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平成22年4月24日 校正すみ

昭和50年3月寄稿

終戦の想い出(震洋)

小島 末書(40震洋隊長、喜界島)

 生き残った者が戦死者の代りに発言しなくては申し訳ない。「戦死者は侵略戦争にかり出され死に損となっている。これを「しかけられた戦争に国を守り、武略進駐を防止して現在の繁栄の基を作った」とする。

若松 禄郎(馬公特設震洋隊長、膨湖島)

 高雄警備府から膨湖島に配属され、主に八単馬(小島)四カ所に分散していた。

  飛行機の数が少なくなった当時、予科練の若人が配属され文字通りの特攻隊として南下中、南に下られず台湾におりざるを得なかった。皆の気持ちは純粋なものだった。これだけは守り通したい。諸先輩から教えられることが多かった。有難かった。

(なにわ会ニュース33号9頁 昭和50年10月掲載)

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