長官より檄文。愛宕艦橋にZ旗。深夜艦隊はパラワン水道入口に到達。既に敵潜の接触始まり黎明時の攻撃必至と覚悟。 

1023日 0633 早朝訓練終了直後、敵潜水艦の突如の襲撃、愛宕沈没、高雄航行不能、摩耶轟沈!

 *重森光明(愛宕)戦死

 この時刻、私は機関室での当直が終わり、飛行甲板にて涼風を俗びて一服していた。と間もなく後方よりドドーンという震動音。振り向くと愛宕は水柱の中!そして水中に崩れ落ちる。続いて高雄・摩耶も!

 愛宕には1号同分隊たりし重森が乗っている。呉一中出身の剣道の猛者、彼の無念の形相に想いを馳せる。

 「総員配置につけ、急げ」私は急速機関科指揮所に走る。

 明日は愈々シブヤン海に入る。敵機動部隊の攻撃は必至である。
覚悟を新たにする。

 

1024日 シプヤン海海戦

 0630 艦隊は針路55度に転じタブラス海峡に入る

 0803 敵索敵機発見、「対空戦闘、総員配置につけ」

 1020 第一次対空戦闘 敵の攻撃は戦艦部隊に集中、妙高落伍

 1200 第二次対空戦闘 武蔵に攻撃集中、満身創痍

 1330 第三次対空戦闘

 1422 第四次対空戦闘

 1512 第五次対空戦闘

 1530 左290度一斉回頭、一時避退

 1714 再度反転レイテを目指す

 1935 武蔵遂に沈没

 

 能代は最後迄武蔵の周りを走る。私はその沈み行く光景を凝視する。同艦にはクラスの村山が、生還を祈る。

 前年11月トラックで能代に着任の折、能代は作戦行動中の為、臨時武蔵乗り組みの辞令が出て10日程乗艦していた思い出の艦であった。その威容を知るだけに夕日を背に艦首から沈み行く光景は信じられなかった。

 この5回に亘る対空戦闘で能代は265機の敵機と交戦するも武運強く安泰、レイテ目指して艦隊の先頭を走る。・・・・

 

 機関科の戦闘

 「配置に付け!」武者ぶるいしつつ機関室に飛び込む。未だ敵機は遠いらしく、久しぶりに耳にする主砲の雄叫びのみが鼓膜を小気味よく震わす。勿論我々は防毒面を装着、そして手拭を首に戦闘服装を整える。機関科員たる我々の任務は見えざる敵と戦いつつ最後の一回転迄スクリューを回せばよいのだ。

 艦橋より「敵戦爆連合約100機攻撃態勢」の通報。何とも言えぬ一瞬である。ただ計器を、機械を見つめる。機関長は悠然として煙草を吹かしている。余りに緊張している自分が情けなくなる。部下の兵隊に出来るだけ微笑を投げかける。全ての機銃が石油缶を乱打する如く騒ぎ出す。

 息つく暇も無く猛射している。そして敵の急降下の姿を想像する。絶対に不死身なりと確信しつつも、反面数秒後、否瞬間に来るかも知れぬ悲惨な光景、事態を予想し対処すべく身構える。

 艦橋より「敵機は大和・武蔵に集中攻撃中なり」の状況連絡、武蔵には村山が、大和には高脇がいるのだが・・・

 至近弾も落下し始める。急カーブを切って回避している。時々猛烈な至近弾に手を握る。各部に電話伝令を飛ばすも機械・缶ともに異常なし。

 「艦内哨戒第二配備」私は機関室を上がった。

 中甲板には本日の戦闘で傷ついた者達が足の踏み場も無いほど病室前を埋めている。

 上甲板に上がる。空には南十字星が静かに輝いている。艦隊は速力を緩める事無く太平洋へと一路針路を取っている。

 ただ、艦首に切り裂かれた波のみが明るい月に照らされて後へ後ろへと消えて行く。黒い艦影も、美しく輝きだした数々の星も、そして比島の海域も、明日の決戦に備えて深い眠りに。しばし静かに明日の命運を祈った一時を今尚忘れない。

 

1025日 レイテ沖海戦

 0033 無事海峡を出る            .

 0645 突如、護衛空母部隊との海戦

    熊野損傷、筑摩・鈴谷沈没。  *服部健三(筑摩)、吉岡慶治(鈴谷)戦死

 1015 追撃戦中止、レイテ湾に進撃開始

 1236 突入中止、反転北方の敵機動部隊攻撃に

 1800 追撃断念。サンベルナルジノ海峡へ

 

 機関科の戦闘

  敵空母との海戦寸前、私は機関長の命で敵状を直接報告すべく艦橋に。そして大和の巨砲の発射を凝視した。スコールと煙幕の彼方に敵空母群を見る。

 ・回目の空襲であった、続く大揺れの後艦全体が揺すり上げられる。

 当たったかなと瞬時全神経を緊張させるも計器・機械異常なし。・・・・が時を経ずして「左外軸中間軸受付近破口浸水」の報告。現場に駆けつけると、高速力と水圧で数個の破口より海水が猛烈な勢いにて噴出している。直ちに応急修理にかかるも水勢に抗しきれず徒労に終わる。

 水嵩は次第に増して行く。激震の為軸受が船体より離脱し何千馬力という回転摩擦の為潤滑油は燻り悪性ガスを。

 またまた対空戦闘のラッパが鳴り響く。熱気と悪ガスの為指揮所以外の者は倒れ、応急治療所に運ぶ。

 全員砲弾雨の中も忘れて褌一つになって海水排除、破口修理に奮闘する。

 

1026日 再度のシブヤン海対空戦闘

 0830 対空戦闘、攻撃は能代に集中

 0845 一番高角砲に爆弾命中

 0852 魚雷命中(第一缶室と第二缶室の間)

 1032 再度魚雷命中(右舷第二砲塔下部)

 1105 総員退去

 1123 能代沈没 北緯1142分・東経12141

 

機関科の戦闘

 0800頃より機銃の音も艦の動揺も激しくなり始める。艦橋のコレスの小林水雷士より伝声管を通しての「頑張れよ」の激励。と頭上に激震、艦橋より「左舷高角砲付近に小型爆弾命中火災、消防ポンプ機動」の命令。

 これを各部に伝えた瞬間、轟然たる鳴動とともに我々は吹き飛ばされる。

 室内は闇となる。床に伏せつつ・・・艦は大傾斜・・・ググーグーと小刻みに又大きく奈落の底に落ち込んで往く。呼吸しつつもこれが最後やと覚悟する。共に戦った部下も機関長も皆一緒に死に就く時と呼吸を整える。

 それもー瞬の間、懐中電灯を探り計器を照らすも全て全て故障、機関の状態は全く不明。電話も勿論不通・・・・取り敢えず指揮所を上甲板に移す事とし、ラッタルを攀じ登る如くして上甲板後部の機銃台の下に。見ると艦橋後部の煙突より猛烈に蒸気が噴出している。缶室がやられたのだ。・・・

 温和な特務大尉の分隊長・缶長・かつては分隊士として共に訓錬に励んだ下士官・兵の顔 顔が去来する。

 缶分隊長とは戦闘開始前に指揮所で交替したばかりだった。‥・艦隊は既に西へ 西へ避退しつつある。千切れ雲飛ぶ上空には敵機が虎視耽々としている。探知員の報告にて魚雷は−・三缶室に命中、二・四缶重大破と確認。‥・間もなくして機関使用不可能と決し駆逐艦による曳航準備の下令・・・

 

能代の最後

 それからも敵機の銃撃、雷爆撃機の攻撃が繰り返される。急降下の度に甲板に身を潜める。不気味な金属音を残して銃撃の飛沫と共に機影が過ぎ去る。‥・その直後魚雷が艦橋前部に轟然と!。黒煙が上がる、目を瞑る。‥・幸いにも火薬庫は誘爆せず、艦は次第に左前に沈み始める。・‥総員後部に集合、軍艦旗降下、私は機関長の後ろに立ち涙して君が代を奉唱。鳴咽の声が周囲に、‥・機関長・分隊長と共に白靴を甲板に揃え海中に飛び込み急ぎ艦を離れる。

 200メートルも離れたか、後を見やると懐かしき能代は今将に沈まんとしている。棒立ちとなり黒煙を沖しつつ散らんとしている。四本のスクリューは南海の日に輝き別れを告げるが如し。・‥やがて能代は我々に送られる如く垂直になるや飛沫を上げて波間に没して行った。・・・

 やがて秋霜・浜波の2駆逐艦が救助に近づくも弾薬箱を投下して走り去る。・‥見ると敵数機が同艦に急降下攻撃中。後方に水柱が二つ三つ‥・が水煙の後に応戦しつつある勇姿が現れる。波も次第に高まり、銃撃に一人、二人と海水を紅に染めて波間に消えて行く。

 ・・・やがて我々は浜波に救助され夕暮れ近き海上をボルネオ目指しひた走る。私は油まみれのまま甲板に転がり、走り去る比島の水平線を何時までも見続けていた。

 

 10月の比鳥海域での戦闘で機関科の戦死は前述の重森・吉岡・服部以外に次の三人が散華した。

 佐野 寛(瑞鶴)25日沈没戦死

 伊藤利治(鳥海)27日沈没戦死

 藤井 弘(那智)29日沈没戦死

 

軽巡洋艦・能代の性能諸元(平時)

 排水量     7710トン

 全  長     17450m

 全  幅     1520m

 最大速度    350ノット

 航続距離    18ノットで6000

 乗  員     730

 兵  装     152cm連装砲36

         76cm連装高角砲24

         61.0cm四連装魚雷発射管28

         搭載機     水上偵察機2機(射出機1基)

 (平成22年10月ブログより)

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