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上野典夫君について
編集部
昭和20年6月23日千葉県上空で戦死した上野 典夫君について、杉田繁春君から貰った手紙の要約。
平成22年12月21日に千葉県山北武市の真行寺重昭氏(上野典夫君の慰霊碑を知って居られる方)から次の情報を送って頂いた。
上野少佐墜落を目撃された大垣幸雄氏のお話。
「昭和20年6月23日、小学校2年生だったと子、自宅の庭先で空中戦を眺めていたら、そのうちの1機が落ちてきた。パイロットが機より脱出、落下傘で降下したが、そのうちに、落下傘とパイロットが離れて黒い塊になって前方の山の中に落ちていった。
周辺でその模様を目撃した人々は手をたたいて喜んだ。なぜなら、そのパイロットは米兵だと思っていたから。
数日後、遺体が見つかり、撃墜されたのが、米兵でなく、海軍の搭乗員だと解ると住民は落胆したそうです。何故なら日本の兵隊であれば、潔く自爆するのは当たり前と思っていた。
終戦後より、3年ごとに上野少佐を含む合同慰霊祭が11月17日に『行われ、その後、地元町内による慰霊祭が行われて今日にいたっている。しかし、今年22年に至るまで、「上野家」の御遺族は一度も出席せず、最近では遺族会並びに土地の所有者からは「不信の念」があがっていた。しかし、戦後65年を経た昨22年の11月17日の合同慰霊祭に上野少佐の長兄である上野清香様の孫上野敏郎様が初めて「上野家遺族」として参加され、今までの慰霊の経緯を良く理解され、関係者に対し詫びると共に、上野少佐慰霊碑の横に新しい塔婆を関係者共々建て「不信の念」は取り払われた。
(上野清香様は平成21年90歳で逝去された。)