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平成22年4月23日 校正すみ

追   憶

松田 清

眼を閉じて想い起せば、53期諸兄の顔がまざまざと思い起されて懐かしさで一杯である。諸兄の特徴ある一挙手、一投足がそのまま写し出される。我が山口県出身の藤井兄の実直な人柄や、また防府の吉本兄はち密で面倒見のよい性格から、今も尚お世話になり頭の下がる思いである。中学先輩の大柄の梅原兄、近く福岡出身では豪放嘉落な椎野兄を始め飯盛兄、鹿児島では藏元兄、川崎兄、此のお2人が鹿児島弁で話して居るのを入校当時傍で聞いて、ちんぷんかんぷん分らず何所の出身だろうと疑った次第である。入校当時成田の倶楽部で始めてお会いした山形出身の佐藤兄、ズーズー弁で一寸聞き取りにくかったのを覚えているが懐かしさで一杯である。また北海道の岩間兄、スキーが抜群に上手でこちらが尻もちついているのにスイスイと滑走していた勇姿を思い起こす。

次に思い出されるのは生徒館での日常訓練である。朝な夕な仰ぎなれたる神明社、そして号令練習、その甲斐あってか今でも声が大きすぎて家では叱られる事が多い。陸戦演習で追撃退却戟の時、小さな体に重い機関銃を持たされ追われる側となり忽ち追撃されムチで打たれて即戦死、之も懐かしき思い出の一つである。その外精魂尽いたマラソン競走、苦しかった寒稽古、土用稽古、の思い出等尽きる所を知らない。

それにつけても古武士の風格が偲ばれる平岡校長閣下、長身で威風堂々たる鍋島校長閣下を始め、毅然たる姿の沢幹事長、喜多見、山田及び山崎学年監事を始め分隊監事の諸先輩に等しく御指導頂いた想い出は、走馬灯の様に次から次と駈けめぐる次第である。

此の世に生を享けて60有余年、天地悠久の時に較べればほんの一瞬ではあるが、諸先輩より受けた厚き御恩、良き友と交り得た御交誼に深く感謝する次第である。

よきにつけあしきにつけ伝統ある海軍精神は心の底に何時を恥ずかしくないよう有意義に送りたいと念願する次第である。

最後に幾多の先輩同僚、後輩諸氏のうち既に故人となられた方々の御冥福を心から御祈りすると共に、現存の皆様の御健康と御発展を願って止まない。

 (機関記念誌223頁)

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