平成22年4月20日 校正すみ
南鳥島戦記その2
大熊 直樹
まえがき
ここでも矢張り「まえがき」が要る。私にとっては、いわば言訳だが・・・・。つまり厚顔ながら引続き筆をとることにした。
ことの経緯は、「なにわ会ニュース」第45号以来、多くの級友から激励とも脅迫ともつかぬ手紙が来たり、電話が掛かったり、意外な気がしていた処、とうとう先日「折角九州まで来たので、貴様の顔を一目見ないと帰れない」などと、ホロリとする電話をかけて来た御仁がいる。ナァに奥さん孝行の彼が、私の郷里と同じ久留米までやって来て、その次いでに声をかけて来た次第だ。
加藤孝二といえはサモアリナン・・・。
「クマさん、いいか、かつて貴様が経験した南島島の事を知るクラスは、誰一人いないんだゾー。だから自信を持って書け!・・」
「?・・・・。」
大体、年寄りの昔話は、若い者には敬遠されるし、どうしても本人だけの思い出として何となく自慢話的な匂いがするので、40年にもなろうかという往時のことは(本当にイニシエになったナアー)やっぱり「シマック。約束しなければ良かった」という気がして仕方がない。押本の次は加藤。しかも本当に会いに来た。その上での話し合いともなれば、致し方ない次第。「何時の日か」と誤魔化してばかりもいられなくなってしまった。また恥の上塗りながら「艦砲射撃下の南鳥島」を紹介することにした。
【ニュース45号46ページから続く】
打ち方始め
貴兄達もあるいは経験があるかと思うが、何だか同じ様な事が、違った場面で起ったりして、変な気がする様な事はないか。艦砲射撃下の南鳥島でやっぱりそんな体験をして、今だに記億に残っている。
というのは、かつてマラッカ海峡を「最大戦速」で航行中「大井」の艦橋で、あの厚いテッペンの天蓋をあけて鉄兜を被った大熊少尉候補生。「ミズムシ」の臭いのする靴を、艦長の鼻先につきつけて、四方から襲撃してくる攻撃機を「右15度」 「左45度」などと知らせながら、スマトラ北端サバンの我が海軍航空隊との連携で、雷撃回避運動をしていたことかあった。今度はこれがまた南鳥島で再現された訳である。
つまり、この一人しか座れない天蓋をあけて、目の前を人もなげに航行し、堂々と何度往復しただろうか、ドカンドカンと打込んで来た米艦隊の見張をしたのもこの私であった。
さて順序不同となる恐れもあるので、先ず戦いの始めから整理して思い出してみた。
10月9日。 当日は内地から機帆船による「米」の緊急決死の輸送が計画され、その待望の第一船がやがて着こうかという朝であった。この時は、もう大熊中尉も前述の機銃陣地から司令部付の配置に変っていた。
「水平線にマストが見えマース」という見張からの報告が来た。
「それ!・・・米が着いたゾ!」
私だけでなく弾薬が着いたとは誰も考えなかったと思う。ヒモジイ餓鬼共の心情、今頃は、武士は食わねど、などとサゲスム人も居まいが、小踊りせんばかりに嬉しかったネ。
繩氈D餓鬼道……ここに落ちた亡者は常に「うえ」と「かわき」とに苦しむ・・・六道の一つ(国語辞典)
早速「大発用意」 「チャージは私がやる」「各小隊作業員出せ」予め準備していた計画通り、久し振りに滑走路を走るトラックのエンジンも躍動するかに聞え、いそいそと、且つ1分30秒(起床動作のタイムリミット)(懐かしいネエ! 2号になった途端に3分も掛ったのが多かったネ!)で飛び出した。ところがである。
「マストは2本、いや3本、もっと多い。」「段々近づく。」 「マストは櫓マスト」・・・「何イ?・・・」
突然、全島シーンとなる。いやあ、とんでもないお客さんだ。
「どんどん近づく」・・・
「戦闘用意! 配置につけ!」
さあ滑走路を走っていたトラックも、波止場でニコニコしていた我々も、それこそまっしぐらに司令部へ逆戻り。今度は「オ―エンス」より速かったのではないかナ。
島の中央やや東海岸寄りに、椰子の木より高い1本(?)の見張櫓がある。この「やぐら」は丸太をくんでつくった、昔よく田舎で見かけただろう、あの火の見やぐら式のあれだ。風は吹きさらしだし、天井もないし、それこそ何の近代的防禦設備もある訳ではなく、ただ2名位で、土人の様に、裸で登って見張しているだけのシロモノだ。
これが不思議とその日の艦砲射撃にも、その後のどんな激しい爆撃にも倒れなかったし、またその上の見張員も戦死しなかった、実に運の良い「やぐら」であった。
さて一方司令部では、先ず私は前述の天蓋をあけて、双眼鏡を手に、次第に近づく櫓マストを数えている。大井時代、色々な艦型を示しながら、見張員の教育をした覚えもあるが、どうも判らん。先頭の大きい3隻、戦艦なのか重巡のようでもあるし、プロのくせ恥ずかしい限りだ。後に続く7隻は駆逐艦。悠々と単縦陣で沖合遥かを横航している。我が見張台に専門の下士官がいたのだろうか。どうやら正確な報告が来た。
「ペンシルバニヤ型 戦艦1」
「ペンサコラ型 巡洋艦 2」
「ポーター型 駆逐艦 7」
益々近づく。
(戦後本を読んでいたら大型艦は何れも重巡だったそうだ。)
もう私の双眼鏡にも、ハッキリ全景が見える。往ったり来たり、島を巡ったり。段々大胆になって、いよいよ近づく。今さら子供達に説明するようなことを書く必要はないが、海の5,000メートルなんて全くホンノ直ぐそこだね。(お互い天測の腕前を思い出すネ―)
一番近づいた駆逐艦は3,000m。じっくり観察が済んだのか、一斉に打ち出して来た。
パッ!・・・と真赤な閃光と共に白煙があがる。「ウッ」と腹に力を入れる間もない。瞬間的に「ビューウ、ビューウ、ビューウ」
(爆弾はシュル、シュル、シュル、あるいはシュー、シュー というような音だ。何も聞えない時が一番危ない。直撃か至近弾。指を立てて身体をよじっても真直ぐ来るのはどうにもならない。小銃の音は聞いた事がないがシユッシュッと来るそうだ。)
はじめて体験する素晴らしい(?)音とともに、ガンガン、ガンガン、ガンガン。全島全弾命中。それからドロドロ、ドロドロ、ドロ
Pドというような発射音。まあその凄まじいこと。物量を誇るアメリカとは聞いていたが、よくぞこれ程打込んで来るものだ。一航過するとまた反転。ピカッ、ビュー、ビュー、ガンガン、ドロドロ・・・・
波打際まで迫って来て0メーター直射だ。高いところで標高10メートルだから、どういう射撃をしたのか。全く素人のアイデアでは高く打上げてドスンと落下させたら、この島は中心から破壊されたのではなかったか、などと言われたことがある。
だから被害そのものは極めて僅少。滑走路に当った弾丸など掠り傷みたいなものだ。でも、もう私も首は出せない。上空の観測機が私を写した事だろうが最早手おくれだ。・・・司令部へ潜り込んで各陣地からの電話を纏めながら情況報告だ。
矢沢特務大尉
「打たせてくれ」 「打たせろ」
中村副長
「ダメだ」 「我慢しろ」
この電話の仲継ぎが私だ。全く何度言えば納得するのか。両者ともに簡単に引き下がる人ではない。「もう俺も知らん〃」仲継ぎ役はお断りだ。我が南鳥島唯一の大口径砲、15.5糎砲の砲台指揮官、矢沢のダンナとしては、やっぱり打ちたい筈だよ。この大砲は中央進攻路で実直ぐ南鳥島へ来るという判断で、我が軽巡の改装時、その主砲を下して、ここに据え付けていた訳だ。今様にいえば中古車の下取りということかナ。でもレッキとした大砲だ。(軽巡の名前を忘れたのが残念)
「今なら当ります!・・・何とか打たせてください」とうとう涙声で懇願して来る。ここだけではない。西南端の8糎砲まで小癪にも「打つぞ」と脅かしてくる。
我が南鳥島に限らず島嶼(とうしょ)戦では、敵の上陸に備えて大砲や戦車などは、上から横から遮蔽して大切に温存していた訳だが、一旦打つとなると、これを総べて取脱さねばならない。つまりはっきりその所在を敵に暴露してしまうことになり、明日にでも上陸しょうかということだったら、それこそ真先きに徹底的に破壊されることになる。
理屈はそうだ。しかし私も、もう我慢出来ない。「副長〃 もう良いではないデスカ〃。打たせましょう〃‥」 「馬鹿モン〃‥お前まで何バいうか」 ここで、こんどは副長とケンカ・・・。でも副長も本当はウズウズしておられる。とうとう「オアヅケ、許す」と来たね。
それ!「打ち方初め」ところが通じない。猛撃で電話線が切れてしまっている。矢沢のオッサン黙り込んだ筈。勇敢なる私の伝令「私が行きます!・・・」 「ヨシ、気を付けて行け」私の声を背に彼はもう裸になりかけた。ミニジャングルへ一目散に飛出して行った。遂に我が精鋭に活動場面が与えられた。もう8糎砲もOK。反転近づく横航の敵艦隊10隻に対して我が主砲、副砲一斉に打出した。といっても、一斉射それぞれ一発。北砲台も加わって合計3発。悔しい!・・・でも興奮したね。水柱も上ったが、時々彼の前甲板に当るのが見える。駆逐艦にも当った。これまた報告のウルサイコト〃 「当りました」「ヤッタカ」・・・・
薩摩湾や馬関で、黒船と戦っている訳では無いゾ! 近代的粋を集めた科学戦の筈なんだが。流石に敵艦隊も急遽遠ざかる。しかも一斉に煙幕を張っている。あっという間に、陣形を整えながら、サーッと水平線の彼方へ消え始めた。ところがである。最後尾の駆逐艦のマストと覚しき附近から真黒な黒煙が上った。「ヤッタゾー」という声が、島のアチコチから起る。本当に撃沈したかどうか。チョッと少々かなり疑問は残ったが、纏めた戦果は次の通り。
「戦 艦 1小破」
「巡洋艦 1中破」
「駆逐艦 1撃沈」
どうもこの辺自信もないし、今頃恥ずかしがっても米側にはチャンと戦史も残っているだろうし、(加藤ヨ、ダカラ書きたくなかったんだ)……その時は確かにそう思って報告したので勘弁してほしい。
(7) 幽霊の正体見たり枯尾花
夕闇とともにもう敵は見えない。兎に角ホッと一息入れる。さて今度は「上陸戦」という段取りだが、こんなことで艦砲射撃終了ということであれば、これは我が方にとってこれ程有利なことはない。殆んど被害なしなんだから。
「来い〃‥徹底して闘えるぞ」
「イヤまだまだ、又明日は今日以上の砲爆撃が来るよ」
「第一今日は空襲がないではないか」
司令部では陸海仲よくこんな話をしていると、突然イヤァーな報告が飛込んで来た。
「水平線近くの海面で明かり〃がチラチラ見えます」
「明かり〃は数が増えている」
「往ったり来たりしてイマース」さあ再び大変だ。チョッと早いと思うのだが。南鳥島もナメられたのかな、あかりがチラチラ見える。これや葬式が一日早くなったゾ。
副長から「酒を出せ」と来た。ご自分のとっておきのウィスキーも出して来られる。これが最後の晩餐か。「イヤァーそうなんジャヨ (副長の日頃のくせ)これで上陸なら明日はアメチャン大変な被害を受けるぞ。」
松原司令も聯隊長とチビリ、チビリ。まあ何とかなるじゃロー。件(くだん)の軍力に打粉して、第三種軍装を引っ張り出す。どうなるか判らんが身の廻りの整理だ。「死して屍、拾うものなし」・・・
(8) 軍艦マーチ
(9) ある日の空襲
=トラック島へ飛立ったただ1機=
我が海軍航空隊の花、彩雲と銀河隊が久し振りに我が南鳥島へ来ることになった。ただし一泊、直ちにトラック島へ進出だ。おまけに一式陸攻も整備員を乗せて同行して来るという。
× × ×
ところが、午後整備された飛行場に着陸した我が虎の子の攻撃隊をヂッと見つめていたものがいた。件の潜水艦だ。(もっとも暗号はすべて解読されていたというから見張がいなくても判っていたかも知れないが)・・・。
「空襲!」東天白みやっと明けたばかり。来たね。B―29・B―24 混合だったと思うが、海面スレスレ、まさに這うが如く、次々と順撃だ。多分7機だったと思うがアッという間もない。この時の対空戦闘では高射砲じゃなくて、25粍や13粍機銃が主役であった。(陸軍では小銃を発射した部隊もあった。)でもこれで彼の誇るB―29を打落したのだから如何に低空だったか想像もつくだろう。
「沖合潜水艦は停止している」
「塔乗員を救助している・・・」
「ヨシ、打方始め」
(10) 終戦の前後
柳村大尉(71期)は通信長だった。そこでコッソリ傍受した電報を解読、見せて貰っていた。「おい、クマさん、もうヤッセン!・・・(鹿児島弁でダメということ)艦が居らんぞ。「大和」まで沈んだんじゃ、日本も危ないぞ」通信長の手元には色々な情報がある。相手側の短波も飛込んでくるから仕方がない。南島島の無線塔は最後まで健在である。
(11) おわりに
拙い筆で、しかもクドクドと少し書き過ぎてしまった。最後まで読んでくれて有難う。実は先日お袋が古い包みの中からボクの往時出した手紙をソッと出してくれた。とんでもない物が今頃出て来ては困るのだが、もう前編は活字になっているし、まあ余り固い事を言う人も居ないだろうから別添しょう。人間素直が一番良い。その時の、その場の環境での、そして、そのままに反映されていると思うので、恥ずかしながら遂に決心して原文のまま披露して、最後の締め括りとしたい。
オフクロの話では手紙は勿論、千人針や慰問袋も送った由だが国からの便りは、遂に一度も受取らなかった。
横須賀気付 り28り248 大 熊 直 樹
拝啓
決戦下皆様益々御奮闘の事と思ひます
御蔭様にて 私も6月1日 大尉に進級致しました 愈々これで階級だけは一人前、一口に若い中少尉と舐めて貰うまいという処です。
考へて見れば 早いものです 中学明善の白線帽から 白線取った浪人帽をかぶって みすぼらしい恰好で久留米駅を出発し 汽車の中で御勅諭を暗じながら 緑の江田島へ向ったのは ほんの近頃の様な気がします
それが 今大東亜戦争の捨石として 大きな役目の一端を受持ち海軍大尉として 憎い米鬼と戦ってゐる事を思ふと 全く 大きな無限の感激が湧きます
父上母上様としても同じ事だと思います もう大尉になったかと驚いて居られるでせうが これでも 押しも押されもせぬ 一本立の大尉です 同じ大尉でも 兵学校を出た者と云ふ有難い自覚と重大な責任を感じてゐます 来いと云はなくとも いざとなれば皆がついて来るだけの自信は持ってゐます よく人から目玉々々と云われた幼なかった頃の事を思ひ出しますが 兵学校で一段と秋霜烈日と教官からあんまり有難くない 御名前を頂いた位 鋭くなったらしく 自分で苦笑してゐますが いざ と云ふ時は大に役立ちます
昨年の戦闘で部下を殺しましたが 今になって考へると 其の時の処置は 私は間違いなかったと信じてゐます 即ち 爆風と爆煙と機銃掃射と 居ても立っても居られない中で 兵器はやられる 部下は飛ばされる 皆がどうなるのかと 私の顔を仰いでゐる ここだと思ったのは其の時でした 野郎 何してるんだ と重傷者を叱りつけて 自分で歩かせ 殆んど餓死してゐる者は担架で 而も負傷者で運はせ 軽傷者でやられた兵器を修理 勿論 機銃弾 爆弾は当り前じゃ動けない位 もしも此の時 恩情主義でも出したら 誰も動かなかったでせう 目玉の効果はやっと発揮されました 恐らく彼等は改めて 私の目玉を見直した事を思ひます
御蔭で 御存知の戦果を上げました 処が最近 大学出の士官で 私の反対をやった者があります 叱りつけたら かえって議論をしようと申しました こんな処が 頼りなく思ふ処ですが 今後共強い指揮官に育ててやる積りです
それかと云って御心配は要りません 日頃は優しく面倒を見てやって居ますから 目玉の効果は この位にして置きます
まあ然し 私も若いから色々な失敗をやっては司令や副長に叱られて居ます 叱られると云ふ事で兵学校時代色々教育されましたが 努めて叱られっ振りの良い男にならうとしてゐます 一切言訳をしない 人の失敗も皆引受ける これが私のやってゐる まあ修養の一つです どんなに損をしても 事実は決して損とか得とか云ふものではありません 本当の事は上の人にはちゃんと判って居ます
判ってゐて叱るのが上の人の これ又大事な処だと云ふ信念を持ってゐますが 若し其の時判らなくても何時かは必ず判るものです 従って 叱られても昔の様にクヨクヨしたり する様な事もなければ 恥づかしいと嘆く事も有りません ケロリとすぐ忘れてしまひます
目玉の話はその位で止めます あまり横道にそれそうですから
次は煙草の話と云ふと母上様 ドッキリされる事と思ひますが一言聞いて頂きます
これも 久し振りに軍艦「マーチ」が放送された あの戦闘の時の話
前述の通りの惨状を呈してあった時です 空襲も絶え間なく来る訳でなく 所謂波状攻撃です その合間 皆の顔を見ると実に 情ない恰好です と云えば頼りないと思はれるかも知れませんが 初めての戦闘でびっくりした組が多いので 私の目にはさう見えましたが
そこで その空襲の合間 私は皆の見える所で腰掛を出させて 悠々と煙草を吹かしました ちょっと芝居気があると御思ひかも知れませんが、 戦場に於ける心理と云ふものは単純なものです 勿論皆にも煙草許す と号令を下しました その結果はどうです 全く悲壮な顔をしてゐた老輩が やれやれと頬の筋肉をほころばし一種の安堵を得た事は確実です
その次からは皆大胆になりました ニコニコして居る頼もしい奴も居ます 廻って行くと分隊士もう絶対自信がつきました 目をつぶってでも射落せますと張切って居ます 言訳みたいですが 煙草の件 其の後の事は御想像に御委せ致します
次は酒の話 これは御心配要りません 親爺の息子です 不覚はとりません 何も 母上様 御心配なく 飲まうとしても無いですから
次は女の話 こんな事は妹達には御話し下さらぬ様
これも 御心配なく ここには犬でさえ男犬ばかり 京子から嫁の世話をしょうと云って来ましたが 中佐位なってからの事だから、鼻汁でも垂らして遊んで居る奴を見つけて居て呉れと云ってやりました
次は最後のしめくくり 我々と一諸に出た同期の者は 今将に使ひ時で続々と特攻々々で突込んで行きます
皇国の興敗は実に我々の肩に掛かってゐるものと信じます 新聞で見ても同期の親しかった奴の名前が二階級進級で意外な程、数へられます 新聞でさえその通りです
末だ 次々と続いてゐる事でせう
突込む気持 笑って飛立つ写真 未熟者の私には判りませんが 共に江田島で鍛へられた者として 我々兵学校出の青年将校が やらねば と云ふ気持だけは判ります
これが大事な処ではないかと思ふのですが 真に我々は帝国海軍を愛します 二千六百年 続いた大日本帝国を愛します
御安心下さい 日本は必ず勝ちます 必ず勝ちます
我々は必勝の信念で笑って散る戦友の気持を以心伝心深く結び合ってゐるのですから 大尉の最新参者として大に努力するつもりです どんな事があっても 遅れをとってはならぬものがあります これだけは負けぬ積りです 元気一杯益々やりますから御安心下さい
皆様の御健康と御奮闘を祈ります 敬 具
(この手紙の用字は旧かな使いが多いが原文のままにした。 編集部)
(編注 73期の岩野氏は偵察102飛行隊の偵察員で甲板士官だった。今は太陽神戸銀行の侍大将である。同銀行勤務の畠山が他界した折、侍大将に畠山の遺族が大変お世話になった。畠山の二人のお嬢さんは良縁を得、八重子夫人はそれぞれの孫をもった。長男修一郎君は神戸大学の三年生である。岩野氏に感謝を、畠山一家の御健康と御多幸を祈る)