平成22年4月29日 校正すみ
宮林久夫君のご仏前へ
矢田 次夫
北陸の旅路は私には久しぶりであった。十一月五日(土)金沢駅におり立った。翌六日に七尾で行われるイ号第一三潜水艦の五〇年忌の慰霊祭に参加の旅の途中である。久方振りに宮林君の御仏前にと思い、土原十二先生、弘子様(実姉) ご夫妻宅にお邪魔に参上した。
宮林君のみ霊はここに祭られており、仏前に飾られている紅顔のままの宮林君の英姿を眩しく感じた。往年、赤煉瓦で見合った純情な面影が偲ばれた。
数年前にお伺いした時と環境が全く変わってしまっていた。素晴らしい病院の新築に戸惑う始末であった。さすがに孫づけ三代にわたり、お医者さんばかりの家系だなあとしみじみ感じた。それにつけても大先生の十二先生は体調を崩しておられると承っていたのに、すっかり回復され、御高齢にも拘らず近頃庭の野菜園とも親しくしているとのお話で、喜ばしい限りであると思った次第である。
喜ばしいと言えば、もっと不思議とも言うべきお喜びをお伝えしなければならない。それは宮林君の実兄茂徳様のご遺骨が戦後五〇年にして発見されたという悲しくも嬉しい朗報である。
承れば、茂徳様は陸軍士官学校第五一期生である。昭和十八年二月初め、宮林陸軍大尉はラバウルに展開していた陸軍第六飛行師団の第一一戦隊に属し、三ケ中隊の中の第一中隊長であったとか。ニューギニア東部のフウ(ワンドミ)飛行場の攻撃に戦闘機で飛び立ち、爆撃機を護衛しながら、激しい空中戦となり、この激戦で戦死されたそうである。前線で散華された人達の遺骨は殆ど遺族の手には届いていないのが常であろう。久夫君も茂徳様も、お二人とも、ご遺族には同様に遺品のみであったであろう。
ところが、昨年九月、フウに、かねてから進出していた日本海外青年協力隊が植林作業中遺骨に掘り当たり、それに宮林様の名前があるということで正に奇跡の発見となったのだそうだ。現在、尚遺骨はフウ付近に置かれているとか。今年の厚生省の遺骨収集活動に依り帰国の運びになるそうである。戦後五〇年忌の年に家族の元に帰られる英霊の話を聞いて、まことに不思議の極みである。ご家族の一念の然らしめるところか。今年、無事英霊の帰還が叶いますことを心からお祈りし報告を終る。