回天の実用頭部
小灘 利春
平成16年 1月
炸薬
回天が頭部に一・五五トン搭載していた火薬は、海軍最高の正式爆薬である九八式爆薬であった。この爆薬は破壊力が強大である一方、衝撃に対して極めて鈍感と言う特徴があった。
多聞隊の伊三六三潜が終戦直前、回天五基を搭載して、五島列島付近を浮上航走中、米軍戦闘機の奇襲を受けて、各回天の実用頭部に十三粍機銃弾が多数命中、鉄板を貴通して爆薬に食い込んでいたが爆発しなかった。これが典型的な実例である。もし一基でも爆発を起こしていたら、搭乗員は元より潜水艦全部が消滅する所であった。
元来は飛行機に積んだ爆弾が敵戦闘機の銃撃で空中爆発しないよう、安全性を最優先して研究開発された日本海軍独特の高性能爆薬である。
この爆薬は二種類の爆薬を混合溶融したもので、成分比はTNA(トリニトロアニソール)60%、HNDA(ヘキサニトロ・ジフェニールアミン)40%であった。
回天にTNT(トリニトロ・トルエン)を使ったと記した書物が多い。米軍では一般的な爆薬であったが、日本海軍ではこれは九二式爆薬として砲弾専用であった。回天の実用頭部の製造には全て舞鶴にあった第三海軍火薬廠が当たった。其処で開発、量産したこの爆薬を同廠内の秘密工場で溶融して頭部に流し込み充填、成型した。ハワイの真珠湾にある回天四型に付いている訓練用頭部も、同じく舞鶴で製作されたものである。回天頭部の内側の蓋は10キログラムの耐圧テストを行っており、水深百米でも浸水しない。信管部分も同様であった。
慣性信管
命中と同時に回天頚部の爆薬を自動的に起爆する信管に、九三式魚雷と同じ「二式爆発尖」が使用された。一定以上の衝撃があると、内部の慣性体が傾いて撃針が作動、雷管を撃って起爆する構造であったが、感度が敏感過ぎると大戦初期に巡洋艦が発射した魚雷で度々発生した様に、波浪や敵艦が立てる艦首波を感知して爆発してしまう。その感度は調整出来るが、鈍感過ぎても問題が出る。回天が命中しても、相手が同じような方向に走っていて相対速力が小さいとか、斜めに命中して撃角が浅いとか、回天の上面が敵艦の艦底を擦過すると、衝撃力が不足の為起爆しない事がある。回天の実戦の場で、残念乍らその例が幾つかあった模様である。
安全装置(信管安全解脱装置)
命中までは、途中で衝撃を受けても爆発しない様、信管の作動を停めておく装置で、作動可能状態にするには搭乗員が右手を上前方に伸ばして、安全解脱装置の把手を十回廻した。この解除状態を元に戻すには、解脱装置の把手を手前に一杯引くと再び安全装置が掛かる。それを又作動可能の状態にするには何と九十回も把手を廻すので大変である。
電気信管
爆薬を搭乗員が操縦室で操作して、電流で起爆する為、機雷用の信管が頚部の後端中央に設置されていた。
手動スイッチ(電気信管スイッチ、自爆装置)
搭乗員が自身の判断で爆薬を爆発させる為のスイッチであって回天が敵艦目掛け突入する時、搭乗員はこのスイッチに手を掛け命中の衝撃で身体が前のめりになると同時にスイッチが入る様に姿勢を執って、間違いなく爆発する様にした。搭乗訓練中、この操作を手抜きするのはよくない。忙しいので「やったつもり」で済ませた御仁は、本番で忘れなければよいが…。
故・仁科少佐のウルシーヘ突入当日の日記に「黒木少佐の遺影を左手に、右手には爆発桿」の一節がある。しかし、各種の図書に掲載されている回天の操縦室の見取図には、このスイッチを左側に記したものが多い。一方では右側に書かれた資料もある。左右どちらが本当か。正しくは「回天一型」は右。「回天一型改一」は左である。
手動スイッチ安全装置
慣性信管と同様、電気信管の作動を停めて置く安全装置で、手動スイッチが動かない様にした掛け金である。安全装置は両方とも、解除する時機は泊地内に停泊中の敵艦を襲撃した菊水隊・金剛隊の当時は狭水道通過を終えた時と指定されていた。
航行艦襲撃になってからは発進後、何分間か経てば差し支えなかったであろう。
(小灘利春HPより)