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平成22年4月24日 校正すみ

故大村きぬ様の手紙

加藤 孝二

大村 

 今年三月七日、八日と偵察第三飛行隊の会があった。(クラス五人で着任、水野、川端博和、広瀬、コレス小山の順で戦死)

 甲飛11期の柴田 栄氏(三重水産大学教授、財団法人 若桜福祉会会長)の肝入りである。

 八日、三十八年振りに伊勢神宮内宮参拝の後、昨年三重航空隊跡に建設された若桜福祉会館に案内された。前庭には各飛練クラス毎の銘牌があり、会館はミニ赤煉瓦の生徒館を思わせる。(池田武邦の会社の設計である)

中央階段を昇った二階は参考館の様に展示されている。参観に入った入口左に第一御楯隊の五枚の組写真と共に一米を超える巻紙の手紙が表装されてあった。大村謙次の母堂、故きぬ様が大村の列機の遺族の方に出した手紙である。

 陳列ケースの中なので写真を撮ることも出来ず、書き写しをしているうち写経の様なお気持で各御遺族に書かれたであろう母上の御心うちが感ぜられ、大村に似て小柄で控え目の在りし日の母堂を想った途端、年の故か感涙止まらず、眼がかすんで筆遅々として進まずとなった。みかねて70期の森田禎介分隊長が途中から後半を手伝ってくれたが集合時刻に間に合わず、柴田氏に後送方を依頼した。参観は入口で時間切れとなってしまったが、柴田氏はわざわざケースから取り出し直筆をコピーして送ってくれた。(参照ニュース3335頁)

 帰宅後、令兄大村行雄氏に確認の電話を入れた処次の三月十五日付の御手紙を戴いた。

行雄氏の手紙抜粋(参照ニュース3212頁)

 昨年は第一御楯隊の誘導機搭乗員の西村様(甲飛八期)の御世話で甲飛会南太平洋慰霊団に参加させていただき、グァム、サイパン、テニヤンと巡拝させていただきました。

 その中で六月二十一日サイパン慰霊祭、六月二十二日自由行動の時間に第一御楯隊の攻撃の目撃者、マネール・ビー・サブラン氏(67歳)と会い話をきくことが出来ました。

 攻撃隊は余程運がよかったと見えて作戦終了帰還のB29の着陸態勢の後尾につく事が出来、護衛の友軍戦闘機と間違えられたのか、最初の攻撃は本当の奇襲に成功した様で、それ迄は一発の対空火器の攻撃を受けなかったそうで、二回目からは周囲より猛烈な対空砲火を受けたとの事でした。

 私もサイパンで玉砕した陸軍部隊の四三師団の一一八歩兵聯隊には、十六年十二月一日より十九年一月十九日迄所属して居りましたが、紙一重の差で聯隊がサイパンへ出発する四ケ月前に一八方面軍司令部へ転属になり生を全うして居ります。

 アスリート飛行場跡は厚い小石を敷きつめてあった様で滑走路は三十数年経た今でも草が生えて居りませんで、記念の為に小石を拾って来ました。

 (二伸)

東京品川区豊町に居る妹に聞いてみた処、攻撃隊員全員に同文で出したそうで、写経の様な文字になったことでしょう。

 遺族の万の御気持は我々生存者にとっては推測するに過ぎない。本当に悲しみを分ちあえるのは遺族の方々のみであろう。柴田氏始め若桜会員各位に感謝と敬意をこめて……。

(大村きぬ様の遺族あての手紙)

 青葉若葉に緑の色も濃く 揺れ動く麦も色づき初めました此頃如何お暮らしでございましようか。 毎日案ぜられ乍ら女手一つの弱さに思はぬ御無沙汰を致しました。悪しからずお許し下さいませ。

 私こと昨年十一月廿七日神風特別攻撃隊第一御楯隊として南方方面に出撃の拝命抑せつかり遂に帰らぬ護国の鬼となりました大村謙次の母でございますが はからずも行を共になされました御尊家住田廣行様の壮烈なる戦死誠にお慰めの言葉もございません 御決意の程深く感謝致すと同時に隊長として格別に指導も又働きも出来ずにしまった事 謙次に代って御詫び致す次等でございます。人の頭に立って指導する人格も又学才もなき我が子が無事任務を遂行致し然も二階級特進の栄に浴しましたのは一重に隊員の皆様の御蔭と深く感謝して居ります 多難なる荊の道を共々歩まれて皆様方の壮挙を前になされて御心境を偲びつつ今ここに御遺族の御許に思ひを寄せる時御心中如何ばかりかと察するだにも惜しみてなお余りある思ひにございます。けれども隊員の皆様には小なる己れを捨てて悠久の大義に生きなされたのでございます。国の為君の為鴻毛の羽のごとく御尊命を擲ってその御忠節の武勲は永久に薫る事でございましょう。 南海に散られました御魂も(さぞ)満足にて今は懐かしの故郷に還られて居るでしょう。私も一度お訪ねして御礼やら少尉の御日常等承りたく存じて居りましたが、戦局の苛烈な今日それも出来ませず、非常に残念に存じせめてもの心慰めにさゝやかな仏壇に隊員御一同をお祀り申上げ毎日礼拝させて頂いて居ります。 

事起りましてより既に半才、月日朝に思はれ、また、ありし日の事でもそれにつけても皆様方への長い御無沙汰重ねて御詫び申上げ、少尉の最大な御忠節に深甚の感謝を捧げて筆を止めます。御遺族の皆様も何卒涙を払はれ尊い御忠誠に応へられます様勝利の日迄お励みの程願ひ上げ遥かない伊豆の里より御健康をお祈り致して居ります。

かしこ

 昭和廿年六月八日   

大村 きぬ 拝 

 住田廣行少尉 御 遺 族 様

(なにわ会ニュース53号 16頁)

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