平成22年4月22日 校正すみ
メイ航海長として
冬月航海長 中田 隆保
中田 隆保 | 駆逐艦 冬月 |
バイパスニュースに寄稿せよとのこと、また天一号作戦のこと等書けとのことですが、大和を中心に矢矧、雪風、磯風、浜風、凉月、霞、初霜、朝霜それに小生乗艦の冬月と最後の連合艦隊の最精鋭も雄図空しく、米航空戦力に敵しがたく、大和、矢矧他駆逐艦4隻を失い、佐世保に引返しました。
この作戦に参加した8隻の駆逐艦の殆んどの航海長が72期で、それもなりたてのほやほやでしたが、よく最後まで大和を守り、また自艦を雷爆撃から守り、勇戦奮闘したことは、72期水上部隊の大いに名誉とする所と考えております。この天一号作戦は、大和の最後とともに色々の本にも詳細に書かれているので、特に小生が筆をとるまでのこともないと思います。ただ20数年後の今日でも不思議に思えてならない事の一つに、どうしてあの雷爆撃の中で沈まずに帰れたかということです。
兵学校で教わった避雷爆航法は、爆弾または魚雷1個が来た時のことで、この時のように頭の上から、鼠の「うんこ」のように爆弾がほんとに降って来る、水面には縦横目茶苦茶に雷跡が走っており、小生は唯適当に面舵取舵と走り回るより他にない有様で、遂に雷撃は1個の命中もなく、爆弾2発を受けただけで、(しかも2発とも不発)どう考えても小生は、それ程の名航海長どころか瀬戸内の水道通過に冷汗をかくような航海長ですから、誠に不思議にたえません。この戦闘で小生両手に機銃弾を受け、遂に病院で終戦を迎えるという、甚だ不甲斐ない結果になりました。
小生目下、東北福島にある沖電気の子会社東北沖電気という電話交換機関係のメーカーに勤めております。労務担当、青年同盟の共産思想と創価学会の浸透対策に頭を痛めております。
当地は名勝スカイラインを始め数多くの温泉があり、特に混浴温泉がいくらでもありますから是非お出掛けの程を、ただし、混浴に来るご婦人方はお年寄りが多いので、小生等のような若き男性は、かえって冷やかされて逃げ出すはめになることもありますから、余りご期待なく。
なお当地に古関建治君母堂ふくさんがおられましたが、40年12月、左記(略)へ転居されました。建治君戦死後全くお一人で、多少心臓が弱くておられます。昨年数々の建治君の遺品を寄贈されました。さぞお寂しい毎日と存じますので、古関君と親しかった者は、精々お便りして上げて頂きたくお願い致します。
(ニュース10号21頁 昭和42年2月掲載)