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平成22年4月27日 校正すみ

一場の夢 東郷良一生徒

東郷 良一

  父君は40期で、元帥の次男である。72期で卒業はしたが、もとはと云えば、大正10年生まれの71期で、一度留年の経験をもつ、まことに渋味のあるお方であった。

 俺が、その東郷生徒と知りあった珍妙な経緯は、長くなるので今は省くが、初対面の際の特殊な状況から、二人はすぐに肝胆相照らす間柄になり、そのときの東郷生徒の厳命によって、以後、二人だけのときは、東郷さん、 安藤さんと、互いに呼び合うようになった。

 やがて、知り合ってから3月後に、俺は見事に落第し、親分たる東郷さんと共通の経歴をもつ立場になって、子分としての道を立派に果たした。

 落第が決定したその日、俺は、東郷二号生徒の自習室にとんでゆき、廊下の靴磨き台のわきで、急いでその旨を報告すると、東郷生徒は、一寸困ったような顔をしてから、かすかに口許に薄笑いを浮かべ、「あんた、そんなことを知らせるのに、バカに嬉しそうな顔をしてますな」と、俺の胸中を見抜き、しばらく、これから先の心構えを、先輩として話してくれた。

 もう、そのときの話などは大方忘れたが、たった一つだけ、今でも覚えていることがある。

 東郷生徒は低い声で、

「恐らく、今あなたは、今までは71期に散々殴られ、これから又1年は、新しく72期に殴られて、こんな割りのあわんことはないとくさっているでしょうが、その考えだけは、早く捨てた方がいいですよ」と、いかにもしんみりとした調子で言い、「はなしのわかる普通の一号生徒なら、あなたに手を出すような野暮な真似はしないでしょうが、万一誰かに殴られても、決して、その一号を憎たらしい奴だと怨んだりしてはいけません。彼等にしたって、何も、好きこのんでやるわけじゃなし、だから、そういうときは、これは、過ぎゆく一場の夢なんだ、くらいに考えて、泰然としているのが一番です。

このような際に、あなたには少し酷かもしれないが、これから先、次々におこる嫌なことは、つとめて、根に持たんことが大切です」

 優しく、親身になって、そう言ってくれた東郷生徒は、卒業して、一年と一月あまりの後に、比島バラワン沖で戦死した。 重巡摩耶の甲板士官であった。

 子分の俺はその頃、岩国で下級生どもに向い「一場の夢だ、勘弁しろ」 と、一方的に唱えながら、隣の分隊の伍長の小綿恭一が呆れるくらい、夜を日に継いで、殴りまくっていた。
74期会報234号)

(なにわ会ニュース80号42頁 平成11年3月掲載)

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