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平成22年4月24日 校正すみ

昭和50年9月寄稿

終戦の想い出

安藤  満(谷田谷空)

昭和二十年八月十五日は、やけつく暑さの中を、茨城県の谷田部航空隊で迎えた。連日のB―29の空襲もやんで、無気味な程の静かな日だったように覚えている。正午の放送は、飛行場の指揮所前に全員整列して聴いたが、雑音が多く余り意味がわからなかった。その直後の声涙くだる司令の最後の訓示で、はじめて戦いの終ったことがひしひしと身に伝わってきた。

今後の日本の再建は、若い諸君の双肩にあるといわれたが、当面、何もすることがないままに身の回りを整理したり、それまでのふさふさした長髪を丸坊主に刈り上げ、信州の山奥に十年ぐらい雌伏して再起をはかろうなどと話し合っている内に、占領軍の命令が次々にきて、真っ先に戦闘機のエンジンのプラグを外させられたのには驚いた。

万事休す。あらかたの兵隊もいなくなった航空隊を後に、私は知人の山荘を頼りに満員の汽車にのった。

その後一年有半、朝な夕な浅間山をみて暮した。ゼロからやり直す覚悟をきめて、ガス会社のメーターの検針をはじめたのは二十二年の秋だった。その年結婚をし、爾来、平凡な日日を消光している次第。

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