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平成22年4月18日 校正すみ

片山務君等の戦死

左近允 尚敏

最近アメリカで『太平洋のウルトラ』という本が出た。著者は英国人ジョン・ウィントンである。ウルトラとは米海軍が主として日本海軍の暗号を解読して得た極秘情報の事であって、米太平洋方面司令部はこれをウルトラ電として限定配布していた。

暗号を解読された事がミッドウェーの敗北や山本連合艦隊長官の戦死を招いた事はよく知られているが、この本には改めてショックを受けた。こちらの動きがこうも筒抜けではどうにもならない。ただただ、溜息が出るばかりだった。

ここでは6艦隊関係の一部を紹介するが、例えばあ号作戦前の1944年5月、潜水艦の配備要領を示した電報が解読され、25隻中17隻が撃沈された。うち4隻は駆逐艦1隻に次々とやられている。

この本に出て来るわが方の潜水艦はイ号が24隻、ロ号が5隻を数えるが、片山務、林慶治、溝上正人の3君が運命を共にした3艦のことが含まれている。

まず林、溝上両君の乗艦について。

1945年2月に回天隊が編成され、イ368(溝上正人)、イ370(林 慶治)、イ44が2月22日呉を出港。硫黄島に向った。しかしイ37026日、硫黄島沖で護衛駆逐艦「フィネガン」に、イ368は翌27日同じく硫黄島沖で護衛空母「アンジオ」の艦載機に撃沈された。イ44は駆逐艦群に48時間以上制圧され、乗員はほとんど窒息しかけたがどうにか帰国出来た。

尤も2隻がいつ何というフネに沈められたかはすでに判明しているところであって新しい事実ではないが、なにわ会名簿は両君の戦死を3月14日としている。これは多分沈没認定日であって正確な戦死の月日は2月2627日であろう。 44はその後沖縄で沈没し、池沢幹夫君(機)が戦死、土井秀夫君が回天の多々良隊として戦死している。両君とも硫黄島作戦時も乗艦していたものと思われる。

片山努君のイ351についてはかなり詳しい。

1945年6月、日本海軍は暗号が解読されている可能性があると懸念し、イ351で新しい暗号書をシンガポールに送った。 14日のウルトラ電信のとおり

『イ351は6月19日ころ佐世保発、高射砲弾、暗号書表をシンガポールに輸送の予定。

帰路は航空用ガソリンその他戦略物資を輸送するものと見られる』

次は6月22日のウルトラ電

『敵は現在航空用ガソリン68%アルコール32%を使用中。イ351221400シンガポールに向け佐世保発。25日の正午位置はおそらく中国沿岸沖。28120N』

351はこの航海では阻止出来なかったが、運命の時は近づきつつあった。米海軍は7月、潜水艦7隻をもって南シナ海に阻止線を張った。7月14日早朝、ボルネオ沖にあるグレート・ナトエメ島の北東海域を哨戒中の「ブルーフィッシュ」は隣にいた「ブロワー」からの発見報告を受け取った。15日早朝、爆発音を聴取し、「ブロワー」からは不明目標を攻撃したとの通報があった。「ブルーフィッシュ」はその1時間後、日本潜水艦が水上航走で之字運動中であるのを確認し、2本を命中させた。

次ぎは7月15日のウルトラ電である。

『「ブルーフィッシュ」は7月15日朝ボルネオ沖で潜水艦を撃沈したと見られる。おそらく航空ガソリンその他戦略物資を搭載してシンガボールから日本に帰投中のイ351と認められる』

なにわ会名簿は片山君の戦死は7月31日としているが、これもイ351の沈没認定日であろう。

次も初めて知って驚いた事実である。

1945年2月、6艦隊司令部はロ号4隻に対し北部ルソン残留の航空機搭乗員をアパリで救出し台湾に輸送するよう命じたが、米海軍に解読された。

2月6日のウルトラ電は「ロ46は8日20302220の間に人員を収容するとみられる。収容地点バツリナオ岬の西1,000メートル。状況困難な場合は1日延期」となっており、これでは潜水艦の隠密性も何もあったものではない。やられるわけである。

1隻目のロ46は成功して21日に高雄に着いたが、ロ55は9日夜、ロ11210日夜、ロ11312日夜、いずれも米潜「バットフィッシュ」に撃沈されてしまった。3隻の沈没地点は数マイルと離れておらず、また4日で3隻撃沈は記録だという。運の強かったロ46も5月2日沖縄方面で沈没、亀井 寿君と梅原芳人君(機)が戦死した。

山本長官を失ったあとも、暗号が解かれているはずがないという主務部課の主張を受け入れた中央の責任は誠に大きいと言わなければならない。

(なにわ会ニュース71号31頁 平成6年9月掲載)

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