特攻に何故日本の若者たちは参加したか
小灘 利春
平成17年 5月
六十年前の戦争末期、およそ六千人におよぶ日本の若人たちが、空に海に、特攻隊員となって散華していった。彼らはただ命令されるままに前進した魂を持たぬロボットではない。自分自身の判断によって志願し、少なくとも自らの死の意義を納得した上で、それぞれに一つしかない生命を捧げた。これは日本人の歴史の上で無視できない出来事である。
今では、特攻に参加した彼らに、共感どころか理解さえできない日本人が多い。占領軍の指令と統制、また東京裁判による捏造史観に今なお盲従をつづけ、真実を歪曲し、
正しく伝えないマスコミ、教育者などがこれまで多すぎた。「強制された」の、「騙された」などと言い出す欠陥・元特攻隊員さえ、後になると現れてきた。それらの影響もあって、戦後久しい今でも特攻を顧みることなく、戦没者を無視、軽蔑する向きさえある。行動が正しかったか、間違っていたか、是非はその当時の状況に身を置いて判断するのでなければ、正当な評価はできない。大戦の後段、昭和十九年六月のマリアナ沖海戦で日本海軍の機動部隊が敗北して以来、米軍との質、量ともに隔絶した戦力の差が、目の前に大きく広がってきた。日本の将来は、もはや絶望的であった。このまま推移すれば我々の国は、国民はどうなるか。連合国軍がやがては日本の本土に上陸し、望みのない悲惨な陸上戦闘に入るであろう。そうなっては、我が陸海軍が如何に勇戦奮闘しょうとも、この国土と国民は甚大な損害を蒙むり、国体はもとより民衆の生命、財産も、また歴史も、文化も、伝統も、すべてが破壊し尽くされるであろう。後に現実のものとなった沖縄の惨憺たる陸上戦闘が、間もなく日本の各地で起ころうとしていた。終戦の一年あまり前、われわれはその事態を予測した。現実の戦場は、日本の艦艇、飛行機は通常の方法では敵に近づくことさえ困難になっていた。戦う手段は、我が身を弾丸に代える特攻しかない。日本本土への上陸を防ぎ止める手段は、もはや「若人一人の命によって敵艦一隻を撃沈する特攻」しか残っていなかった。そしてこの戦法は、少ない人命の代償で、大きな戦果を挙げることが出来るのである。在来の戦闘方法よりも効果的、かつ効率的でさえあった。ことに、人間魚雷「回天」は一艇で敵の有力艦一隻を轟沈し、戦局を一挙に転換する能力を秘めていた。
やがて父母、家族へ訪れようとする運命は、日本人全体の運命と共通であった。陸上戦闘を目前に控えたこの絶望的な状況にあって、我々の両親、兄弟、姉妹や友人、ひいては国民、国家を護る手段は、われわれ若い者たちが自分の一身を捨てて戦うほかない。これが当時、日本の国が直面していた現実なのである。軍人である以上、責務として最善を尽くして戦わなければならない。戦争が続くかぎり、国民を護り通さねばならないのである。特攻は我々が最も愛するもの、さらには国民全体を救おうとする我々の決意のあらかれであった。それは「大いなるものに命を捧げる愛」の行動である。多くの人々の生命を救う至上の博愛なのである。特攻は人命の軽視どころか、比類のないほど他に尽くす「人命の尊重」である。
「死にたくて死んだ特攻隊員はいない」のである。「十死零生」というように、特攻隊員にとって死は、使命を遂行した直後に続く不可避な事態であった。自らの死に直面したとき、理性は納得しても、若く健康な青年の肉体は、本能的な烈しい死への拒絶感、嫌悪感を覚えて当然である。それを意識するか、別の抑圧として感じるか、強烈な使命感が圧殺するか、人により様々であろうが、回天の搭乗員たちの場合、困難な専門的技術を体得するまでの長い期間、死に直面しながらも爽やかな日々を過ごし、潜水艦に搭載した回天に乗り込むときも、平常心を保っていた。生死のこのような感情さえも超越し、自分の死を平然と受け入れた。それは諦観ではない。「われわれが最も大切に思うものに尽くすことの満足感」からであった。回天の搭乗員たちの出撃前の写真は笑顔のものが多いが、「金剛隊」の出撃搭乗員を中心に隊員たち二七人が集まった写真がこのほど発見された。一同は普段どおりの明るい微笑みを浮かべている。回天隊の第一陣であった菊水隊の潜水艦が帰還したあと、次の金剛隊が出撃する前の昭和十九年十二月中旬の撮影である。写真に入った顔触れの大部分は出撃搭乗員であり、一月十一日の夜明けに、何処で、自分の身が艇とともに爆発、飛散することを既に承知している。その上での笑顔であった。この写真に入った搭乗員たちは略全員が出撃し、終戦時生き残った者も一名が自決した。あとも戦後死去して、生存者は私ひとりだけである。
特攻の論議は、「行かせられた」側に立っての苦情、また「特攻を命じた」側の擁護に終始すれば、卑小であろう。当時の若者たちは、自分が今ある日本の状況はどうかを考え、自分はどうあるべきかを判断し、行動を決断した。特攻を自ら志願して突撃した人たちの心情を洞察し、後の世に長く伝えてこそ、真の特攻論議であると考える。
「自分から戦争を仕掛けさえしなければ、いつまでも平和」と思い込んでいる識者?が多い。しかし人類の歴史に見るとおり、多くの善良な国家、民族が滅びた。「勝ったほうが正義」である実例が、今の世にも目の前にある。「戦争は見ない。聞かない・考えない」では、裏目に出ることがある。
「日本には平和憲法がある」というが、侵略者、恫喝者を排除できる十分な機能を持たないで、国家、国民の安全を自力で保つことが出来るのであろうか。
「一頁目にお祈りの言葉が書いてあるから、意法が平和を護ってくれる。平和憲法を死守しよう」というような御仁を、健全な頭脳の持ち主とは誰も思えない筈である。
「国があっての憲法」である。
平和憲法とは「平和な時期にしか通用しない憲法」という意味であろう。自尊自衛、自ら護る力と気概のない国は、何か事があれば消えてゆくであろう。将来若し、この国に生存の危機が迫ったとき、国民は如何に対処するであろうか。少なくとも「自ら護る気概を持たぬ国民を、護ってくれる他人はいない」 ことは確かである。
(峯HPより)