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平成22年4月19日 校正すみ

柿崎中尉の思い出

佐丸 幹男

 3月6日から約1週間、沖縄の現地研修に参りました。色々のことがあった中で私にとって最も深い感銘を与えるものは矢張り沖縄の海でありました。約21年前に伊号第47潜水艦の機関長附であった私は、回天特別攻撃隊多々良隊及び天武隊の作戦に従事し、沖縄の戦場に馳せ参じたことと、その時の1号艇搭乗員であった72期の柿崎中尉の最期のことを思ったからであります。
柿崎中尉

毎年この日になると遥か沖縄の海に向い亡き戦友を想い、深い黙祷を捧げてきたのでありますが、今22年の歳月を隔てて尚その時の状況が彷彿として思い出されてくることであります。ここに謹んでその前後の状況について要点をお伝えして置きたいと思います。(注・以下行動については覚書から抜粋の形で記載する)

一 多々良隊の時

47潜は昭和20329日出撃、29日、30日は敵の制圧を受け爆弾及び爆雷攻撃により損傷、31日ようやく帰投という結末に終ったのでその間の詳細は割愛し、ここでは出撃の時、特に印象の強かったことを一、二記述するに止めたいと思う。

(ア)   
 基地の人達が内火艇やカッターで見送ってくれるのに対し、搭乗員は回天の上に乗り軍刀を抜き桜の花をかざしてこれに答えていた。そして艦のスピードが上るにつれ桜の花びらが風にあおられてヒラヒラと散ってゆく光景は今でも強く脳裡に焼きついている。

多々良隊の華

@ かざせる桜、ヒラと舞い

()で行く後の波の()

  清き散り(きわ)見せにけり

A 歓呼(かんこ)の声にゆらぐ胸

必ずやると誓いつつ

静かに捧ぐ挙手(きょしゅ)の礼

B 岸辺の人の心にも

(かよ)ふ思いは桜花、

万古(ばんこ)(かお)れ九段坂
 

(イ) 見送りの船が引返して行った後、次第に遠ざかる祖国の姿を眺め、煙草に火をつけながら
「おい今度こそ出してくれよ」という柿崎中尉、
「うん今度こそ出てくれよ」とフッーと煙を吐きながら答える私、
そして見合せた眼、何でもない事のようであるが、金剛隊神武隊の時、それぞれ伊56潜、伊36潜で出撃しながら発進の機に恵まれず帰還を重ねていた彼の気配が痛いほど胸に響いたことであった。

(注・それにも拘わらず結果としては又しても空しく帰還することとなり、
次の天武隊において漸く彼の願いが達成される事となる。)

二 天武隊20・4・2220・5・12)のとき

(ア) 伊47潜 准士官以上

艦 長・  折田少佐、   先任将校・川本大尉、

機関長・  朝倉大尉、   航海長・菊池大尉、

機関長附・ 佐丸中尉、   砲術長・田実中尉

軍医長・  小林中尉、   他4名

(イ) 回天搭乗員

1号艇 中尉  柿崎 実

5号艇 中尉  前田 肇

2号艇 上曹  古川七郎

4号艇 一曹  山口重雄

3号艇 二飛曹 横田 博

6号艇 二飛曹 新海菊雄

(ウ) 回天発進までの伊47潜の行動

@ 4月17日呉出撃、光着、回天搭載、試験潜航、光在泊中に乗員を二組に分け、総員入浴後、基地隊兵舎内にて回天特別攻撃隊金剛隊(1912・下旬〜202・上旬)の出撃状況の映画観覧。

A 4月20日午前、平生突撃隊沖に入港総員入浴、ここで柿崎中尉と二人で風呂に入り、ゆっくりとくつろいだ。これが最後の入浴かも知れないと思いながら・・・・・・

 B 422日の2200豊後水道出撃の予定でその数時間前に艦は平生を出港した。水道に着くまで大半を甲板上で過したが午後の陽差しはまだ明るく、「一島去るかと思えばまた一島現われ・・・」の瀬戸内海の風景は余りにも美しく神々しいまでに感ぜられた。この国、この土地を護るために我々は生命を賭して戦うのだ。予定どおり豊後水道出撃、いよいよ敵と対峙する。何処に敵潜水艦が潜んでいるか判らない。3戦速20ノットで之字運動をやりながら一挙に水道を突破し只管南下する。(天武隊の他の一艦である伊36潜は2400豊後水道出撃の予定であった。)

 C 2日目か3日日であったか知らないが短波マストに(つばめ)が止まった。瑞鳥として士気上る。

 D 426日右舷機故障(右舷機9・10番カム軸の軸受焼損、8番のカム山破損)4月28日復旧、この頃沖縄南東方海面の配備点につく。サイパン航路ウルシー航路上を索敵。

 E 4月29日、水面下30米に天長節を寿ぐ。

 F 5月1日 2030頃会敵、魚雷にて艇種不詳中型艦船2隻撃沈。

 G 5月2日、昨夜の戦果を6艦隊(大本営)に打電。

(エ) 1、2、4号艇の発進

5月2日、日の出と同時に潜航し朝食後非番になった私は、士官室の長椅子にごろりと横になり仮寝をしていた。すると突然「敵発見!」 「艦内哨戒第一配備」の号令が響き渡った。「すわこそ」とぐっと上半身を起すとちょうど丁字型の位置に当る寝台の柿崎中尉もむっくりと起き上った。お互いに顔を見合わせて思わずニッと微笑を交わした。「来たぞ」と言いながら私は一気に管制盤室までかけつけた。

 「回天戦用意」次いで「搭乗員乗艇」が艦内に伝えられる。間もなく1号艇の柿崎中尉が駈けつけてきた。見ればシャツ、作業服ズボン、長半靴という服装に携帯電灯、秒時計を持ったいつもの身軽な訓練姿だ。ただキリッとしめた鉢巻が云わず語らずに決意の強さを示している。

「敵は大型輸送船1隻、護衛駆逐艦2隻」と報ぜられる。「搭乗員乗艇急げ」がくる。交通筒下部ハッチをあげると円い孔がポッカリと口を開く。中は暗い。移動灯で照らしてやる。

柿崎中尉が兵員ベッドを足場にして今正に入り込まんとしている。大義に殉ずべく、我が死に超然たり得る姿を今眼前に見せつけられようとするのである。思わずこの眼が涙ぐんでくるのをどうすることもできない。感極まっていうべき言葉もないのであるが、漸くのことで「オイシッカリ頼むぞ」と軽く肩を叩いてやった。交通筒に入り込んだところで彼はちょっと振り返りニッコリ笑うと共に軽く右手を挙げ「さよなら」とただ一言を残して平然として回天下部ハッチを開き中に没し去った。

「1号艇搭乗まだか」と司令塔から催促がくる。柿崎中尉が来るまでに回天内に溜まった海水の排除を整備員がやっていたために多少隙取ったわけである。あまり遅くなると好射点好時期を逸する恐れもあるので急いで作業を進める。

整備員がいままで一緒に来た搭乗員が()くというのでいつまでも交通筒に頭を入れて上を見上げながら搭乗員と話している。勿論無駄話ではないわけだが、いよいよこれが最後と思うとなかなか離れられないらしい。今は情にとらわれている時ではないから整備員を怒鳴り付けておいて作業を進める。

「搭乗員乗艇下部ハッチ閉鎖」を報告する。もう回天の下部ハッチも閉鎖された頃であろう。「交通筒注水」と指令がくる。「交通筒注水した。」 「第一バンド、ケッチ外せ」 ハンドルをぐるぐる廻わすとゴトッと鈍い音がして上甲板にバンドの外れる音がする。ケッチも外した。「第一バンド、ケッチよし」と報ずる。やがて頭上にゴウーと音がして回天の機械が発動する。

「1号艇発動」を司令塔に知らせる。さあもう回天が潜水艦にくっついているのは第二バンドの力によってのみである。これも司令塔からの指令と共にゆるめられるのだ。やがて「用意」がかかる。「射てー」バンド手が一生懸命にハンドルを廻す。3秒5秒・・・20秒、30秒、35秒、ゴトッと音が聞える。ハンドルが急に軽くなってゆるむ。同時にサラサラサラサラという音が頭上から艦尾の方へ動いてゆく。ああとうとう回天は母艦を離れたのだ。

「1号艇発進」を司令塔に報じてやる。息詰まるような発進作業が終わった。そして今まで一緒に艦内生活を続けてきた人一人がはや艦を離れてただ一人海中に飛び出して行ったのだ。万に一つも生還の見込みのない道に敢然として突進して行ったのだ。必死必殺行ではある。

これに続いて同じ要領で4号艇山口一曹、2号艇古川上曹が発進された。幽明まさに境を異にせんとするこの境地、誠に人として達し得る究極の境地にまで彼等は到達しているというべきか。各艇の目標は、山口一曹が10,000屯級の大型油槽船、柿崎中尉、古川上曹が護衛駆逐艦であった。各艇の発進は11時過ぎから同30分位の間に完了せられた。

15分、20分、25分、30分・・・どうしたのだろう、何の変化も起らぬ、と約35分を過ぎた頃「どどおーん」と轟然たる爆音が水中に響き、微かに艦をゆるがした。静かな海中に起った一大轟音である。それは先日の魚雷命中音に数倍する大きな音であった。司令塔から「大型輸送船轟沈」と伝えてくる。やった、やった、山口一曹らしい。

それから5・6分も間があったであろうか引き続いてまたもや大轟爆音、「駆逐艦1隻轟沈」とまたしても司令塔から艦内に伝えられる。これは柿崎中尉の命中した音であろう。かくして潜望鏡に映る海面から2隻の敵艦は瞬く間にその姿を没し去ったのである。

そして又もはや無気味な静けさが周辺に漂う。残った1隻の駆逐艦は白波を立ててこちらへやってくる。艦は一時深度を深めて対爆雷態勢を整えた。が予期した反撃は全然受けず、いつまでたっても静かだ。これはおかしいというのでまた深度を浅くして潜望鏡を見ると、先の駆逐艦は180度方向を変えてもと来た航路を物凄いスピードで逃げてゆく。古川上曹は一体どうしたのだろうか。発進後40数分を経過するがなんの音沙汰もない。その上、目標の駆逐艦は逃げ出しているのだ。同行の2隻があまりにも呆気なく瞬時にやられてしまったので、すっかり臆病風にとりつかれてしまったらしい。このような態勢で古川上曹のことを心配しながら乗員は昼食の卓についた。昼食も終りに近づく頃3度目の大轟爆音が船体を揺すぶった。駆逐艦を追いかけながらの体当り、正に神技というべきであろう。

ここで乗員一同は轟沈の歌の三節を心静かに歌い、そして肉弾以って悠久の大義に殉じた三柱の英霊に心からの黙祷を捧げたのであった。これぞ5月2日真昼間の襲撃であった。

(力) 5号艇の発進

5月7日昼、5号艇発進、前田中尉により英国レアンダー型巡洋艦轟沈。(詳細省略)

(キ) 伊47潜の帰投

5月8日晩「伊47潜は、配備を撤し帰投すべし」という命令を受け艦は直ちに変針、艦首を懐かしい故国の方に向けた。5月12日光に入港し、都合(電話故障)により発進出来なかった2基の回天を降ろし、5月13日呉に入港、天武隊の行動を終了した。

(バイパスニュース8号16頁 昭和41年6月掲載)

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