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平成22年4月29日 校正すみ

亡き友を偲びて

小西 愛明

 生涯で最も思い出深いネービー時代を懐かしむ時、水清き古鷹山下で苦楽を共にした級友の大半が今は九段の桜に例へられて昔を語るよすがもない事を思うと全く感無量です。

 第二十二分隊の伍長・伍長補として一年間、小生や富士川・渡辺(光允)・水野(行夫)と錚々たる連中の統率に悩まされ続けたであろう出雲凡夫・粒良久雄今はなく、2号時代同分隊で親しくしていた宮林、中岡、入佐の諸兄も花と散ってしまいました。終戦後、杉航海長として宮林君が敵弾に斃れもたれかかったというコンパスにもたれ乍ら復員輸送に従事したのは何かの因縁というものでしょう。中岡君は卒業式間近、「君が飛行機乗りとは・・・爆撃に行く時は、爆弾減らさないといかんじゃないか」と冷やかしたのも十年前の語り草となってしまいました。

 潜校時代、呉通いの資金として山下誠君のポケットマネー(彼は品行方正で随分金をためていた。)借り出しを案出した相棒長谷川君も今は永遠に浮上せぬ潜航を続けています。

更に懐かしいのは東郷君、岩国派遣教育中知り合った東郷君とはその後八雲、日向と乗艦を共にし、数々の思い出が有ります。飲めば意気天を衝く同君でしたが、兵の尊敬を集め、名機銃群指揮官振りを発揮したものです。でも日向の候補生時代共にグリーンで飲んだ帰り数人で同君を引張り一人が先に第一桟橋に駆けつけ最終定期を待たすのに骨折らねばならぬのには困りました。当時先任候補生として苦労した土井仁君も出撃間際大浦崎に訪ねて来られたのを最後に二度と還らぬ回天作戦に出て行きました。

 書きたい事は山々あるのですが、小生の事を書けばポロが出るので馬脚を顕わさぬ内に擱筆致します。 

(会誌52頁 掲載)

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